傷だらけの天使
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萩原健一は『スポーツニッポン』が2009年11月1日 - 11月30日に連載したインタビュー記事『我が道』の初回において、「自分の相棒役にキャスティングが予定されていたのは火野正平であったが、火野が『斬り抜ける』などのレギュラー番組が決まりスケジュールが取れなくなったために水谷豊に変更になった」旨を明かしている[4][5]。なお、水谷を推薦したのは萩原であり、『太陽にほえろ!』で萩原演じる刑事マカロニが最初に捕まえた犯人役が水谷で、その誠実な仕事ぶりが印象に残り、享役に推したと述懐している[6]

当時、東宝側のプロデューサーの一人だった磯野理は、自身の回想本『東宝見聞録』にて「Hのスケジュールの関係で所属事務所の社長と揉めて、降板させた」と記している[7]
エンジェルビル

修と亨が暮らしていたビルで、綾部探偵事務所からビルの屋上にあるペントハウスを借りているとの設定だった。

撮影は代々木駅隣(西口)にある雑居ビル代々木会館』にて行われた。なお、ドラマでは最終回で解体工事が着手されるが、実際は最終回から36年後の東日本大震災でペントハウスは倒壊するも、ビル建物自体は40年以上存在し続けた。代々木会館は老朽化のため2019年8月1日から2020年1月30日にかけての工事で解体された[8][9]
オープニング映像

演出は恩地日出夫、 撮影は木村大作。カメラに三脚をつける時間がないほどタイトなスケジュールでの撮影だったという。皮ジャンを着て、ヘッドフォンを付け、水中眼鏡を付けた修が眠りから目を覚まし、冷蔵庫の扉を開き、新聞紙を首から下げ、トマトコンビーフリッツ魚肉ソーセージに次々とかぶりつき、口で栓を開けた牛乳で喉に流し込む。もともとは最後に牛乳を画面にぶっ掛けたところで画面を白転させ、そこにメインタイトルを表示するという案であったが、スポンサー等から「食品を粗末に扱うこと」へのクレームが入り、その直前の画面をストップモーションにすることで対処された[注釈 1]

主演の萩原健一の回想によると、「製作側(演出を担当した映画監督ら)は『タイトルバック不要でいいんじゃないか』って話だったんだが、スポンサーサイドから『ないとダメだ』と言われたため、恩地(日出夫)さんと木村(大作)さんで急遽撮影したものだった」のだとのこと[10]。萩原は「どさくさ紛れに、時間稼ぎでやったやつだったね」と語っている[10]

マルコ・フェレーリ監督の映画「最後の晩餐」をイメージして撮影された。また、新聞紙を用いるアイデアは萩原が目撃した工事現場の配管工がモデルで、「弁当を食べながら新聞紙で度々口を拭く仕草がおかしかった」ため採用された[11][12]
演出

深作欣二は「仁義なき戦いシリーズ」五部作の最終作・『仁義なき戦い 完結篇』と「新仁義なき戦いシリーズ」一作目の『新仁義なき戦い』の間に演出を担当[13]。深作は本企画には参加する暇がなく「ショーケンでこういうのやりたいんだけど」と言われ参加した。前述のタイトルバック(オープニング映像)と二話分を恩地日出夫が撮影していたが、放映では前後して深作が演出した二話分が第一話と三話になった[13]。萩原健一は深作に会うなり「何で僕は『仁義なき戦い』に出られなかったのか」「僕があそこに出てなかったのは自分でも信じられない」と話していたと言い、本作品の撮影はスムーズに進んだという[13]。深作はこの「傷だらけの天使」で初めて木村大作カメラマンと組んだが、木村も『仁義なき戦い』を観ていたから、手持ちキャメラでも負けないと、オートバイに乗ってキャメラを担いだという[13]。この第一話で萩原扮する木暮修が古美術屋に強盗用のモデルガンを借りに来るシーンがあるが、その店の店主が金子信雄広島弁を喋る『仁義なき戦い』の山守親分のようなキャラクターで登場する。萩原がもごもごと「このオジさんむかし広島でヤクザの親分だったから」などというシーンがある。「仁義なき戦いシリーズ」撮影中が縁でのカメオ出演と思われる。

