借りぐらしのアリエッティ
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メアリー・ノートンファンタジー小説床下の小人たち』(en:The Borrowers)が原作となっている[5]。この作品は1952年に出版され、この年のカーネギー賞を受賞している。この『床下の小人たち』のアニメーション化は、本作の約40年前にも宮崎駿高畑勲が企画していたが叶わず、2008年初夏に宮崎によって改めて企画され、本作として実現に至った[6]

宮崎の企画書の段階では『小さなアリエッティ』と題されていた。これは宮崎が主人公の「アリエッティ」という名前の響きが好きでずっと覚えていたためであるが、プロデューサーの鈴木敏夫との対話で「借りぐらし」という設定が今の時代にぴったりだという話に触れたことから、更に『借りぐらしのアリエッティ』へと改題された[6]。脚本は宮崎が中心に発案し、丹羽圭子が取りまとめるという体制となった。宮崎は記憶を頼りに独自の解釈を加えており、アリエッティと少年の淡い恋物語としても描いている[7][8]盛美館(青森県平川市盛美園

原作では19 - 20世紀のイギリス[注釈 3]を舞台とするが、本作では現代の日本に舞台を移している。この翻案について宮崎は、より身近な舞台を設定することで、描写にあたり自分たちの暮らしを改めて考えたり、小人たちを自分たちの立場に引き寄せて描くといった意図を明かしている[9]。企画書では「場所は見慣れた小金井かいわいで良い[6]」とされたが、これは制作にあたっての参考であり、公式に舞台地は特定されていない[10]。登場する和洋折衷の屋敷や庭園は、青森県平川市盛美園がモデルとされた[10]。また、東京都小金井市の「はけの森美術館」の水路の風景も参考にされたといわれている[11]

もう一人の主人公である翔について、米林監督は、アリエッティとは対照的な背景を持ったキャラクターとして描いており、そうした翔とアリエッティの対等な交流を描くことで、翔の心が解放されてゆく物語を意図していると明かしている[12][13]。また、翔のキャスティングは、キャラクターデザインの段階から神木隆之介を想定していた[14]。作画スタッフは作画ルームにも神木のポスター等を貼り、動作・表情の研究をしたとされ、神木は翔のキャラクター自体のモデルとされる。

監督には宮崎の発案から若手を起用する方針が決まっており、鈴木の提案により中堅アニメーターの米林宏昌が起用された[15][16]。鈴木が米林を提案した理由は諸説あり、鈴木は、昼食時によく顔を合わせていたため名前が浮かんだ[15]とも、宮崎が大事にしているアニメーターなので監督に指名したら宮崎が困るだろうと思った[16]とも(ざっくばらんな話と前置きした上で)述べている。宮崎は、監督になりたがる野心的な人間がいない中での賭けだと述べ、米林について、アニメーターとしての才能のほか、飾らず人に好かれる人徳があると述べている[17][18]

本作の約40年前に宮崎と高畑が構想した企画は『チッカポッカ』といった題の、小人たちが狩りをするといった内容であったが、その後、宮崎による別の企画へと発展した[19]。宮崎が東京ムービーに提出した企画ではコロポックルの兄妹が天井裏に住み着いて珍騒動を起こすといったユーモラスな物語が想定されており、この原案は企画段階で藤子・F・不二雄によって大幅に改変され『ジャングル黒べえ』に結実した[20][21][22]
公開に向けて

2010年5月8日より全国約20箇所の劇場で、テント生地で作られた縦1.8m×横10.5mの超パノラマサイズポスターが張り出された。[23]公開に先立つ7月11日の試写会には、ギャルママ雑誌『アイラブママ』の人気モデルとして知られる日菜あこ野田華子が出席。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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