個別言語学は、その研究対象である個別言語について、言語学において扱われる様々な事象局面を研究内容とする。従って、言語学一般において、音声学、音韻論、形態論、統辞論(シンタックス)、文法学、意味論、記号学があるのに準じて、個別言語に特有なこれらの研究事象が存在する。
日本語には、固有な音声学があり、音韻論があり、また形態論が存在する。更に、日本語の文法や統辞論も、また日本語固有に研究することが可能である。 言語学一般における研究事象と異なって来るのは、例えば、日本語の音韻論は、日本語に固有な音韻だけを扱うのであり、その場合、日本語の音素は、k, s, t, n, h, m, y, r, w の子音と、a, i, u, e, o の母音で構成されるのではなく、五十音表で知られる、有限の数の「子音 + 母音」の結合形の「音」が音素となる。少なくとも 4 種類の音がある「ん」は、音素としては一つである。 日本語について、子音と母音を分離して、それぞれ音素とする考えもあるが、個別言語学としての日本語学では、純粋な日本語では、子音は「ん」の音を除き、単独では現れないので、/ka/, /so/ などが音素となる[要出典]。日本語では、「あいうえお」の五つの母音の第二母音である「い」の母音が含まれる「音素」は、他の母音による音素と、子音で見ると異なる子音を使っているため、「子音+母音」で表現する場合は、例えば、サ行の場合、sa, shi, su, se, so のように、イ段だけ異なる子音を当てる表記法がある。しかし日本語のなかで見る限りは、サ行に二種類の子音があると考える必要はない。 言語学一般のなかで、日本語の音韻を論じる場合は、「い列」つまり「第二母音」に加わる子音は、他の列の母音に加わる子音とは異質なものであると識別する必要があるが、日本語学という個別言語学上においては、サ行の場合、サとシの子音を区別する必要はないのである。 日本語の場合も、主語があり、目的語があり、動詞があることに変わりないが、どの単語が主語で、目的語かを示すのに、日本語は、不変化の名詞の語尾に、「格助詞」を接尾させて表現する。 西欧の古典語であるラテン語や古代ギリシア語の場合は、すべての名詞について、主語を示す「主格」、目的語を示す「対格(目的格)」などの特有の語尾変化(屈折語尾)によって示される「文法格」が存在し、これによって、どの単語が主語で目的語かを示すことができる。 一見すると、日本語の格助詞は、ラテン語などの「屈折語尾」に対応しているように見えるが、ラテン語などの場合、日本語の「名詞そのもの」に当たる不変化形が存在しない。日本語の「はな(花)」は、これで植物のある要素を示しており、この形で、主語でもなければ目的語でもない。ラテン語の場合、flos(フロース)という単語が存在するが、これは「主格」の形であり、「格」を外した、日本語の「はな」のような不変化単独形は存在しない。 日本語には、格変化は存在していないのであり、インド・ヨーロッパ語族の言語の文法、統辞論では欠かすことのできない格変化の概念や規則が、日本語ではまったく不要である。 また、ラテン語の flos は、男性名詞であり、ラテン語のすべての名詞は、男性か女性か中性の三つの「文法性」のどれかであるが、日本語の名詞には、「文法性」の概念は一切存在していない(日本語には、「男言葉」「女言葉」が存在するが、これは日本語学における重要な文体的指標の一つではあっても、印欧語等の文法性とは別のものである)。 ラテン語の個別言語的な研究であるラテン語学 個別言語学としての日本語学では、統辞論での格変化や性、あるいは音韻論での単独子音や /r/ と /l/ の区別は不要である。しかし、日本語には動詞に付く接尾辞が多数存在する。機能から言えば、西欧語(インド・ヨーロッパ語族)の個別言語における動詞接続法の用法にも似ているが、遙かに多様であり、このような統辞論要素は西欧語には存在しない。 このように、個別言語ごとで、言語としての個別研究が成立し、またそのような研究が必要になるのである。 個別言語の研究の学としての個別言語学は、言語学一般がそうであるように、個別言語の共時的様態と通時的様態の構造研究をその主題として持つ。ソスュールの言語学に淵源するこのような言語の構造様態の研究は、個別言語の空間的な広がりにおけるヴァリエーションと、時間的な広がりにおけるヴァリエーションを研究対象とする。 言語は、空間的・時間的に、構造を維持しつつ絶え間なく変容しつつあり、個別言語のヴァリエーションは、語群 (Language group) の言語学研究にも通じて行く。 