演出を映画監督が担当したために現場でテレビドラマの厳密な尺が計算出来ておらず、プロデューサーが急遽脚本家に連絡する等苦労した筈だという裏話を後年主演の萩原が明かしている[14]

ほとんどの回でヌードシーンがあった初期の頃(#内容の節で詳述)、視聴者の目を気にして放送直前まで編集を重ねていたこともあり、ロマンポルノのエースと言われた神代辰巳監督の第4話「港町に男涙のブルースを」では事前にエロチックなシーンを中心に3箇所カットしている[1]

最終話冒頭での地震のシーンは、映画『日本沈没』から流用している[15]
衣装

衣装協力としてBIGIがクレジットされており、菊池武夫が担当した。萩原健一演じる木暮修の服やスタイルは、当時の若者に多大な影響を与えた。後に衣装はBIGIで売れ残った品を買い取って使用されたと話している[注釈 2][16]
関連楽曲

綾部貴子の出演シーンでかかる印象深い音楽の曲名は「
マヅルカ」。作詞・ハンス・モラー、作曲・ペーター・クロイダー。1935年ドイツヴィリ・フォルスト監督による同名映画の中の1曲で、歌っているのは主演女優のポーラ・ネグリ。この曲は、以前に岸田今日子が寺山修司作のNHKドラマに出演した際にBGMとして使用され、気に入ったものだった。本作の市川森一のシナリオにはマレーネ・ディートリヒとの指定があったが、岸田はこの曲の使用を熱望した。しかし既にレコードは廃盤、制作サイドの音蔵にもこの曲が無かったため、岸田が知人のテレビ局員からレコードを借りてきて撮影に臨んだという。2019年現在、日本ではCD化されていない。なお、ドイツで発売されたCD『Erfolge, Sammlerstucke & Raritaten: Historische Aufnahmen aus den Jahren 1935-1940 - Peter Kreuder』[17] に、原題の「Ich spur in mir」で収録されている(他のアルバムでは、ポーラ以外のヴォーカルや、アレンジの異なるインストゥルメンタルバージョンが確認されている)。iTunes Storeなどでダウンロード購入可。

第6話では以下のクラシック曲の使用が確認できる。

エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ作曲 オペラ「マドンナの宝石」の間奏曲。

ヴィヴァルディ作曲 ヴァイオリン協奏曲第7番ニ短調「夕焼け」。

プッチーニ作曲 オペラ「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」。

バッハ作曲 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調。


第10話の新宿駅地下のコインロッカー前でのBGMは渡哲也の「くちなしの花」だったが、版権上の理由からソフト化の際に竜鉄也の「奥飛騨慕情」に差し替えられた。

たまらん節 … 萩原健一が撮影の辛さ[注釈 3] から自作したとされる曲。市川森一はこの曲に着想を得て「道化師にたまらん節を」というタイトルでシナリオを書いたが、オンエア時には「ピエロに結婚行進曲を」(第9話)に変えられていたという。

25回と最終回のラストシーンでの使用が印象深い挿入歌は「一人」。作詞・岸部修三、作曲・井上堯之。ザ・ゴールデン・カップスの元リーダー・デイヴ平尾の、1972年10月発売のソロデビュー曲「僕達の夜明け」のB面の既発曲を使用した。のちに萩原健一の主演ドラマ「祭ばやしが聞こえる」でも挿入歌として使用、歌は柳ジョージが担当した[注釈 4]

ほかに印象深い楽曲としては、第4話での「浪曲子守唄」、第6話での「おかあさん」、第21話での「ラバウル小唄」、そして最終回で亨が噴水に入る直前に口ずさむ「船頭小唄」などがあげられる。


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