傷だらけの天使
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また、新聞紙を用いるアイデアは萩原が目撃した工事現場の配管工がモデルで、「弁当を食べながら新聞紙で度々口を拭く仕草がおかしかった」ため採用された[11][12]
演出

深作欣二は「仁義なき戦いシリーズ」五部作の最終作・『仁義なき戦い 完結篇』と「新仁義なき戦いシリーズ」一作目の『新仁義なき戦い』の間に演出を担当[13]。深作は本企画には参加する暇がなく「ショーケンでこういうのやりたいんだけど」と言われ参加した。前述のタイトルバック(オープニング映像)と二話分を恩地日出夫が撮影していたが、放映では前後して深作が演出した二話分が第一話と三話になった[13]。萩原健一は深作に会うなり「何で僕は『仁義なき戦い』に出られなかったのか」「僕があそこに出てなかったのは自分でも信じられない」と話していたと言い、本作品の撮影はスムーズに進んだという[13]。深作はこの「傷だらけの天使」で初めて木村大作カメラマンと組んだが、木村も『仁義なき戦い』を観ていたから、手持ちキャメラでも負けないと、オートバイに乗ってキャメラを担いだという[13]。この第一話で萩原扮する木暮修が古美術屋に強盗用のモデルガンを借りに来るシーンがあるが、その店の店主が金子信雄広島弁を喋る『仁義なき戦い』の山守親分のようなキャラクターで登場する。萩原がもごもごと「このオジさんむかし広島でヤクザの親分だったから」などというシーンがある。「仁義なき戦いシリーズ」撮影中が縁でのカメオ出演と思われる。

演出を映画監督が担当したために現場でテレビドラマの厳密な尺が計算出来ておらず、プロデューサーが急遽脚本家に連絡する等苦労した筈だという裏話を後年主演の萩原が明かしている[14]

ほとんどの回でヌードシーンがあった初期の頃(#内容の節で詳述)、視聴者の目を気にして放送直前まで編集を重ねていたこともあり、ロマンポルノのエースと言われた神代辰巳監督の第4話「港町に男涙のブルースを」では事前にエロチックなシーンを中心に3箇所カットしている[1]

最終話冒頭での地震のシーンは、映画『日本沈没』から流用している[15]
衣装

衣装協力としてBIGIがクレジットされており、菊池武夫が担当した。萩原健一演じる木暮修の服やスタイルは、当時の若者に多大な影響を与えた。後に衣装はBIGIで売れ残った品を買い取って使用されたと話している[注釈 2][16]
関連楽曲

綾部貴子の出演シーンでかかる印象深い音楽の曲名は「
マヅルカ」。作詞・ハンス・モラー、作曲・ペーター・クロイダー。1935年ドイツヴィリ・フォルスト監督による同名映画の中の1曲で、歌っているのは主演女優のポーラ・ネグリ。この曲は、以前に岸田今日子が寺山修司作のNHKドラマに出演した際にBGMとして使用され、気に入ったものだった。本作の市川森一のシナリオにはマレーネ・ディートリヒとの指定があったが、岸田はこの曲の使用を熱望した。しかし既にレコードは廃盤、制作サイドの音蔵にもこの曲が無かったため、岸田が知人のテレビ局員からレコードを借りてきて撮影に臨んだという。2019年現在、日本ではCD化されていない。なお、ドイツで発売されたCD『Erfolge, Sammlerstucke & Raritaten: Historische Aufnahmen aus den Jahren 1935-1940 - Peter Kreuder』[17] に、原題の「Ich spur in mir」で収録されている(他のアルバムでは、ポーラ以外のヴォーカルや、アレンジの異なるインストゥルメンタルバージョンが確認されている)。iTunes Storeなどでダウンロード購入可。

第6話では以下のクラシック曲の使用が確認できる。

エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ作曲 オペラ「マドンナの宝石」の間奏曲。

ヴィヴァルディ作曲 ヴァイオリン協奏曲第7番ニ短調「夕焼け」。

プッチーニ作曲 オペラ「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」。

バッハ作曲 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調。


第10話の新宿駅地下のコインロッカー前でのBGMは渡哲也の「くちなしの花」だったが、版権上の理由からソフト化の際に竜鉄也の「奥飛騨慕情」に差し替えられた。

たまらん節 … 萩原健一が撮影の辛さ[注釈 3] から自作したとされる曲。市川森一はこの曲に着想を得て「道化師にたまらん節を」というタイトルでシナリオを書いたが、オンエア時には「ピエロに結婚行進曲を」(第9話)に変えられていたという。

