演出は恩地日出夫、 撮影は木村大作。カメラに三脚をつける時間がないほどタイトなスケジュールでの撮影だったという。皮ジャンを着て、ヘッドフォンを付け、水中眼鏡を付けた修が眠りから目を覚まし、冷蔵庫の扉を開き、新聞紙を首から下げ、トマト、コンビーフ、リッツ、魚肉ソーセージに次々とかぶりつき、口で栓を開けた牛乳で喉に流し込む。もともとは最後に牛乳を画面にぶっ掛けたところで画面を白転させ、そこにメインタイトルを表示するという案であったが、スポンサー等から「食品を粗末に扱うこと」へのクレームが入り、その直前の画面をストップモーションにすることで対処された[注釈 1]。
主演の萩原健一の回想によると、「製作側(演出を担当した映画監督ら)は『タイトルバック不要でいいんじゃないか』って話だったんだが、スポンサーサイドから『ないとダメだ』と言われたため、恩地(日出夫)さんと木村(大作)さんで急遽撮影したものだった」のだとのこと[10]。萩原は「どさくさ紛れに、時間稼ぎでやったやつだったね」と語っている[10]。
マルコ・フェレーリ監督の映画「最後の晩餐」をイメージして撮影された。また、新聞紙を用いるアイデアは萩原が目撃した工事現場の配管工がモデルで、「弁当を食べながら新聞紙で度々口を拭く仕草がおかしかった」ため採用された[11][12]。 深作欣二は「仁義なき戦いシリーズ」五部作の最終作・『仁義なき戦い 完結篇』と「新仁義なき戦いシリーズ」一作目の『新仁義なき戦い』の間に演出を担当[13]。深作は本企画には参加する暇がなく「ショーケンでこういうのやりたいんだけど」と言われ参加した。前述のタイトルバック(オープニング映像)と二話分を恩地日出夫が撮影していたが、放映では前後して深作が演出した二話分が第一話と三話になった[13]。萩原健一は深作に会うなり「何で僕は『仁義なき戦い』に出られなかったのか」「僕があそこに出てなかったのは自分でも信じられない」と話していたと言い、本作品の撮影はスムーズに進んだという[13]。深作はこの「傷だらけの天使」で初めて木村大作カメラマンと組んだが、木村も『仁義なき戦い』を観ていたから、手持ちキャメラでも負けないと、オートバイに乗ってキャメラを担いだという[13]。この第一話で萩原扮する木暮修が古美術屋に強盗用のモデルガンを借りに来るシーンがあるが、その店の店主が金子信雄で広島弁を喋る『仁義なき戦い』の山守親分のようなキャラクターで登場する。萩原がもごもごと「このオジさんむかし広島でヤクザの親分だったから」などというシーンがある。「仁義なき戦いシリーズ」撮影中が縁でのカメオ出演と思われる。 演出を映画監督が担当したために現場でテレビドラマの厳密な尺が計算出来ておらず、プロデューサーが急遽脚本家に連絡する等苦労した筈だという裏話を後年主演の萩原が明かしている[14]。 ほとんどの回でヌードシーンがあった初期の頃(#内容の節で詳述)、視聴者の目を気にして放送直前まで編集を重ねていたこともあり、ロマンポルノのエースと言われた神代辰巳監督の第4話「港町に男涙のブルースを」では事前にエロチックなシーンを中心に3箇所カットしている[1]。 最終話冒頭での地震のシーンは、映画『日本沈没』から流用している[15]。 衣装協力としてBIGIがクレジットされており、菊池武夫が担当した。萩原健一演じる木暮修の服やスタイルは、当時の若者に多大な影響を与えた。後に衣装はBIGIで売れ残った品を買い取って使用されたと話している[注釈 2][16]。
演出
衣装
関連楽曲
綾部貴子の出演シーンでかかる印象深い音楽の曲名は「マヅルカ」。作詞・ハンス・モラー
第6話では以下のクラシック曲の使用が確認できる。
エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ作曲 オペラ「マドンナの宝石」