俳人
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俳句結社の活動の基礎は、俳句の創作、添削、相互批評などを行う「句会」にあるが、これも歴史的には連句(俳諧の連歌)の方法を継承して成立したものである[1]
技法[ソースを編集]

水原秋桜子が『俳句の作り方』で「注意六条 禁忌八条」を提唱した。

まず、「俳句を詠むとき、意を注ぐべき六条」は以下のようなものである。
詩因を捉える

分量をわきまえる

省略を巧みにする

配合を工夫する

わかる用語を使って

丁寧に詠む

省略については、俳句では17文字という限られた音で表現をしなければならないため、不用な言葉の省略が重要視される。体言止めにより動詞や助詞を省略したり、助詞で止めて後に来る動詞を省略したりすることが多い。また、予測可能な言葉を省くことにより、余韻を残したり時間的な「間」を表現することにもなる。

次に、俳句を詠むときで避けるべき八条は以下のようなものである。
無季の句を詠まない

重季の句を詠まない

空想の句を詠まない

や・かなを併用した句を詠まない

字あまりの句を詠まない

感動を露出した句を詠まない

感動を誇張した句を詠まない

模倣の句を詠まない

これらはもちろん、水原秋桜子の見解であり、特に無季の句に関しては様々な議論がされている。

その他の技法として、本歌取りを挙げる。これは有名な既存の俳句や短歌などから言葉を流用し、言外に本歌の内容を表現する技法である。例えば「見わたせば山もと霞む水無瀬川」から「山もと霞む」を流用し、言外に「水無瀬川」を示すなど。

また、句またがりという技法もある。これは、意味的な切れ目を五・七・五の音の切れ目とは異なる場所に持ってくることで、リズムに変化を与える。
著名な俳人[ソースを編集]

俳人の一覧も参照
江戸時代[ソースを編集]

(厳密には俳句ではなく俳諧を詠んだが、優れた地発句ゆえに俳句と同一視される)

松尾芭蕉1644年 - 1694年

向井去来1651年 - 1704年

服部嵐雪1654年 - 1707年

森川許六1656年 - 1715年

宝井其角1661年 - 1707年

蓑笠庵梨一1714年1783年

与謝蕪村1716年 - 1783年

小林一茶1763年 - 1827年

近現代[ソースを編集]

正岡子規1867年 - 1902年

河東碧梧桐1873年 - 1937年

高浜虚子1874年 - 1959年

臼田亞浪1879年 - 1951年

種田山頭火1882年 - 1940年

荻原井泉水1884年 - 1976年

尾崎放哉1885年 - 1926年

飯田蛇笏1886年 - 1962年

原石鼎1886年 - 1951年

中塚一碧楼1887年 - 1946年

水原秋桜子1892年 - 1981年

山口青邨1892年 - 1988年

高野素十1893年 - 1976年

栗林一石路1894年 - 1961年

川端茅舎1897年 - 1941年

阿波野青畝1899年 - 1992年

永田耕衣1900年 - 1997年

西東三鬼1900年 - 1962年

日野草城1901年 - 1956年

山口誓子1901年 - 1994年

中村草田男1901年 - 1983年

芝不器男1903年 - 1930年

星野立子1903年 - 1984年

橋本夢道1903年 - 1974年

大野林火1904年 - 1982年

加藤楸邨1905年 - 1993年

松本たかし1906年 - 1956年

篠原鳳作(1906年 - 1936年)

京極杞陽(1908年 - 1981年)

石川桂郎(1909年 - 1975年)


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