25回と最終回のラストシーンでの使用が印象深い挿入歌は「一人」。作詞・岸部修三、作曲・井上堯之。ザ・ゴールデン・カップスの元リーダー・デイヴ平尾の、1972年10月発売のソロデビュー曲「僕達の夜明け」のB面の既発曲を使用した。のちに萩原健一の主演ドラマ「祭ばやしが聞こえる」でも挿入歌として使用、歌は柳ジョージが担当した[注釈 4]

ほかに印象深い楽曲としては、第4話での「浪曲子守唄」、第6話での「おかあさん」、第21話での「ラバウル小唄」、そして最終回で亨が噴水に入る直前に口ずさむ「船頭小唄」などがあげられる。

本放映終了後の1975年9月15日に発売された萩原のシングル「お前に惚れた」のB面(カップリング)に、水谷が参加し、このドラマの世界を再現したかのような楽曲「兄貴のブギ」が収録された(『萩原健一の世界』『俺たちのメロディー 5』などのCDに収録。iTunes Storeなどでダウンロード購入可)。水谷が一節歌う部分があり、2人のセリフの掛け合いも楽しめる。

2010年春ごろ「傷だらけの天使 完全版サウンドトラック+4」のCD発売情報が出た。LPレコード『太陽にほえろ!/傷だらけの天使 オリジナル・サウンド・トラック主題曲集』をベースに、同名のミュージックテープ版にだけ入っていた「傷だらけの天使M3」の初CD化など収録曲を大幅に追加、さらに「マヅルカ」「一人」「兄貴のブギ」の収録と、これ以上はない究極の完全盤との触れ込みだった。しかし諸般の事情から企画変更、同年5月に『音楽家・大野克夫の世界?「傷だらけの天使」「太陽にほえろ!」「名探偵コナン」?』が発売された。この商品で「傷だらけの天使M3」が初CD化となったものの、制作上の都合で短いドラムソロ部分はカットされた。

放送状況

広島県では、本来日本テレビ系列は広島テレビだが、フジテレビ系列とのクロスネット局という事情により同局の編成から外れたため、系列外の広島ホームテレビNETテレビ系列)の火曜22:00枠で遅れネットしていた[注釈 5]。なお、テレビ新広島(フジテレビ系列)開局による4局化後は、日本テレビ系列フルネット局となった広島テレビでも再放送が行われた[19]

宮城県ではミヤギテレビがNET系列とのクロスネット局だった関係で、広島ホームテレビと同じ火曜22:00枠で遅れネットしていた[20]

岩手県ではテレビ岩手がミヤギテレビ同様NET系列とのクロスネット局だった関係で、水曜21:00枠で遅れネットしていた[21]

中京広域圏では、中京テレビがかつての名古屋テレビとの変則クロスネットの名残で土曜22:00枠で東京12チャンネルの時代劇『大江戸捜査網』を遅れネットしていたため、押し出される形で『傷だらけ?』も土曜17:00枠で遅れネットになっていた。最終回のみ編成上の都合で1975年4月5日昼12:45から放送された。[22]

2017年にはTwellVで放送された。

修と亨の人物設定

萩原健一はスポーツライターの赤坂英一との対談(青春のバイブル「アニキ?」と「アキラ!」の時代『傷だらけの天使』を語ろう 週刊現代連載『熱闘スタジアム』第11回 2012.05.03)で「修と亨って本当は在日朝鮮人という設定なんです。市川(森一)さんとそう話し合っていた。修は中卒で、亨は中学も卒業してない。だけど、在日という設定は放送段階では通らなかった。今では韓流ドラマとK-POPが大流行して、広く親しまれているけれど、あの頃は在日の人への偏見があり、ドラマで触れることはタブーでした。だからこそ、やりたかったんだけど、日テレは『それは、ちょっと・・・・・・』と繰り返すばかり。この設定が通らなかったとき、一度は市川さんとの間でやめようと話しました。それじゃあ、あのドラマはできないと思うほど、あの設定にはこだわりがありましたから」と語り「市川さんは最後まで隠された設定をふまえて書いたんですか?」と赤坂が問うと「そうです。


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