元号
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ただし、その商標を使用し続けたことによって、識別力と知名度が生じた場合(例えば「平成まんじゅう」という商標を長年使い続けた結果、だれもが「平成まんじゅう」といえばその饅頭のことだとわかるようになった場合)には商標登録される場合もある[34] としており、実際に食品会社の「明治[35]」や「大正製薬[36]」は商標登録され、商号としても存続している。

特許庁では、以前から旧・元号も現行の元号と同様に取り扱われるとの解釈であったが、「商標登録できないのは現・元号の「平成」に限られ、「大化」から「昭和」までの旧・元号は商標登録でき、「令和」への改元後には「平成」も商標登録できる、と解釈される可能性」があり、実際にそのような報道もなされていた[37][38]

そのため、特許庁では2019年(平成31年)1月30日に審査基準を改訂し、「現元号(平成)以外の元号(昭和までの元号や、改元前に公表された新・元号)も登録を認めない」と明確化した[34][39][40]
元号使用のメリット・デメリット

元号使用のメリットとしては、以下の様な物がある。

明治維新」「大正デモクラシー」「昭和恐慌」「昭和モダン」など歴史的な事象を表現する場合には、名詞である元号の方が区別しやすい。

年齢詐称などの確認(自分の生まれ年の元号は覚えている事が多いため、本人確認の際に有効となる面がある)。

一方、デメリットとしては以下の様な物があり、元号そのものに否定的な姿勢を示す者もいる。

西暦には終わりがなく、紀年数は常に変わらないが、元号には終わりがあり、いつかは変更(改元)される。明治維新前は大事件や政権を担う征夷大将軍の都合など、明確な基準がないまま幾度となく変更されていたが、明治維新後は新天皇の即位(天皇の崩御または生前退位による次期皇位継承者への譲位)によって変更されている。このため、例えば「平成40年」(=西暦2028年)のような遠い未来の紀年を正確に表現できない[注 11]

日本独自の紀年であり、国外では通用しないため、外国人には理解されにくい。日本国内でも、元号ではなく西暦で時期を覚えている人にも同様の問題が生じ、同時代に生きていないと予備知識が必要となる[46]

特定の地域で公的に用いられている紀年法として、中華民国(台湾)の「民国紀元」や、北朝鮮の「主体年号」などがあり、これらも同様に、日本を含む諸外国では通用しない。


西暦では1年に対する紀年数が常に1対1の関係にあるのに対し、日本の元号制度では「立年改元」ではなく「即日改元」を採用しているため、1つの西暦年に対して複数の元号(1860年 = 安政7年/万延元年。1912年 = 明治45年/大正元年、1926年 = 大正15年/昭和元年、1989年 = 昭和64年/平成元年、2019年 = 平成31年/令和元年)が混在する例や、翌月が新しい元号の「元年」ではなく「2年」になる例が発生する。

過去の日本では、749年に、天平天平感宝天平勝宝と、3つの元号が混在した例がある。また、大正15年(西暦1926年)12月10日の1ヶ月後の日付は、昭和2年(西暦1927年)1月10日である。明治以後の現在は一世一元の改元であり、年に3代の天皇が即位する可能性は極めて低いが、当該事項のように複数の元号を充てる必要が発生した場合、大きな混乱が予想される。これらは特に、コンピュータで年を扱う際の事務処理や変換のアルゴリズムが煩雑になる(「昭和100年問題」のような年問題も発生させている。後述)。


元号が異なる2つの年の前後関係を判別するには、元号の順序を記憶していなければならない。また、元号が異なる2つの年の間隔を計算するには、いったん西暦に変換しなければならないため、年の変換と計算作業が非常に煩雑になる(例:明治30年から平成10年まで何年離れているか、というような年数を数えにくい)。特に「和暦表記のみ」と「西暦表記のみ」が混在し、年号の表記が統一できていない場合はさらに混乱する(例:昭和58年から1996年まで何年離れているか、など)。

会計年度の区切り[注 12] が改元の区切りと一致せず、改元後年度の終了日までの呼称は旧元号による(例えば平成元年3月31日は昭和63年度に属する)ため、混乱を生じやすい。ただし、2019年の令和への改元時の2019年度(2019年4月1日から2020年(令和2年)3月31日まで)の国の予算は改元日以後、「令和元年度予算」として扱うものとされたため、平成31年4月1日から4月30日は新元号の年度である「令和元年度」に属することとなった[47]

