催眠
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非状態論とは、催眠を通常の心理反応の一つとして捉えようとする理論のことである[48][49][50]。定義からわかるように両者の理論は真っ向から対立しており、催眠学界は、状態論派と非状態論派に分裂することになった。この対立に関しては非状態論で詳しく取りあげる[48]

2000年以降、脳の画像診断による催眠研究が進められており、催眠が大脳生理と関連の深い現象であることが示唆されている。しかし、低催眠感受性の被験者には、高催眠感受性の被験者に見られたような脳の反応は見られず、本当に大脳生理が催眠と関係しているのかについては不明である[51]
状態論

状態論の一つとして、ヒルガードが提唱した新解離理論が挙げられる[52]

新解離理論(the neodissociation theory)とは、催眠によって生ずる意図しない行動(例:腕が勝手に揚がる)を心的解離によるものだと主張した理論である。この理論の名称は、ジャネが提唱した解離説から来ているが、ヒルガードはジャネとは異なり解離を正常な反応と考えていた[52]。ここから分かるようにヒルガードの新解離理論とジャネの解離説は全くの別物である。

本理論は、人間の認知システムを複数の認知制御構造と、それらを統括する統括自我に分けて捉えている。催眠によって統括自我に何らかの異常が発生すると、ある特定の認知制御構造は統括自我の管理から外れる(解離)してしまう。これによって意図しない行動が生ずるというのが、新解離理論の要点である[53]

ヒルガードは催眠の鎮痛効果を新解離理論で次のように説明した[54]
催眠暗示によって認知制御構造が統括自我から分離される。

すると痛みは「意識される痛み(顕在痛)」と「意識されない痛み(潜在痛)」に分離される。潜在痛を認知するには、意識の分割によって起こる「隠れた観察者」という存在が必要である。

被験者は顕在痛の部分しか意識的に痛みを感じることは無いため、鎮痛効果が生じる。

非状態論

非状態論に分類される理論として、社会認知理論がある。ただし、社会認知理論は単一の理論ではない。複数の認知心理学、社会心理学の理論から構成されるものである[55]

社会認知理論には、役割取得、課題動機付け、目的志向空想、反応期待といった説が含まれる。このうち課題動機付け説を提唱したのはバーバー(Barber)であり、状態論に真っ向から反論した人物として知られる[56]

課題動機付け説とは、催眠反応が被験者の動機付けによって起こるとする説である。バーバーは課題動機付け説を証明するため、被験者に対し催眠反応が想像によって起こることを強調した上で、誘導者の言葉に集中させる実験を行った。実験の結果、通常の覚醒状態でも催眠特有の反応(腕挙上、のどの渇き、健忘など)が催眠誘導無しに生ずることが証明された[56]。ハーバーはこれを踏まえ「変性意識という概念は催眠反応を説明する上で不要である」と主張した。課題動機付け説で催眠現象を十分に説明できるとしたのである[56]

しかし本説に対し、状態論派から「これでは被験者が催眠にかかった振りをしていても催眠とみなすことになってしまう」という批判が起こった。これに対しスパノスは、被験者は催眠下にあるという役割に集中しており、その上で与えられた課題をこなしているのだと反論した[57]

また、スパノスはヒルガードが提唱した「隠れた観察者」も外部からの指示によって生じていると反論した。スパノスは持論を証明するため、高催眠感受性の被験者を二つのグループに分けて催眠の鎮痛に関する実験を行った。一方のグループにはヒルガードの報告通りの情報を与え、もう一方のグループには先ほどのグループとは逆の情報を与えた。実験の結果、二つのグループには逆の結果が現れた[58]
催眠の歴史
催眠術という呼称と動物磁気説詳細は「動物磁気説」を参照

18世紀の医師フランツ・アントン・メスメルは動物磁気療法を考案した。メスメルは人間や動物の体を動かす磁気力「動物磁気」(animal magnetism) があると考え[59]、動物磁気は磁気を帯びた流体であり、電気や引力のような物理的な力であるとした[60]動物磁気説)。メスメルは動物磁気の不均衡によって病気になると考え、これを操作して病気を治療しようと試みた[59](治療方法はフランツ・アントン・メスメル#治療の手順を参照)。動物磁気療法はメスメリズムと呼ばれるようになったが、これは19世紀のイギリス医師ジェイムズ・ブレイドの造語だとされる。メスメリズムの治療から発展した科学的技術をヒプノシス(催眠)という。

現代の催眠に携わる人の間では「催眠は魔術的なものではなく科学であるから、催眠術ではなく催眠・催眠法という表現を使うべき」という主張もある[61]
メスメル以後の催眠研究の歴史

イギリスの医師ジェイムズ・ブレイド(James Braid, 1795-1860)は、メスメル以後の治療を技法(言葉、パスという身振り、接触)と道具立て(バケツ、奇抜な衣装、暗い部屋、音楽、熱狂)、治癒対象(麻痺や失神を伴うヒステリー)に分類した。彼は凝視法により、被験者を催眠へ誘導した。これは被験者に一点を見つめるように指示をすることで、術者の声へ集中させ、術者の暗示を受け入れやすくする方法である。つまり、動物磁気を使わずに催眠状態が生じることを実証したのである。また、視覚障碍者にも凝視法の暗示を用いて催眠へ誘導し、これにより催眠が心理現象であることを示した[62] 彼は、暗示により神経系の眠りを引き起こすと考え、1843年に催眠(ヒプノシスまたはピプノチズム)と名付けた[63]

精神医学者のジャン=マルタン・シャルコー(J. M. Charcot, 1825-1893, フランス)は、ブレイドの研究を読んで、催眠に関心を持った。19世紀後半は、ヒステリー(英:hysteria)が医学的に最大の関心事であったためである。ヒステリーは、ラテン語のヒュステラ(huster?、子宮)から派生した言葉で、当時は女性だけがなるものと思われており、失神、麻痺、痙攣、拒食など重い症状を示すものだった。シャルコーは、1861年からパリにあるサルペトリエール病院の院長を務めた。


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