倫理学
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倫理学(りんりがく、英語: ethics、ラテン語: ethica)または道徳哲学[1](どうとくてつがく、: moral philosophy)、道徳学[1](どうとくがく)は、行動の規範となる物事の道徳的な評価を検討する哲学の一分野。

法哲学政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つが、こちらは国家的な行為についての規範(正義)を論ずることとなる。ただしこれら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。
概観ジェレミー・ベンサムの肖像画。1760?1762

倫理の定義には、人の思考や行動において、何が正しく何が間違っているのか、人はどう生きるべきか、などをあげることができる[2]。倫理学の研究対象とは道徳の概念によって見定めることができる。この道徳の定義の問題に対して異なる見解が示されているが、一般的に道徳とは社会において人々が依拠するべき規範を確認するものである。しかし、道徳とは理性によりもたらされるものであるのか、感情によってもたらされるものであるかについては議論が分かれている。スコットランドの哲学者であるデイヴィッド・ヒューム(『人間本性論』)は、哲学的経験主義、懐疑主義、自然主義で知られている[3][4]。ヒュームを拠り所とする論者は、事実についての「である」という言明(命題)のみから規範についての「であるべき」という言明を結論付けることは論理的にできない、と説く。これはヒュームの法則とも呼ばれる主張であり、理性によって道徳的な判断を導くことは不可能であると考える。ヒュームは道徳的な判断が感情に起因するものであるという立場にあり、より厳密には自身の利益から道徳性が発生したとも論じている。
歴史
ヨーロッパ

イタリアのトマス・アキナス、ドイツのカント、イギリスのホッブス、ベンサム、ミルらが倫理学の発展に貢献した。ベンサム、ミルが唱えたのが功利主義である。イマヌエル・カントは理性から道徳法則を導き出している。カントは道徳性を自由選択と関連づけて理解しており、人間は自分自身の理性に従う時にだけ自由になることができると考える。そして理性によって人格として行為するための道徳的な規範の実在が主張される。このような道徳性の根源についての研究はメタ倫理学(meta-ethics)の研究として包括することができる。一方でカントは倫理に反する反ユダヤ主義の思想を持っていたことも、よく知られている[5][6]

また道徳性の具体的な内容については規範倫理学(normative ethics)という研究領域で扱われている。この領域で古典的アプローチの一つに徳倫理学がある。プラトンアリストテレスの研究はその中でも最も古い研究であり、彼の分析は人間に固有の特徴に基づいた美徳を中心に展開している。例えば危機に際して蛮勇でも臆病でもなく、その中庸の勇敢さを発揮する人間の特性を指して美徳と呼ぶ。このような研究に対して義務論の学説は道徳規則に基づいている。カントは人間の道徳法則としてどのような場合においても無条件に行為を規定する定言命法という原理を提唱した。[7][8][9]この立場において人間は実在する道徳規則に対して従う義務を負うことが主張される。また義務論と反対の立場に置くことができる立場として結果論の立場がある。この立場に立った功利主義の理論がジェレミー・ベンサムによって提示されている。ベンサムによれば、行為を正当化する時の判断の基準点とは行為によってもたらされる結果であり、具体的には効用によって計算される。ベンサムは行為がもたらす快楽の程度を最大化するように行為する『最大多数の最大幸福』の原理を提唱した。
ギリシア・ローマ

古代ギリシア伝統神話に囚われない哲学的営みは、アナトリア半島小アジア半島)西海岸のイオニア学派に始まる「自然哲学」と、イタリア半島南部(マグナ・グラエキア)のイタリア学派ピタゴラス学派エレア派)に始まる「数理哲学論理哲学」という2つの潮流が主導する形で始まった[10][11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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