表記(「1年」か「元年」か)

公文書において、令和1年と表記するか令和元年と表記するかは、様々である。
登記関係

登記の種類によって、「1年」とするか「元年」とするかは使い分けられている[48]

1)不動産登記及び商業・法人登記等[注 13]

登記簿における表記(登記の日付、受付年月日、登記原因の日付、会社成立の年月日など)は、「令和1年」である(ただし電子化されていない登記簿では「令和元年」)。見本は、【参考】改元後の登記事項証明書の見本(不動産登記)


登記に関する証明書(例えば,登記事項証明書等)の認証日付・証明日付や登記識別情報通知書の通知日付等は,原則として,「令和元年」と表記される。見本は、【参考】改元後の登記事項証明書の見本(商業登記)

2)成年後見登記

証明日付及び登記事項に関する日付(生年月日,裁判確定日,作成年月日,登記年月日等)は「令和元年」と表記される。

3)動産譲渡登記及び債権譲渡登記

証明日付及び登記事項に関する日付(登記原因の日付,登記の存続期間の満了年月日、登記年月日等)は「令和1年」と表記される。

会計年度の名称

「令和元年度」「令和元年度予算」とすると定められている[49]
元号をめぐる事件・出来事

歴史上の
大正初日は1912年7月30日であるが、この日受付の郵便物(実逓便)には「(明治)45年7月30日」の日付印が押印されている。「(大正)1年」の日付印が押印されたのは翌31日受付の郵便からであるとされている。「(大正)1年7月30日」の日付印が押印された実逓便の存在は確認されていない[50]

「大正16年元旦」(1927年1月1日)に配達される予定であった年賀郵便には「(大正)16年1月1日」の日付印が押印されていたが、1926年(大正15年・昭和元年)末の12月25日に大正天皇崩御したため、年賀郵便の取扱いそのものが中止になった。ただし、それまでに引き受けていた年賀郵便は年が明けて配達された。訂正の意味で「(昭和)2年1月1日」の日付印が押印されていたものもある[51]

大正から昭和へ改元される際、『東京日日新聞』(現・『毎日新聞』)が新しい元号を「光文」との誤報を流した。詳細は「光文事件」を参照

盗難預金通帳を偽造された保険証で本人確認をして銀行が払い戻しをした過失に対する民事訴訟で、銀行側が保険証の生年月日が「昭和元年6月1日」という存在しない日付(上記のとおり、昭和元年は12月25日からの1週間しかない)なのに気が付かなかった過失があるとして敗訴した事例[52]がある。

平成から令和への改元に当たって「改元に乗じた詐欺」が相次いで発生し、被害者まで出た。ほぼ同時期には新しい元号を報じる新聞の号外を手に入れようと人々が殺到し、怪我人まで現れた。

コンピュータでの処理「改元のコンピュータシステムへの影響」も参照

元号を採用している日本においても、コンピュータでは元号よりも西暦による処理の方が次の点において便利であるとされる。

元号では改元される毎に新元号に換算する処理を追加する必要があるが、西暦ではそれが不要である。ただし、アプリケーションによっては、コンピュータの内部処理として特定の日付を基準とした。例えばExcelでは1900年(明治33年)1月1日を基準日とする。シリアル値で管理しているので、西暦であっても基準日以前を使用する場合は別途計算処理が必要となる。

西暦を使用する外国の情報を利用する際に、元号で表記するには、西暦から和暦に換算する処理が必要となる。

オペレーティングシステムの大半は、ファイル作成日付に見られるように西暦を使用している。

Unicodeでは、「 (Unicode U+337E)」「 (Unicode U+337D)」「 (Unicode U+337C)」「~ (Unicode U+337B)」についてはCJK互換用文字ブロックに合字が準備されており、「?(Unicode U+32FF)」にも新たに囲みCJK文字・月ブロックに合字が準備された[53]。これら以外の元号は入っておらず、4つ連続していたUnicodeの前後には別の文字が割り当てられている(U+337Aは?、U+337Fは?)。

これらの点から、日本でもコンピュータでの処理に際しては内部で西暦を用いているが、ほとんどの公文書(前述の通り、補助的に西暦を併用しているものも存在している)では元号を使用することを始め、一般にも書類事務は元号を用いるというニーズが根強いため、表示や入力に際しては元号を使用できるアプリケーションが多い。


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