儀礼
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ヴィクター・ターナーによれば、この段階は「境界性」(リミナリティ)によって特徴づけられるという。これはすなわち曖昧で方向性を失った状況であり、ここにおいてイニシエーションを受ける者は古いアイデンティティをすでに失っているが、新しいアイデンティティをまだ取得していない。ターナーによれば、「境界性、もしくは閾上にある人々の性質は、必然的に曖昧である。[22]」こうした境界性、もしくは「反構造」(下記を参照)の段階においては、イニシエーションを受ける人々の役割の曖昧さに起因したコミュニタスの感覚、すなわち彼らの間の感情的な共同体的絆が発生する。この段階の特徴は儀礼的試練もしくは儀礼的訓練である。最後の「統合」の段階では、イニシエーションを受ける者に対して象徴的なしかたで新しいアイデンティティが与えられ、共同体に迎え入れられる[23]
暦的および記念的儀礼

暦的儀礼および記念的儀礼は一年の特定の時点を印づけたり、なんらかの重要なイベントから一定の時間が経過したことを印づけたりするものである。暦的儀礼は時間の経過に社会的な意味を与え、「週」「月」「年」といった再帰的なサイクルを作り上げる。一部の儀礼は季節的な変化に向けられており、太陽暦もしくは太陰暦にしたがって行われる。グレゴリオ暦を基準に見た場合、太陽暦にしたがう儀礼は毎年同じ日に行われる(たとえば1月1日の元旦)。これに対し、太陰暦にしたがう儀礼が行われる日付は毎年異なっている(たとえば中国の新年)。暦的儀礼は自然に文化的秩序を重ね置くものである[24]。ミルチャ・エリアーデによれば、多くの宗教的伝統における暦的儀礼は共同体の基本的な信仰を思い出させ記念するものであり、これらを毎年祝賀することによって過去と現在との間に絆を確立し、原初のイベントが繰り返し発生しているかのように感じさせるものである。「神々はこのように為した。したがって人もこのように為す。[25]
交換と交感の儀礼

神的な諸力を讃え、喜ばせ、宥めるための各種の供犠や献具は、この類型に属している。初期の人類学者エドワード・バーネット・タイラーによれば、このような供犠は見返りを期待して行う贈与なのだという。しかし、キャサリン・ベルの指摘するところによれば、「供犠」とよばれる実践は操作的で「呪術的」なものから純粋な献身に至るまでの広い範囲にわたるものである。たとえば、ヒンドゥー教のプージャーは神々を喜ばせるという目的以外のものをもたないように見える[26]

マルセル・モースによれば、供犠と他の形態の儀礼との相違点は、供犠においては「聖化」が行われるという点、すなわち捧げられるものが神聖なものとされるという点にある。その結果として、献具は通常儀礼の中で破壊され、神々のもとへと運ばれる。
苦難の儀礼

詳細についてはシャーマニズムおよび占いを参照。

人類学者ヴィクター・ターナーの定義によれば、苦難の儀礼とは人間に不幸をもたらす霊を鎮める行為である。これらの儀礼には霊による占い(託宣を求めること)が含まれるばあいもあり、これによって原因が確定され、また癒し、浄化、悪魔払い、守護などのためにどの儀礼を行うかが確定される。経験される不幸としては個人的な健康の他に、旱魃や昆虫禍などのような広義の気候に関連した問題もある。シャーマンによって行われる癒しの儀礼では、不幸の原因が社会的な不調として特定される場合も多く、社会的関係の改善によって癒しが行われることもある[27]。ターナーは北西ザンビアのンデンブ族の間で行われるイソマ儀礼を例として挙げている。イソマ儀礼は不妊のため子供に恵まれない女性を癒す儀礼である。不妊は「母系的出自システムと父系居住の婚姻システムとの構造的緊張」の結果である。(すなわち、女性は自分の母親の一族に忠誠の義務をもっているが、彼女が居住しているのは彼女の夫の一族の下であるため、彼女は両者の間の緊張を感じている。)「女性が『男の側』に近づきすぎると、彼女の死んだ母方の親族が彼女の繁殖力を害するのである。」母系の出自と婚姻とのバランスを正すために、イソマ儀礼では女性を彼女の母系親族の下に住ませ、死者の霊を宥めるのである[28]

