優生学にもとづいた政策は特にアメリカ、ドイツ、北欧、スイス、カナダ、日本で広く実施された[要出典]。日本では「国民優生法(1940 - 1948)」「優生保護法(1948 - 1996)」に基づき、精神疾患やハンセン病患者の断種手術や人工妊娠中絶が行われていた[17][14]。
1980年代から1990年代にかけて、体外受精・着床前診断・出生前診断など、新しい生殖補助医療が利用可能になり、優生学がより強力な形で復活する可能性がある[18][19][20]。近年、ゲノム編集や遺伝子検査などの新技術の利用をめぐる生命倫理的な議論において、これらの技術を優生学と呼ぶべきかどうか、激しい議論が行われている[21][22]。 生殖管理により人種を改良する、という発想は、プラトンにまで遡ることができるが[23]、学問として成立したのは19世紀末から20世紀初頭にかけてであり、優生学(eugenics)という言葉は1883年にフランシス・ゴルトンが定義した造語である[23][24]。ゴルトンは、従兄弟のチャールズ・ダーウィンが1859年に著した『種の起源』から影響を受けた[25]。フランシス・ゴルトンは初期の優生学主義者であり、この言葉自体を造語した 優生学の目的は、遺伝による人類の定性的(非定量的)向上[2]、または思想的・哲学的な遺伝の改善や劣化防止等とされる[3]。これらの目標を達成するための手段として、産児制限・人種改良・遺伝子操作などが提案された。優生学は20世紀前半に先進国の多くの有力者や知識人に支持され[26]、その中にはアレクサンダー・グラハム・ベルやジョン・メイナード・ケインズ、ジョージ・バーナード・ショー、セオドア・ルーズベルト、若かりし頃のウィンストン・チャーチルが含まれる[27]。 当時、精神障害は遺伝であると漠然と考えられ、それらの人々は一般の人よりも子供を多く作ると信じられていた。それゆえ精神障害者が増加して逆淘汰が起きると懸念され、それを回避するために優生学的な施策が求められた[28]。優生学にもとづいた政策が初めて大規模に実施された国はアメリカであった。1907年にインディアナ州で精神障害者への強制不妊手術(断種)を可能にした世界初の法律が制定されたのを皮切りに、多くの州で断種法が制定され、また特定国からの移民制限が行われた[29]。障害者の断種は、カナダ、ヨーロッパ諸国、日本でも実施された。これらの政策は集団の遺伝的な質の向上を目指していた。 優生学は後世において、保守系極右の学問だったと誤解されるが、むしろ自由主義の左派に人気があり、社会変革を求めて多くの社会主義者やリベラル、進歩主義者が優生学を支持した[30][31]。優生学の支持者には、H・G・ウェルズ、マーガレット・サンガー、ハロルド・ラスキやシドニー・ウェッブらのフェビアン社会主義者、マルクス主義の遺伝学者であるJ・B・S・ホールデンとハーマン・マラーがいる[31]。初期のドイツの優生学者の多くは社会主義に共感をもっており、1929年に断種法を制定したデンマーク政府も社会民主主義政権であった[32]。 北欧では1920年代から、福祉国家の水準維持のために社会保障費の負担となる障害者を減らす優生政策が積極的に行われた[33][34]。障害がどの程度遺伝するのか不明だとしても、障害者は子供をきちんと育てられず、子供も親と同様に福祉の世話になるからという理由で、断種が支持された[35][34]。 1930年代、エルンスト・リューディン
概史
第二次世界大戦の終結以降も、アメリカ、北欧、日本では、障害者に対する不妊手術や人工妊娠中絶が行われるなど、福祉政策の一環として優生学的施策が続いたが、1970年代以降に優生学は大きく批判されるようになり、「民族衛生」や「絶滅政策」といったナチスの政策と結びつけて認識されるようになり、廃れた[37]。集団に対する優生学・思想は廃れたが、個人の自己決定としてどのような子供を産むかという問題は「新しい優生学」として続いている[38]。 ゴルトンは1883年、『人間の能力とその発達の研究』の脚注において、初めて「優生学」という用語を使用している。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}優生(eugenic)は、ギリシャ語で何と呼ばれるかというと、「eugenes」、すなわち良い素質を持つ、遺伝的に気高い素質を授けられている、という意味である。これと、様々な関連する用語(「eugeneia」など)は、等しくヒトや動物、植物に対して応用されている。我々は、種の改良の科学を表現するに簡潔な用語をことのほか好むものであり、それらは決して賢明な交配という問題に限られたものではない。しかし、取り分け人類に関して言及するならば、その語はあらゆる作用について我々に気付かせることになる。それは、程度の差こそあれ、より環境に適合した人種や血統に対し、そうでない存在に優先して、より十分な機会を即座に与える作用である。「優生学(eugenics)」という語はそのような概念を余すことなく表現するものであり、それはより洗練された用語であり、少なくとも、私が以前試みに使ってみた「viriculture」という語よりは違和感がないであろう。[39][注 4] このように優生学(eugenics)の語源は、ギリシア語でeu(良い)、-gen?s (誕生)を組み合わせたもので、「良い生まれについての学問」という意味である。1904年、ゴルトンは優生学を次のように定義した。人種の先天的な諸特質を改善する、あらゆる様々な影響に関する科学である。そこには究極的に優れた状態へ人間を発達させることも含まれる[40]。 優生政策は歴史的に次の2つのカテゴリーに分けられてきた。 積極的優生学は、優れた形質を持つと思われた人間を増やすことを目的に、複数の子供を持つ優れた素質を持つ両親を表彰したり、金銭的援助を与えるという手段を採る。
初出と定義
積極的優生学
子孫を残すに相応しいと見なされた者がより子孫を残すように奨励する。
消極的優生学
子孫を残すに相応しくないと見なされた者が子孫を残すことを防ぐ。