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語義
用例

中国の古代史書で、日本列島に居住する人びとである倭人を指した[2]

説文解字では「従順なさま。詩経に曰く“周道倭遲(周への道は曲がりくねり遠い)”。」と解説されている[7]康熙字典によれば、さらに人名にも使用され、例えば魯の第21代王宣公の名は「倭」であると書かれている[8]

隋書』では?とも記し、『隋書』本紀では「倭」、志・伝で「?」とある。「?」は「倭」の別字である可能性もあるが詳細は不明である[9]

のち和と表記される。奈良時代中期頃(天平勝宝年間)から同音好字の「和」が併用されるようになり、次第に「和」が主流となっていった。例えば鎌倉時代の徒然草には「和国は、単律の国にて、呂の音なし」(199)とあり[10]、また親鸞も和国と記している。

現代の日本では、倭の字はいくつかの場面で使われている。人名用漢字の一つとして選ばれている他、東京には「倭」という手作り弁当のチェーン店がある。公立学校として三重県津市長野県中野市に倭小学校が存在する。奈良県には北倭保育園(私立)が存在する。日経ビジネスオンラインでは、海外で働く日本人に対し、華僑という言葉を参考にして「倭僑」という言葉を提案した[11]。中国には貴州省清鎮市に犁倭という地名が存在する。
解釈

日本列島に住む人々が倭・倭人と呼称されるに至った由来にはいくつかの説があるが、いずれも定説の域には達していない。

平安時代初期の『弘仁私記』序にはある人の説として、倭人が自らを「わ」(吾・我)と称したことから「倭」となった、とする説を記している。

一条兼良は、『説文解字』に倭の語義が従順とあることから、「倭人の人心が従順だったからだ」と唱え(『日本書紀纂疏』)、後世の儒者はこれに従う者が多かった。

江戸時代木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたとする説を述べている。現在でも、ピグミーマーモセットの中国語表記は「倭?」、「コビトカバ」は「倭河馬」で、倭は小ささを表す言葉である。

新井白石は『古史通或問』にて「オホクニ」の音訳が倭国であるとした。

代の中国では、「韻書」と呼ばれる字書がいくつも編まれ、それらには、倭の音は「ワ」「ヰ」両音が示されており、ワ音の倭は東海の国名として、ヰ音の倭は従順を表す語として、説明されている。すなわち、隋唐の時代から国名としての倭の語義は不明とされていた。

また、平安時代の『日本書紀私記』丁本においても、倭の由来は不明であるとする。

さらに、本居宣長も『国号考』で倭の由来が不詳であることを述べている。

神野志隆光は、倭の意味は未だ不明とするのが妥当としている[12]

悪字・蔑称説

旧唐書・東夷伝・日本国の条』に「或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本(あるいは曰く、倭国自らその名の雅ならざるを悪みて、改めて日本となす)」とある。

江戸時代木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたとする説を述べ、他にも「倭」を蔑称とする説もあるが、「倭」の字が悪字であるかどうかについても見解が分かれる。「倭」を悪字とすれば、記録を残した側の「魏」は小柄な亡霊(矮鬼)で倭より酷い蔑称になってしまう。『魏志倭人伝』や『詩経』(小雅、四牡)などにおける用例から見て、倭は必ずしも侮蔑の意味を含まないとする見解がある。それに対して「卑弥呼」や「邪馬台国」と同様に非佳字をあてることにより、中華世界から見た夷狄であることを表現しているとみなす見解もある。

なお、古代中国において日本列島を指す雅称としては瀛洲(えいしゅう)・東瀛(とうえい)という呼称がある[13]。瀛洲とは、蓬?方丈ともに東方三神山のひとつである。詳細は「瀛州」を参照
倭の国々漢委奴国王印

冒頭で掲げたように、「倭」には現在の西日本および奈良盆地という2つの意味があるが、ここでは広義の「倭」つまり西日本における小国分立時代の国々について若干ふれる(古墳時代を通じて徐々に小国連合が成立して「倭国」というひとつのまとまりが生まれてからについては「倭国」を参照のこと)。

魏志』倭人伝にみられる「奴国」は、福岡市春日市およびその周辺を含む福岡平野が比定地とされている。この地では、江戸時代に『後漢書』東夷伝に記された金印漢委奴国王印」が博多湾北部に所在する志賀島の南端より発見されている。奴国の中枢と考えられているのが須玖岡本遺跡(春日市)である。そこからは紀元前1世紀にさかのぼる前漢鏡が出土している。

伊都国」の中心と考えられるのが糸島平野にある三雲南小路遺跡糸島市)であり、やはり紀元前1世紀の王墓が検出されている[14]

紀元前1世紀代にこのような国々が成立していたのは、玄界灘沿岸の限られた地域だけではなかった。唐古・鍵遺跡の環濠集落の大型化などによっても、紀元前1世紀には奈良盆地全域あるいはこれを二分、三分した範囲を領域とする国が成立していたものと考えられる[14]
脚注[脚注の使い方]^ 諏訪春雄編『倭族と古代日本』(雄山閣出版、1993)・ ⇒諏訪春雄通信100
^ a b『中国史のなかの日本像』王勇参照。
^ 松本馨編 (2001)「邪馬台国論争」p.14
^ 安本美典(1991)「卑弥呼は日本語を話したか」p.47
^ 白石 (2002) p80、原出典は直木孝次郎 (1970)
^ 李学勤主編 『字源』 天津古籍出版社、遼寧人民出版社、2012年、931頁。
^ 説文解字, 順皃。从人委声。詩曰:“周道倭?。”
^ 康熙字典, ⇒[1],倭, 又人名。魯宣公名倭。
^ 井上訳注『東アジア民族史I』(1974) pp320-1.また加藤『漢字の起源』九 (1970)
^ 「デジタル大辞泉」。
^「倭僑」の製造が日本の未来を変える 日経ビジネスオンライン 2010年8月31日
^ 神野志 (2005)『「日本」とは何か』
^ 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、68頁。
^ a b 白石 (2002) p.40-43

関連項目

日本

日本人大和民族和人

倭国

倭人

倭国造

倭京

ヤマト王権

倭・倭人関連の中国文献

倭・倭人関連の朝鮮文献

日本の歴史

ワクワクジパング

出典

加藤常賢『漢字の起原』角川書店、1970年、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-040-10900-7


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