シャーマン的儀礼およびその他の儀礼は精神医療的な効果をもたらすこともあり、ジェーン・アトキンソンのような人類学者はこの過程を理論化した。アトキンソンによれば、個人に対するシャーマン的儀礼の効果はシャーマンの力を認めている儀礼参加者たちに依存しており、このためシャーマンは患者を癒すことよりも観衆を引きつけることのほうに重きをおく傾向がある[29]
饗宴、断食、祝祭の儀礼

饗宴や断食は苦難の儀礼においても行われるが、苦難の儀礼では神々がはっきりと儀礼に臨在しているのに対し、ここで饗宴と断食の儀礼と称するものにおいては、共同体がその基本的で共有された宗教的諸価値への支持を公に表明することが中心となっている。これにはたとえばイスラームのラマダンにおける共同体の断食、ニューギニアの豚の屠殺、カーニバルの祝祭、カトリックの改悛の行列などといった広範なパフォーマンスが含まれる[30]。ヴィクター・ターナーはこのような基本的な諸価値の「文化的パフォーマンス」を「社会劇」と呼んだ。このような劇は個別の文化に内在する社会的ストレスを表現し、儀礼的カタルシスの中で象徴的な形で解決しようとする。社会的緊張が儀礼の外部に持続する場合には、儀礼が繰り返し行われて圧力を低減しようとすることもある[31]。たとえばカーニバルにおいては、人々は仮面を着用することによって別の存在となることができ、これによって差別をないものとして扱い、緊張した社会的ヒエラルキーを祝祭の中で消滅させて「通常の社会的束縛の外での遊び」という点を強調する。しかしカーニバルの外では人種、階級、ジェンダーなどによる社会的緊張は持続しており、そのため祝祭においてこれを定期的に解放することが必要となる[32]
政治的儀礼

人類学者クリフォード・ギアツによれば、政治的儀礼は実際に権力を作り上げている。バリの国家についての彼の分析において彼が述べるところによれば、儀礼は政治権力の飾りではなく、政治的権力者の権力は儀礼を作り上げる能力にかかっている。儀礼において、王を頭に頂く社会的ヒエラルキーが自然で聖なるものと感じられるような宇宙的フレームワークが作り出されるのである[33]。「権力のドラマトゥルギー」として、包括的な儀礼システムは、支配者を神的存在として他と区別するような宇宙的秩序を作り上げることもある。よい例がヨーロッパの「神授王権」や日本の天皇である[34]。政治的儀礼はまた、官僚たちによるコード化された、もしくはコード化されていない慣習として現れることもある。これは制度または役割の整備について、それをその時点で担っている個人への尊敬の念を固定化するもので、国会などの手続きに今でも見られるものである。

儀礼はまた、抵抗の一形態として使用されることもある。これはたとえば、南太平洋の各地で植民地権力に対して行われた各種のカーゴ・カルトにおいて見られる。このような宗教的=政治的運動において、島の人々は欧米の実践の儀礼的模倣物(たとえば滑走路など)を使用し、カーゴ(工業製品)が得られるように先祖たちに祈った。これらのグループのリーダーたちは現在の状況(多くの場合植民地の資本家によって押しつけられた状況)を古来の社会秩序の解体として捉え、古い秩序に戻ろうと呼びかけたのである[35]
儀礼に関する人類学的理論
機能主義

詳細については構造機能主義を参照。

19世紀の「安楽椅子人類学者」たちは、宗教がいかにして人類の歴史に登場してきたかという点に興味をもっていた。20世紀に入ると、彼らの憶測によって構築された歴史は退けられ、「これらの信仰と実践は社会に対して何を行っているのか」という新しい問題意識が前面に現れ、起源についての問題意識は後退していった。この観点からは、儀礼は普遍的なものであり、その内容は非常に多様なものであり得るものの、たとえば人間の基本的な心理的・社会的問題に対する解決法を提示したり、あるいは社会の中心的な諸価値を表現したりといった特定の基本的な機能を果たすものである。ブロニスラフ・マリノフスキーは「機能」という概念によって個人的な心理学的必要にアプローチした。これに対してA.R. ラドクリフ=ブラウンは制度や習慣の機能(目的)を「全体としての社会を維持し保存する」という点にあると考えた。すなわち彼ら両者は、不安と儀礼との関係という点において見解を異にしていたのである[36]

