倍賞美津子
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新日本プロレスの旗揚げ戦時には宣伝カーのナレーションを吹き込んだり[4]豊登道春が紹介した融資先に自身が行ったことで1000万円を融資してもらえたりと、新日本プロレスの旗揚げには倍賞の貢献があった。1976年のパキスタン遠征に帯同したのは印象的であり、試合で猪木がアクラム・ペールワンに勝利し、ペールワンの肩を折ったことで暴動が起きかねなかった状況に対して倍賞は「新間さん、私はいいからアントンを頼むわ。」と、冷静な対応をしたと伝わる[5][4]

1979年今村昌平監督の『復讐するは我にあり』にてブルーリボン助演女優賞を受賞して女優としての地位を確立する[1]。庶民的な姉の千恵子とは異なり、都会的な女の情念を表現し独自の世界観を切り開いた[1]。今村監督作品をはじめ、黒澤明監督作品や五社監督作品に多く起用された。

1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文』の演技で国内の映画賞を総なめにする。

1988年、猪木と離婚。離婚の原因については猪木の不倫騒動であり、倍賞もその後、『ショーケン』こと歌手で俳優の萩原健一との熱愛[1]が報じられた[4]。元新日本プロレス社長のサイモン猪木は、実娘でミュージカルアニー』でアニー役を演じた元女優の猪木寛子の元夫である(娘婿)。弟の倍賞鉄夫(2017年8月8日逝去)も長年新日本プロレスでリングアナを務め、後に猪木事務所の社長に就いた。

2002年、『OUT』などの演技で田中絹代賞を受賞する。2003年5月の『新日本プロレス30周年記念東京ドーム大会』にサプライズゲストとして現れ、元夫の猪木とともに「1、2、3、ダー!」を披露した[4]
エピソード

2014年(平成26年)、『キネマ旬報』発表の「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」女優部門で第11位となった [6]

新日本プロレス旗揚げ戦(1972年3月6日/東京都大田区体育館)で、倍賞が自ら宣伝カーのナレーションを担当したことや、1976年に行われたアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦の時に、記者会見で猪木が着用した紋付袴の着付けを自分が行った、などと言ったことがあった[7]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2000年前後に六本木3丁目で居酒屋ばいしょうを姉妹で経営していた。[要出典]

2005年に漫画家の青山剛昌と声優の高山みなみが結婚した際は後見人を務めた。

落語家の柳家権太楼とは幼なじみで、小学校と中学校が同じである。[要出典]

アントニオ猪木の誕生日パーティーの際、頭からリボンを垂らして玄関から飛び出し「私がプレゼント!」と叫び、猪木を驚かせたこともある。[要出典]

3年B組金八先生』では、主人公・坂本金八(武田鉄矢)の同僚の養護教諭・天路里美(通称・アマゾネス)役で第1、第2シリーズに出演。第2シリーズ終了後に金八と結婚する設定になっているが、第4シリーズ開始前に里美は死去した設定になった為、以降は坂本家に飾られる遺影として出演していた(死去の設定後の作品では声の出演で2度登場)。

出演
テレビドラマ

新三匹の侍 第7話「荒馬娘が吠える町」(1970年、フジテレビ) - お圭 役

徳川おんな絵巻 第3話「いれずみ美女」、第4話「炎の肌」(1970年、関西テレビ) - お咲 役

大河ドラマNHK

春の坂道(1971年) - おさめ 役

龍馬伝(2010年) - 岩崎美和


顔で笑って(1973年 - 1974年、TBS) - 花田徳子 役

ふりむくな鶴吉 第17話「冬の女」(1975年、NHK) - あや 役

剣と風と子守唄 第18話「母ちゃんの鐘」(1975年、日本テレビ) - おたつ 役

ナショナルゴールデン劇場 七色とんがらし (1976年、NETテレビ) - 鮫島直子 役

新・座頭市 第3シリーズ 第6話「糸ぐるま」(1979年、フジテレビ) - おヨネ 役

探偵物語(1979年 - 1980年、日本テレビ) - 相木政子 役

土曜ワイド劇場 夜の終る時 警官殺しを追え!(1979年、テレビ朝日


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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