ある時間点を指定するとき、個別言語は、空間的な広がりでヴァリエーションを持つ構造の集合となる。通常、地理的な広がりにおいて、個別言語は方言のヴァリエーションに分かれる。方言は構造と語彙における個別言語の部分集合とも考えられ、逆に、方言の集合が、個別言語を定義する。他方、方言を含む広義の変種は、定義された個別言語からの、主として語彙における逸脱を意味し、語彙における逸脱に、文法構造における逸脱が加わって、別の個別言語へと派生乃至混成されて行くのだと言える。 理論的には、特定の個別言語と、それとは別の個別言語のあいだで、連続的な語彙や構造の移行が存在すると考えられる。しかし、現実的に存在し得る個別言語の変種は、変種の視点に立てば、これ自身が個別言語であり、言語が共同体集団のコミュニケーションの媒体であるという要請上にある以上、構造と語彙セットの輪郭は明確なものでなければならない。 (ピジンは語彙セットと構造の双方において安定しておらず、ピジン使用個人ごとの揺れが大きい。従って、ピジンは通常、輪郭が明確でない。しかしピジンはまた安定化することがあり、安定ピジンを母語とする世代が生まれると、それはクレオールになることが知られている。クレオールは混成言語[混合言語]のもっとも原始的な形態と考えられ、最小限の個別言語の資格を有する)。 二つの個別言語が、それぞれの構造を維持したまま混成されて共時的に存在する状態は想像できるが、混成が意識されている限りでは、このような混成状態は、個別言語ではない。個人または社会集団におけるバイリンガルまたはマルチリンガル状態は、マルチリンガル状態が意識されている限りでは、単一の混成個別言語が成立しているのではないのである。 共時的に研究されるのは: 言語は、構造を維持しつつ、時間的に変容して行くものであり、それは語彙において、文法構造において変容して行く。 ある時点において、方言乃至変種の集合から成る個別言語は、時間的に過去に遡って見ると、別の様態の個別言語に収束して行くか、または過去に他の個別言語との相互作用や混成作用が存在した場合は、相互作用や混成の作用に基づいて発散する。過去のある時点から、この言語を未来に向けて見れば、別の様態の個別言語への発散、あるいは相互作用や混成による収束過程を辿っていることになる。 通時的に変容する言語は、そのときどきの共時的なありよう、地理的方言と変種のヴァリエーションと互いに絡み合っているのが通常である。 また個別言語は、一般には、隔絶して存在しているのではなく、他の社会集団との文化交流や接触を通じて、他の個別言語と何らかの関連を持って通時的に変容して行く。比較言語学的に、他の諸個別言語が同系か、同系でないかは別に、個別言語は、広義の地理的に分布する「諸語」のなかにあって通時的な変化を経過すると言うべきである。 それ故、通時的(歴史的)に研究されるのは: ある個別言語は、通時的に過去に遡れば、その系統的「原語」に収束するはずであるが、途中で混成が存在した場合は、系統的な主原語と、個別原語の語彙や構造に影響を与えた別の個別原語へと、発散する可能性もある。クレオール的混成過程の場合は、原語には収束せず、むしろ人間の先天的(普遍的)言語創造能力の機制が発出しているとも言える。 言語学では、個別言語同士を比較する研究が存在する。二つの言語が存在し、それらの語彙や文法を比較するとき、共通祖語が想定でき、同一系統の言語であると推定できる場合は、比較言語学の方法が二つの言語の関係を研究するのに有効である。 しかし、比較言語学では「同系」と考えられない二つの言語の場合でも、借用語として、共通の語彙が二つの言語に含まれることがあり、また統辞論で見ると、日本語と朝鮮語のように、基本語彙の点で、まったく共通項がないにもかかわらず、「格助詞」構造が似ているようなケースはある。このような場合、対照言語学の研究対象となる。
具体例
音韻論
統辞論
個別言語のシステム
共時論と通時論
共時的な内容
地理的に分布する方言のあいだの語彙と構造の比較研究
変種の分析を通じて考察される、他の個別言語とのあいだの相互作用と混成作用
通時的な内容
ある個別言語の系統的展開、つまり派生のありよう(歴史言語学的研究)
個別言語内部での収束、つまり標準化の過程と、その反対の方言乃至変種への発散過程
地理的分布諸語のなかでの語彙や構造の借用・移転と混成作用の過程(広義のクレオール化過程)
個別言語同士の比較
言語の系統類の個別言語学
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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