俺たちに明日はない
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
公開後、彼女が身に付けていたベレー帽が大流行した[10]。
ダナウェイのスタンドインを、当時16歳のモーガン・フェアチャイルドが担当していた。
ボニーの候補には、ナタリー・ウッド、ジェーン・フォンダ、チューズデイ・ウェルドからベイティの身内のシャーリー・マクレーンまでが候補にあがっていた[13]。
作中でボニーとクライドが『Gold Diggers of 1933』を映画館で見ているシーンがある。
映画監督のサム・ペキンパーは、『ワイルドバンチ』の公開の2年前に、スローモーションによる強烈なバイオレンスを本作で観て、先を越されてしまった悔しさからか、『ワイルドバンチ』の撮影現場で「俺たちで『俺たちに明日はない』を葬り去ってやる!」と、ペキンパーが何百もの弾着を仕掛けながらそう言っていたと衣装係のゴードン・ドーソンは回想し、また『俺たちに明日はない』と『ワイルドバンチ』のバイオレンス描写はペキンパーとペンが尊敬している黒澤明の『七人の侍』と『椿三十郎』を手本にしたものである[14]。
脚本家の上原正三が書いた『ワイルド7』の『200 km/h心中』は本作『俺たちに明日はない』を原点にした作品であり、文化批評家の切通理作の著書『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち 金城哲夫・佐々木守・上原正三・市川森一』で切通も指摘している[15]。
アーサー・ペンは、朝日新聞日曜版「世界シネマの旅」(1990年-)のインタビューで、記者から日本版の『俺たちに明日はない』というタイトルを教えられて「ぴったりのタイトルですね」と好意的な評価をしており、逆にイタリア公開時の Gangster Story というタイトルには不満を示している[16]。
ボニー・パーカーの母親役メイベル・カビット(1900年11月26日 - 1988年11月26日)は、テキサス州レッドオークの学校の先生だったが、撮影の現場で母親役としてキャスティングされた。
史実と映画の相違点
C・W・モスのキャラクターは、2人の実在の強盗団のメンバーを合わせたキャラクターである。
史実のボニー・パーカーは身長が4フィート11インチ(約150cm)と伝えられており、映画でボニーを演じたフェイ・ダナウェイより20cmも低かった。
最期は隠れ家から出て来たところを一斉射撃されるのではなく、愛車フォードV8で逃走中にルイジアナ州で待ち伏せされ一斉射撃された(ボニーとクライド#待ち伏せと死)。
脚注[脚注の使い方]^ “ ⇒Pop Culture 101: BONNIE AND CLYDE”. tcm.com. Turner Classic Movies. 2014年5月3日閲覧。
^ "Bonnie and Clyde (1967)" ⇒The New York Times Archived August 24, 2015, at the Wayback Machine.[リンク切れ]
^ Buckmaster, Luke. “How Bonnie and Clyde's final scene changed Hollywood”. BBC. 2015年1月閲覧。
^ “ ⇒The 40th Academy Awards (1968) Nominees and Winners”. Oscars.org. 2015年1月閲覧。
^ “25 American films are added to the National Film Registry”. The Courier (Dundee). Associated Press. (1992年12月7日). https://news.google.com/newspapers?id=aScOAAAAIBAJ&pg=2213,2097601 2009年7月22日閲覧。
^ “Complete National Film Registry Listing 。Film Registry 。National Film Preservation Board 。Programs at the Library of Congress 。Library of Congress”. Library of Congress, Washington, D.C. 20540 USA. 2020年5月26日閲覧。
^ hi_tarataraさんのツイート(2016年4月15日)
^ 漫画家とは別人。
次ページ記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:58 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef