水原秋桜子が『俳句の作り方』で「注意六条 禁忌八条」を提唱した。
まず、「俳句を詠むとき、意を注ぐべき六条」は以下のようなものである。
詩因を捉える
分量をわきまえる
省略を巧みにする
配合を工夫する
わかる用語を使って
丁寧に詠む
省略については、俳句では17文字という限られた音で表現をしなければならないため、不用な言葉の省略が重要視される。体言止めにより動詞や助詞を省略したり、助詞で止めて後に来る動詞を省略したりすることが多い。また、予測可能な言葉を省くことにより、余韻を残したり時間的な「間」を表現することにもなる。
次に、俳句を詠むときで避けるべき八条は以下のようなものである。
無季の句を詠まない
重季の句を詠まない
空想の句を詠まない
や・かなを併用した句を詠まない
字あまりの句を詠まない
感動を露出した句を詠まない
感動を誇張した句を詠まない
模倣の句を詠まない
これらはもちろん、水原秋桜子の見解であり、特に無季の句に関しては様々な議論がされている。
その他の技法として、本歌取りを挙げる。これは有名な既存の俳句や短歌などから言葉を流用し、言外に本歌の内容を表現する技法である。例えば「見わたせば山もと霞む水無瀬川」から「山もと霞む」を流用し、言外に「水無瀬川」を示すなど。
また、句またがりという技法もある。これは、意味的な切れ目を五・七・五の音の切れ目とは異なる場所に持ってくることで、リズムに変化を与える。
著名な俳人[ソースを編集]
俳人の一覧も参照
江戸時代[ソースを編集]
(厳密には俳句ではなく俳諧を詠んだが、優れた地発句ゆえに俳句と同一視される)
松尾芭蕉(1644年 - 1694年)
向井去来(1651年 - 1704年)
服部嵐雪(1654年 - 1707年)
森川許六(1656年 - 1715年)
宝井其角(1661年 - 1707年)
蓑笠庵梨一(1714年‐1783年)
与謝蕪村(1716年 - 1783年)
小林一茶(1763年 - 1827年)
近現代[ソースを編集]
正岡子規(1867年 - 1902年)
河東碧梧桐(1873年 - 1937年)
高浜虚子(1874年 - 1959年)
臼田亞浪(1879年 - 1951年)
種田山頭火(1882年 - 1940年)
荻原井泉水(1884年 - 1976年)
尾崎放哉(1885年 - 1926年)
飯田蛇笏(1886年 - 1962年)
原石鼎(1886年 - 1951年)
中塚一碧楼(1887年 - 1946年)
水原秋桜子(1892年 - 1981年)
山口青邨(1892年 - 1988年)
高野素十(1893年 - 1976年)
栗林一石路(1894年 - 1961年)
川端茅舎(1897年 - 1941年)
阿波野青畝(1899年 - 1992年)
永田耕衣(1900年 - 1997年)
西東三鬼(1900年 - 1962年)
日野草城(1901年 - 1956年)
山口誓子(1901年 - 1994年)
中村草田男(1901年 - 1983年)
芝不器男(1903年 - 1930年)
星野立子(1903年 - 1984年)
橋本夢道(1903年 - 1974年)
大野林火(1904年 - 1982年)
加藤楸邨(1905年 - 1993年)
松本たかし(1906年 - 1956年)
篠原鳳作(1906年 - 1936年)
京極杞陽(1908年 - 1981年)
石川桂郎(1909年 - 1975年)