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しかし、平安時代に至り、中国から天台宗を移植した日本天台宗の開祖最澄が、大乗経典の『梵網経』の書面と、それまで中国天台宗にはなかった解釈に基づく戒法を法華三部経に数える『観普賢菩薩行法経』(大正蔵:277)[12]を基にして、筆授により感得して提唱し、時の朝廷に出願した。最澄の没後、弘仁13年(822年)に最澄への追悼の意味から朝廷も公認し勅許を得て、翌年の弘仁14年に延暦寺の一乗止観院において弟子の光定を筆頭とする14名の大乗戒壇による授戒が行われた[注 4]。これより、比叡山では旧来の戒律である具足戒と数種類の大乗戒を併用する体系的な戒法を無視した、鳩摩羅什訳とする『梵網経』による大乗戒の「梵網戒」(円頓戒)のみに基づく大乗戒壇による授戒を行うようになり、いわゆる日本仏教独自の「具足戒」を持たない宗派が生まれた。

ただし、最澄の唱えた大乗戒壇の基礎となる、大乗の『梵網経』には十重禁戒として、殺生戒により生き物を殺すことと、その原因となる全ての行為を禁止し[13]女犯とその原因となる全ての行為を禁止し[14]、酒の売買と飲酒の原因となる全ての行為を禁止し[15]、更にそれらを含む十重禁戒のどれかに違反した際には、僧籍に加えて全ての資格を失い仏教徒ではなくなる[注 5]としている。また、かつての比叡山においては、大乗戒壇で出家した僧は、12年に亘る籠山(ろうざん)の後[注 6]、下山する際に「具足戒」を授かってから、比叡山を離れるのが通例となっていた。それゆえ「梵網戒」(円頓戒)が生きていた時代には、女犯(妻帯)や飲酒等の行為は、大乗戒壇の僧には最澄の直筆による『山家学生式』により、あってはならない行為と規定されていた。

やがて、鎌倉時代に至ると、天台宗から派生した各宗派(鎌倉仏教)が普及するに従って、円頓戒などのみ受持する僧侶が多く現れた。その中でも日蓮(1222-1282)は、最澄に仮託される『末法灯明記』[17][注 7]を信じ、それを典拠として「末法無戒」を主張し、いわゆる末法の世の中においてはあらゆる戒律を必要とせず、ただ題目を唱えることを主張した。また、三宝のうちの僧伽を伴わない[注 8]浄土真宗のような宗派も生じた。それに倣って、本来は「具足戒」を守るはずの宗派も戒律の形骸化が著しく、男色を行い、加えて妻帯する僧侶も数多くいた[注 9]。しかし、その一方で叡尊を祖とする真言律宗のように、自得の戒である『自誓授戒』による「具足戒」を復興しようとする動きも[19]一部ではあったが、鎌倉時代以降は戒律が形骸化する全体の流れを変えるまでには至らなかった。
江戸時代

江戸時代に至ると、政治的には統制が厳しい江戸幕府の下、僧職者の肉食と妻帯(女犯)が国法などでは禁じられ、仏教側からは叡尊以来の戒律復興運動が実を結ぶ形で最低限の規律は守られるようになったが、本来の戒律(「具足戒」を基礎とする体系的な戒法)や僧伽を復興するまでには至らなかったとの評価もある。

この時代に戒律復興運動を行った人物としては、禅宗では黄檗宗の開祖であり、中国の皇帝の師でありながら鑑真と同様に栄誉を捨てて日本に渡来して、「禅密双修」や「禅浄双修」(念仏禅)等の特色を持つ中国禅に加えて、当時の出家戒を伝えた隠元禅師が挙げられる。隠元禅師が伝えた中国流の「具足戒」と「出家作法」は、京都を中心とする一帯の仏教教派の注目を集め、曹洞宗臨済宗の復興に役立っただけではなく、招来の文物は書道煎茶道普茶料理隠元豆等、後の鉄眼和尚の『黄檗版大蔵経[注 10]と共に日本の仏教に多大な影響を与えた。

『正法律』を提唱した慈雲尊者や、『如法真言律』を提唱した浄厳覚彦が活躍した。
近現代

近代(明治時代)に至り、日本では明治政府明治5年4月25日公布の太政官布告第133号「僧侶肉食妻帯蓄髪等差許ノ事」を布告、僧侶の妻帯(女犯)・肉食・蓄髪・法要以外での平服着用等を公的に許可した。こうして僧職者に対する国法による他律的縛りはなくなり、職業化したり世襲化した者が僧侶として公然と存在することができるようになった。

なお、戦前に戒律・僧伽復興運動を行った人物としては、真言宗釈雲照、更には、その甥でスリランカに留学し、日本人初の上座部仏教徒となって日本で「釈尊正風会」を組織した釈興然がいる[20]

近年では、『日本テーラワーダ仏教協会』や『龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院』のように、上座部仏教チベット仏教系の僧院も輸入・移植され、その僧伽の構成員である比丘や比丘尼もいる。


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