俳人
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俳句の基本的特徴は「定型」「季語」「切れ字」の三つとされているが、これらについても議論がある[2][6]
韻律

俳句では五七五韻律を重要な要素とする[6]。五の部分が6音以上に、または七の部分が8音以上になることを字余りという[6]

例えば

芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな
芭蕉

は8・7・5で、上5が8の字余りである。その他、字足らず、句またがりなど5・7・5定型に収まらない作品もある。

一方で一句一律とする自由律俳句があり、俳句は定型詩ではないとする立場もある[6]
季語

季語は句に季節感を与える役割をもつ[1]。しかし、季語に関しても、必ず入れるべきとする「有季」派、季語よりも季感を重視する「季感」派、無季でもよいとする無季容認派、さらに旧来の俳句的情趣を打破するため無季であるべきとする「無季」派まである[6]

松田ひろむは、「俳句に季語はあってもなくてもいいのでしょうか。そうではありません。はっきりいって季語はあったほうがいいのです。俳句にとって『季語』は大きな役割を果たします。季語は象徴となるイメージを与えてくれるのです。これを連想力といってもいいでしょう。また時間と空間を大きく広げる役割があるのです」(『入門詠んで楽しむ俳句16週間』新星出版社)という。

また橋本直は2006年3月の現代俳句協会青年部勉強会で『季語の現在─本意の変遷と生成、その未来』の基調報告を行ない、そこで「本来の季語、季題の役割は、通時的/共時的な詩的機能を引き出すためのものであって、あたかも軛のごとく自由を束縛するものではない」と問題を提起している。このように総じて有季定型派よりも無季、自由律に眼を向けた俳人のほうがより深く季語の役割について考えをすすめている。
切れ

俳諧では、最初に詠まれる発句は後に続ける脇句や平句の動機となる必要がある。そのため発句には、脇句に依存しない完結性が求められた。そこで編み出されたテクニックが「切れ」である。上手く切れた発句は「切れがある」と評価され、重視された。

このような「切れ」は、現代の俳句でも重要なテクニックの一つである。

切れ字は、強制的に句を切るために使われる助詞のことである。現代の俳句でも使われている切れ字には「かな」「や」「けり」などがある。俳句以前の連歌・俳諧の時代には「もがな」「し」「ぞ」「か」「よ」「せ」「れ」「つ」「ぬ」「へ」「ず」「いかに」「じ」「け」「らん」など、先の3個と合わせ、計18種類の助詞、助動詞が使われていた。助詞の他には、名詞で切れることが多い。

しかし、切れ字がなくても「切れ」が成立することもある。例えば、芭蕉の弟子・去来は『去来抄』「故実」の中で、こんな芭蕉の言葉を紹介している[11][12]

「切字を入る句は句を切ため也。きれたる句は字を以て切るに不及。いまだ句の切レる不レ切を不知作者の為に、先達而切字の數を定らる。此定の字を入ては十に七八はおのづから句切る也。残り二三は入 レて不切句又入れずして切る句有り」(切れ字を入れるのは句を切るためである。しかし切れている句というのは切れ字によって切る必要はない。いまだに句が切れている、いないが、わからない作者のために、あらかじめ切れ字の数を定めているのである。この定め字を入れれば十のうち七八の句は自然に切れる。しかし残りの二三は切れ字を入れても切れない句である。また入れなくても切れる句もある。)

「きれ字に用時は四十八字皆切レ字也。不用時は一字もきれじなしと也」(切れ字を用いるときはいろは四十八字みな切れ字となるし、用いないときは一字も切れ字にならない。)

つまり、芭蕉によれば、「切れ」は句の内容の問題で切れ字がある/なしの問題ではないということである。

現代俳句では切字の使用率が低下しており、「切れ」が不明瞭になっている[13]復本一郎は俳句の構造を「切字」「切れ」ではなく、「五七/五」「五/七五」という「首部」「飛躍切部」というブロックで考える「飛躍切部」論を唱えた[13]。復本によれば、首部と飛躍切部が一縷のイメージで繋がっていれば、両者の距離が離れていればいるほど面白い俳句であると言う[13]
川柳との違い

川柳も俳句と同じく俳諧に起源を持つ五・七・五の定形詩だが俳諧連歌の冒頭の発句が独立した俳句と違い、川柳は付け句(平句)を前句から独立的に鑑賞するようになったもので発句の性格を継承しておらず、そこから俳句と対照的な特徴を有する。

「季語」がない。

「切れ」がない。(一句一姿)

自分の思いをストレートに言い切り、「余韻」を残さない。(穿ち)

本質論
松尾芭蕉
「発句は畢竟(ひつきやう)取合物(とりあはせもの)とおもひ侍るべし」(「俳諧問答」・自得発明弁)と、芭蕉によると俳諧の発句の極地は季の詞の使い方(季題)などではなく、題材の取り合わせにあるとする。
山本健吉
俳句評論家の
山本健吉はエッセイ『挨拶と滑稽』のなかで、俳句の本質として3か条をあげている。これが有名な「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」である。
松根東洋城
松根東洋城は俳句について大正天皇から問われた1914年、「渋柿のごときものにては候へど」の句を奉答したという。松根は、この句にちなんで主宰誌を「渋柿」と命名した。
他、著名な俳人


俳句とは「客観写生」、「花鳥諷詠」である。(高浜虚子

「俳句は東洋の眞珠である」。「俳句は諸人旦暮の詩である」。(日野草城

俳句とは「人間だよ」。(古沢太穂
など。
「寄物陳思」
俳句は「寄物陳思」の詩とも言われる。『万葉集』にある「物に寄せて思いを陳(の)べる」の意である。

(出典:安東次男・飯田龍太編『俳句の本・俳諧と俳句』筑摩書房、村山古郷・山下一海編『俳句用語の基礎知識』角川選書、『証言・昭和の俳句』角川書店)
桑原武夫
フランス文学研究者・桑原武夫はエッセイの『第二芸術』にて(雑誌『世界』1946年)「俳句というものは同好者だけが特殊世界を作りその中で楽しむ芸事。大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎない」と糾弾している。
創作
句会

俳句結社の活動の基礎は、俳句の創作、添削、相互批評などを行う「句会」にあるが、これも歴史的には連句(俳諧の連歌)の方法を継承して成立したものである[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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