マリノフスキーによれば、儀礼は危険な諸要素が技術的な制御を超えてしまっている諸活動に対する不安を処理するための非技術的な手段なのだという。「呪術は、埋めることのできないギャップ、あるいは知識や実践的制御能力の空白に人が直面し、それでもなお彼の追求を続けざるを得ない時に、いつでも一般的に見られ、また予期されるものである。[37]」これとは対照的に、ラドクリフ・ブラウンは儀礼は共同体を象徴的に表象する共通の利害の表現であると考え、不安は儀礼が遂行されなかった時にのみ感じられるとした[36]。ジョージ C. ホーマンスは人々が所期の結果を得るための技術をもたないために感じる「一次的不安」と第一義的不安をこれらの対立を鎮静させるための儀礼を行わなかったために感じる「二次的不安」を区別し、これによってこの対立を調停しようとした。ホーマンスによれば、浄化の儀礼は二次的不安を払拭するために行われるものだという[38]

A.R. ラドクリフ=ブラウンによれば、儀礼は組織的イベントとして技術的行為とは区別されるべきであるという。「儀礼的行為は、そのすべての例に何らかの表現的もしくは象徴的な要素が含まれているという点で、技術的行為とは異なっている。[39]」これとは対照的に、エドマンド・リーチは、儀礼と技術的行為との相違は構造的類型の相違ではなく、スペクトラム的な相違なのだという。「行為というものは連続的な物差しの上に位置づけられるものなのである。一方の極には完全に世俗的で完全に機能的で純粋単純に技術的な諸行為があり、他方の極には完全に聖的であり厳格に美的であり技術的に非機能的な諸行為がある。大多数の社会的行為はこの両極の間に位置づけられ、双方の性質をそれぞれ部分的にもつ。この視点からは、「技術と儀礼」、「俗と聖」といったものは行為のタイプを指しているのではなく、ほとんどあらゆる種類の行為に見られる側面を指しているのである。[40]
社会的統御の儀礼

機能主義的モデルは儀礼を恒常性維持のメカニズムとして捉え、社会的相互行為を調整したり集団的エートスを維持したり争論のあとで調和を回復したりすることによって、社会機構を調整し安定させるものであると考える。

機能主義的モデルはあまり長持ちせずに衰退したが、後の「新機能主義的」理論家たちはそのアプローチを継承し、儀礼がどのようにして生態学的システムを調整しているかを研究した。たとえばロイ・ラパポートはパプア・ニューギニアの部族間での豚の贈与交換を調査し、この儀礼がいかにして人間と入手可能な食物(人間と豚とは同じ食物を摂取している)と資源的基盤の環境的バランスを維持しているかを観察した。ラパポートの結論するところによれば、儀礼は「環境の質の維持を助け、戦闘の頻度を地域住民の存続を危険に晒さない程度に制限し、土地に対する住民の数の比率を調整し、通商を促進し、局所的な豚の余剰を豚肉という形で地域全体に分配し、喫緊の必要性に迫られた時に上質の蛋白質を人々に供給できるようにする。[41]」同様に、スティーブン・ランシングはバリ・ヒンドゥー儀礼の複雑な暦がバリの灌漑システムを制御し最適な水の分配を実現して争論を最小限にするのにどのように役立っているかを論じた[42]
反逆の儀礼

ほとんどの機能主義者は儀礼を社会的秩序の維持に結びつけているが、南アフリカの機能主義人類学者マックス・グラックマンは「反逆の儀礼」という用語を造語し、一般に受け入れられている社会秩序が象徴的に逆転されるようなタイプの儀礼をこれによって指すものとした。グラックマンによれば、儀礼は基礎にある社会の緊張を表現するものであり(この考え方はヴィクター・ターナーに従っている)、制度に組み込まれた圧力弁として機能しており、これを定期的に遂行することによってこうした緊張を緩めることができる。儀礼は究極的には、これらの緊張が実際の反逆を発生させることなく表現される限りにおいて、社会秩序を補強するような形で機能する。カーニバルはこれと同じ観点から見ることができる。彼が注意を喚起しているのは、たとえば、南アフリカのスワジランドのバントゥー王国の初穂の祭り(インクワラ)においていかにして通常の社会秩序が象徴的に転倒され、王が公然と侮辱を受け、女性が男性に対する支配を宣言し、若年者に対する年長者の権威が転覆されるかという点である[43]


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