2010年4月、北海道教育大学旭川校で演劇講座を監修。
2017年の富良野GROUP特別公演『走る』を最後に演劇活動から引退を表明し、脚本制作に専念[23]。3月7日の富良野演劇工場での大千秋楽公演後のカーテンコールに登壇して「今回で私は長い休息に入ろうと思います」と語り、「この演劇工場がある限り、富良野GROUPももう少し何らかの形で皆さんに感動を届けていく仕事をしたいと思っている」として稽古で指導に用いていた鞭を久保隆徳に託している[24][25]。
2017年4月には、「テレビ局は若者向けのドラマばかり作っているから年寄りは見ても面白くない。だから、ゴールデンタイムに対抗する『シルバータイム』を作ろう」とテレビ局へ働きかけ、テレビ朝日が新設した帯ドラマ枠「帯ドラマ劇場」にて、テレビ全盛期を担った俳優・作家・ミュージシャンなどが入居する老人ホームを舞台に現在のテレビの在り方に対する批判も盛り込んだ『やすらぎの郷』を執筆した[26][27]。
富良野演劇工場に隣接する民有地に、「北の国から」「倉本聰の人生」「富良野塾」「点描画」など6テーマを掲げた倉本聰の関連資料の展示施設「倉本聰ミュージアム-北の国から-」の開設が構想されている[28]。
かつては山田太一・向田邦子と合わせて「シナリオライター御三家」と呼ばれた[29]。 西武鉄道グループオーナーの堤義明とは、麻布中学・高校時代の同級生である[21]。2005年、堤が証券取引法違反に問われた東京地裁公判においては、倉本自ら弁護側証人を申請し出廷した。また、こうした交友関係がもとになって、富良野自然塾などの事業の実現につながっている。
人物
ペンネームの由来は、父祖地の岡山での本家の屋号「蔵本」[30]に、妹の名前「聰子」から一字もらってつけた[3]。
三度の飯よりもたばこ(ラーク・マイルド、パイプ)とコーヒーが好きなことで知られる。18歳の頃から喫煙を始めており、喫煙量は1日に60本から80本と語る[31][32][33][34]。受動喫煙防止を目的に禁煙化の進む昨今の風潮を「禁煙差別」と称して批判しており、受動喫煙防止条例を制定した神奈川県や、生活環境条例により路上喫煙を禁止している千代田区へは足を踏み入れないようにしている[35]。
演劇では、脚本、演出をひとりでこなす。
お香を好んでおり、仕事中はお香を焚く。愛飲している酒の一つに、ジャックダニエルがある[36]。
西田ひかるを好きな余り、愛犬に「西田」という名前をつけている[37]。「メイサ」と名付けた愛犬もいる。
ライフワークとして、森の樹木を題材とした点描画を描いている。ドラマ脚本に携わる中でスタッフとイメージを共有するため劇中のシーンのイメージを絵コンテで描いたことを契機に絵にはまり、デッサンを学んだ後、「影の濃淡を点の密度や強さで出せないか」として点描画へと進む。徹底的な人物描写を得意とする脚本と同様に、樹木1本1本の個性や歴史に着目し、その心の声を独自の表現法により点描画で表す。「森のささやきが聞こえますか 倉本聰の仕事と点描画展」と題した個展を各地で開催している[38][39]。
今の日本のドラマについては、「幼稚化の極みにある」「大人の鑑賞に堪えうるドラマが無くなった。その原因の一つは、役者がいなくなったこと。もう一つはシナリオが良くないこと」「原作を探す場合も、今の制作者は小説よりもマンガから話を探してくることが多くなった。プロデューサーたちに小説を読み込む能力がなくなり、マンガならばという発想になっている。幼稚な制作者が幼稚なドラマを作っている」と批判している[40]。
『北の国から』終了については、「スタッフが高齢化した」とするフジテレビの説明を「おかしな理由だ。スタッフを替えればいい」と批判している[40]。
人間関係