俳句
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例えば、芭蕉の弟子・去来は『去来抄』「故実」の中で、こんな芭蕉の言葉を紹介している[11][12]

「切字を入る句は句を切ため也。きれたる句は字を以て切るに不及。いまだ句の切レる不レ切を不知作者の為に、先達而切字の數を定らる。此定の字を入ては十に七八はおのづから句切る也。残り二三は入 レて不切句又入れずして切る句有り」(切れ字を入れるのは句を切るためである。しかし切れている句というのは切れ字によって切る必要はない。いまだに句が切れている、いないが、わからない作者のために、あらかじめ切れ字の数を定めているのである。この定め字を入れれば十のうち七八の句は自然に切れる。しかし残りの二三は切れ字を入れても切れない句である。また入れなくても切れる句もある。)

「きれ字に用時は四十八字皆切レ字也。不用時は一字もきれじなしと也」(切れ字を用いるときはいろは四十八字みな切れ字となるし、用いないときは一字も切れ字にならない。)

つまり、芭蕉によれば、「切れ」は句の内容の問題で切れ字がある/なしの問題ではないということである。

現代俳句では切字の使用率が低下しており、「切れ」が不明瞭になっている[13]復本一郎は俳句の構造を「切字」「切れ」ではなく、「五七/五」「五/七五」という「首部」「飛躍切部」というブロックで考える「飛躍切部」論を唱えた[13]。復本によれば、首部と飛躍切部が一縷のイメージで繋がっていれば、両者の距離が離れていればいるほど面白い俳句であると言う[13]
川柳との違い

川柳も俳句と同じく俳諧に起源を持つ五・七・五の定形詩だが俳諧連歌の冒頭の発句が独立した俳句と違い、川柳は付け句(平句)を前句から独立的に鑑賞するようになったもので発句の性格を継承しておらず、そこから俳句と対照的な特徴を有する。

「季語」がない。

「切れ」がない。(一句一姿)

自分の思いをストレートに言い切り、「余韻」を残さない。(穿ち)

本質論
松尾芭蕉
「発句は畢竟(ひつきやう)取合物(とりあはせもの)とおもひ侍るべし」(「俳諧問答」・自得発明弁)と、芭蕉によると俳諧の発句の極地は季の詞の使い方(季題)などではなく、題材の取り合わせにあるとする。
山本健吉
俳句評論家の
山本健吉はエッセイ『挨拶と滑稽』のなかで、俳句の本質として3か条をあげている。これが有名な「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」である。
松根東洋城
松根東洋城は俳句について大正天皇から問われた1914年、「渋柿のごときものにては候へど」の句を奉答したという。松根は、この句にちなんで主宰誌を「渋柿」と命名した。
他、著名な俳人


俳句とは「客観写生」、「花鳥諷詠」である。(高浜虚子

「俳句は東洋の眞珠である」。「俳句は諸人旦暮の詩である」。(日野草城

俳句とは「人間だよ」。(古沢太穂
など。
「寄物陳思」
俳句は「寄物陳思」の詩とも言われる。『万葉集』にある「物に寄せて思いを陳(の)べる」の意である。

(出典:安東次男・飯田龍太編『俳句の本・俳諧と俳句』筑摩書房、村山古郷・山下一海編『俳句用語の基礎知識』角川選書、『証言・昭和の俳句』角川書店)
桑原武夫
フランス文学研究者・桑原武夫はエッセイの『第二芸術』にて(雑誌『世界』1946年)「俳句というものは同好者だけが特殊世界を作りその中で楽しむ芸事。大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎない」と糾弾している。
創作
句会

俳句結社の活動の基礎は、俳句の創作、添削、相互批評などを行う「句会」にあるが、これも歴史的には連句(俳諧の連歌)の方法を継承して成立したものである[1]
技法

水原秋桜子が『俳句の作り方』で「注意六条 禁忌八条」を提唱した。

まず、「俳句を詠むとき、意を注ぐべき六条」は以下のようなものである。
詩因を捉える

分量をわきまえる

省略を巧みにする

配合を工夫する

わかる用語を使って

丁寧に詠む

省略については、俳句では17文字という限られた音で表現をしなければならないため、不用な言葉の省略が重要視される。体言止めにより動詞や助詞を省略したり、助詞で止めて後に来る動詞を省略したりすることが多い。また、予測可能な言葉を省くことにより、余韻を残したり時間的な「間」を表現することにもなる。

次に、俳句を詠むときで避けるべき八条は以下のようなものである。
無季の句を詠まない

重季の句を詠まない

空想の句を詠まない

や・かなを併用した句を詠まない

字あまりの句を詠まない

感動を露出した句を詠まない

感動を誇張した句を詠まない

模倣の句を詠まない

これらはもちろん、水原秋桜子の見解であり、特に無季の句に関しては様々な議論がされている。

その他の技法として、本歌取りを挙げる。これは有名な既存の俳句や短歌などから言葉を流用し、言外に本歌の内容を表現する技法である。例えば「見わたせば山もと霞む水無瀬川」から「山もと霞む」を流用し、言外に「水無瀬川」を示すなど。

また、句またがりという技法もある。これは、意味的な切れ目を五・七・五の音の切れ目とは異なる場所に持ってくることで、リズムに変化を与える。
著名な俳人

俳人の一覧も参照
江戸時代

(厳密には俳句ではなく俳諧を詠んだが、優れた地発句ゆえに俳句と同一視される)

松尾芭蕉1644年 - 1694年

向井去来1651年 - 1704年

服部嵐雪1654年 - 1707年

森川許六1656年 - 1715年

宝井其角1661年 - 1707年

蓑笠庵梨一1714年1783年

与謝蕪村1716年 - 1783年

小林一茶1763年 - 1827年

近現代

正岡子規1867年 - 1902年


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