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神野志隆光は、倭の意味は未だ不明とするのが妥当としている[12]

悪字・蔑称説

旧唐書・東夷伝・日本国の条』に「或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本(あるいは曰く、倭国自らその名の雅ならざるを悪みて、改めて日本となす)」とある。

江戸時代木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたとする説を述べ、他にも「倭」を蔑称とする説もあるが、「倭」の字が悪字であるかどうかについても見解が分かれる。「倭」を悪字とすれば、記録を残した側の「魏」は小柄な亡霊(矮鬼)で倭より酷い蔑称になってしまう。『魏志倭人伝』や『詩経』(小雅、四牡)などにおける用例から見て、倭は必ずしも侮蔑の意味を含まないとする見解がある。それに対して「卑弥呼」や「邪馬台国」と同様に非佳字をあてることにより、中華世界から見た夷狄であることを表現しているとみなす見解もある。

なお、古代中国において日本列島を指す雅称としては瀛洲(えいしゅう)・東瀛(とうえい)という呼称がある[13]。瀛洲とは、蓬?方丈ともに東方三神山のひとつである。詳細は「瀛州」を参照
倭の国々漢委奴国王印

冒頭で掲げたように、「倭」には現在の西日本および奈良盆地という2つの意味があるが、ここでは広義の「倭」つまり西日本における小国分立時代の国々について若干ふれる(古墳時代を通じて徐々に小国連合が成立して「倭国」というひとつのまとまりが生まれてからについては「倭国」を参照のこと)。

魏志』倭人伝にみられる「奴国」は、福岡市春日市およびその周辺を含む福岡平野が比定地とされている。この地では、江戸時代に『後漢書』東夷伝に記された金印漢委奴国王印」が博多湾北部に所在する志賀島の南端より発見されている。奴国の中枢と考えられているのが須玖岡本遺跡(春日市)である。そこからは紀元前1世紀にさかのぼる前漢鏡が出土している。

伊都国」の中心と考えられるのが糸島平野にある三雲南小路遺跡糸島市)であり、やはり紀元前1世紀の王墓が検出されている[14]

紀元前1世紀代にこのような国々が成立していたのは、玄界灘沿岸の限られた地域だけではなかった。唐古・鍵遺跡の環濠集落の大型化などによっても、紀元前1世紀には奈良盆地全域あるいはこれを二分、三分した範囲を領域とする国が成立していたものと考えられる[14]
脚注[脚注の使い方]^ 諏訪春雄編『倭族と古代日本』(雄山閣出版、1993)・ ⇒諏訪春雄通信100
^ a b『中国史のなかの日本像』王勇参照。
^ 松本馨編 (2001)「邪馬台国論争」p.14
^ 安本美典(1991)「卑弥呼は日本語を話したか」p.47
^ 白石 (2002) p80、原出典は直木孝次郎 (1970)
^ 李学勤主編 『字源』 天津古籍出版社、遼寧人民出版社、2012年、931頁。
^ 説文解字, 順皃。从人委声。詩曰:“周道倭?。”
^ 康熙字典, ⇒[1],倭, 又人名。魯宣公名倭。
^ 井上訳注『東アジア民族史I』(1974) pp320-1.また加藤『漢字の起源』九 (1970)
^ 「デジタル大辞泉」。
^「倭僑」の製造が日本の未来を変える 日経ビジネスオンライン 2010年8月31日
^ 神野志 (2005)『「日本」とは何か』
^ 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、68頁。
^ a b 白石 (2002) p.40-43

関連項目

日本

日本人大和民族和人

倭国

倭人

倭国造

倭京

ヤマト王権

倭・倭人関連の中国文献

倭・倭人関連の朝鮮文献

日本の歴史

ワクワクジパング

出典

加藤常賢『漢字の起原』角川書店、1970年、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-040-10900-7

井上秀雄訳注『東アジア民族史-正史東夷伝1』平凡社〈東洋文庫〉、1974年(ワイド版2008年。ISBN 4-256-80264-9)。

西嶋定生『倭国の出現』東京大学出版会、1999年、ISBN 4-130-21064-5

「邪馬台国論争」日本史教育研究会(会長松本馨)編『story 日本の歴史?古代・中世・近世史編』山川出版社、2001年8月、ISBN 4-634-01640-0

白石太一郎『日本の時代史1 倭国誕生』吉川弘文館、2002年、ISBN 4-642-00801-2

神野志隆光『「日本」とは何か』講談社〈講談社現代新書〉、2005年、ISBN 4-061-49776-6

参考文献

直木孝次郎「"やまと"の範囲について」『日本古文化論攷』吉川弘文館、1970年、全国書誌番号:73006001。

岩橋小弥太『日本の国号』吉川弘文館、新装版1997年(初版1970)、ISBN 4-642-07741-3

岡田英弘『倭国』中央公論新社〈中公新書〉、1977年、ISBN 4-121-00482-5

森浩一編『日本の古代1 倭人の登場』中央公論社、1985年、ISBN 4-124-02534-3

田中琢『日本の歴史2 倭人争乱』集英社、1991年、ISBN 4-081-95002-4

井上秀雄『倭・倭人・倭国』人文書院、1991年、ISBN 4-409-52017-2

諏訪春雄編『倭族と古代日本』雄山閣出版、1993年、ISBN 4-639-01191-1

西嶋定生『邪馬台国と倭国』吉川弘文館、1994年、ISBN 4-642-07410-4


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