元号
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日本の場合、採用された字は2019年に始まった令和の時点でわずか73字であり[3]、そのうち21字は10回以上用いられている。一番多く使われた文字は「永」で29回、2番目は「天」「元」のそれぞれ27回、4番目は「治」で21回、5番目は「応」「和」で20回である[4]。なお、近代以降の元号のうち令和の「令」や平成の「成」、昭和の「昭」はそれぞれ初めて採用されたものである。また、平成の「平」は12回[5]大正の「大」は6回「正」は19回、明治の「明」は7回使われている[4]

独自の元号が建てられた国家には、以下の項目に挙げる他、柔然高昌南詔大理渤海がある。また西遼西夏中国史に入れる解釈もあるが、いずれも独自の文字を創製しており、元号も現在伝えられる漢字ではなく、対応する独自文字で書かれていた。
日本の元号日本における元号の一覧については、「元号一覧 (日本)」を参照

元号を用いた日本独自の紀年法は、西暦に対して和暦(あるいは邦暦や日本暦)と呼ばれることがある。

日本国内では今日においても西暦(グレゴリオ暦)と共に広く使用されている。

西暦2024年は「令和6年」。

元号名(読み)初日年月日現年数現在位年月日数天皇名
令和(れいわ)令和元年(2019年5月1日6年5年と23日徳仁今上天皇
皇室典範特例法および元号法に基づく、明仁上皇)の退位および徳仁(今上天皇)の即位(譲位による皇位継承)による改元。(キャッシュを破棄)

2019年令和元年)5月1日[6] に、前日(平成31年)4月30日の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の規定により第125代天皇明仁退位上皇となる)に伴い、徳仁が第126代天皇に即位した。この皇位の継承を受けて、「元号法」の規定により同年4月1日に「元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)」が公布・5月1日に施行され、「令和」に改元された。
元号制定の条件

『昭和大礼記録(第一冊)』によると、一木喜徳郎宮内大臣は、漢学者宮内省図書寮の編修官であった吉田増蔵に「左記の5項の範囲内において」元号選定にあたるように命じた[7]

元号は日本はもとより言うを待たず、中国朝鮮南詔交趾(ベトナム)等の年号、その帝王后妃、人臣の諡号名字等及び宮殿土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。

元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。

元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。

元号は、称呼上、音階調和を要すべきこと。

元号は、その字面簡単平易なるべきこと。

なお、歴史的には「他国でかつて使われた元号等と同じものを用いてはならない」という条件はなかった。異朝でかつて使われた元号を意図して採用したたとえ話すらある。例えば、後醍醐天皇の定めた「建武」は、王莽を倒して漢朝を再興した光武帝の元号「建武」にあやかったものであった。また、徳川家康の命によって用いられた「元和」は、憲宗の年号を用いたものである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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