修学旅行
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ 『官報』によれば、同校生徒らは体操伝習所伝習員とともに、すでに前年1885年に飛鳥山(11月26日付「生徒行軍」)及び木母寺(12月23日付「学校生徒及伝習員行軍」)へ日帰りの行軍を定期的に実施。また、『時事新報』1886年2月13日は学事彙報欄にて「東京師範学校生徒は来る十五日より向ふ一週間下総習志野原に於て歩兵演習をなすよし」とのみ報じており、実際に長途遠足中の2月16-17日は習志野原での演習にあてられた。
^ 高嶺秀夫は米国留学でペスタロッチの開発主義教育理論とともに独自に動物学を学び、帰国直後には東京大学理学部でモースの助手として解剖や動植物採集に携わった。後藤牧太は独自に簡易実験器具の開発に務める一方、貝塚発掘にも手を染める幅広い学識を有する洋学者。三宅米吉は実証主義的な近代的日本史学とそれに基づく歴史教育の確立を志し、理化学にも精通していた。岩川友太郎は東京大学理学部でモースやホイットマンに師事し、日本の動物学研究者としてその成果を初めて海外(英国)の学術専門雑誌で発表。小山正太郎はイタリアの風景画家フォンタネージに師事し、遠近法に基づく写実的な近代洋画の啓蒙・普及を目論んでいた。なお、高嶺・後藤・三宅はともに慶応義塾で学んだ。
^ 1886年5月「尋常師範学校ノ学科及其程度」に基づく男子の体操科の内容は「普通体操ハ準備法矯正術徒手唖鈴棍棒球竿ノ諸体操兵式体操ハ生兵学中隊学行軍演習兵学大意測図」、6月「尋常中学校ノ学科及其程度」では第4-5学年の男子の体操科での兵式体操実施とその細目が定められた。なお、高等中学校には全2学年に課しながら内容には触れず(工学理学志望生は除外)、小学校については「男児ニ隊列運動」として集団的行動の訓練のみ指定した。
^ 同準則末尾の但書きでは「物理化学器械ノ中教員生徒ノ制作ニ係ル簡単器械ヲ代用スルモ妨ケナシ又博物農業標品ノ中其得易キモノハ教員生徒ヲシテ之ヲ採集セシムヘシ」として、必要に応じた標本収集活動を推奨した。ちなみに博物科で必要とされる植物・動物・鉱物標本だけで計386種指定されていた。
^ 1911年(明治44年)の奈良女子高等師範学校での京都修学旅行や、美術家育成を目的とした東京美術学校での近畿の古美術をめぐる修学旅行など。
^ 関西では瀬戸内海航路を利用して九州に行く学校が多く、関西汽船では修学旅行専用船が在籍していた時期もある。
^ 当時の一般庶民にとっては、都道府県をまたぐような私的な移動の機会は帰省や冠婚葬祭の時ぐらいしかなかった。
^ ちょうどその頃には小中高生の保護者の世代が、若い頃から旅行慣れしていたアンノン族以降の世代に交代していた。
^ 高校野球を題材とした漫画『ダイヤのA』でも、メンバーが修学旅行を欠席して学校で自習をする描写が見られる。
^ 逆に、修学旅行へ参加するため大会を辞退するという場合もある。
^ 修学旅行は卒業するために必要な要件や単位に含まれ、参加しない場合は自習等で単位を穴埋めする必要があり、日程も出席日数に含まれているため。

出典^ 文部科学省:小学校及び中学校学習指導要領(平成29年告示)、高等学校学習指導要領(平成30年告示)
^ 中国人修学旅行生に対する査証免除措置の実施要領 (PDF) 外務省 2008年10月1日
^ 『文部省年報』付録「東京大学法理文学部年報」の他、1881年2月改正の「東京大学法理文学部実地研究旅費規則」(第一条 内外教員及ヒ生徒実地研究ノ為メ旅行スルトキハ水陸旅行及ヒ滞在共一切ノ費用トシテ管内外ヲ区別シ甲号表面之通リ旅費ヲ支給ス)など参照
^ a b 『東京高等師範学校沿革略志』東京高等師範学校、1911年 p.37-38
^ 『文部省第十三年報』(1885年)「(五月)五日東京師範学校体操科中ニ仮ニ兵式体操ヲ加フ」
^ 後藤牧太による講話速記録「修学旅行の始まり」(茗溪会『教育』第344号,1911年)、『東京高等師範学校沿革略志』1911年、『高嶺秀夫先生伝』1921年など参照
^ 『東京茗溪会雑誌』第2号掲載の高嶺秀夫による1882年の演説「…人或は言はん本校は官立学校にして実物標品を購求する資力に乏しからず故に斯くの如しと是決して然らざるなり彼動植金石の標品の如き外国産のもの甚だ多からず又大に資本を出して購入したるものも太だ多からず或は教師生徒休日に近傍より採蒐したるものあり夏期冬期の休業に各其郷里より携え帰りたるものあり卒業生其就職の地方より遠く逓送したる者あり教員の周旋により有志の徒より寄付したるものあり此校に余あるものを以て他の校と交換したるものあり斯くの如く標品採蒐のことに心を用い終始怠ることなく漸くに其数を増し遂に普通の教授上其用に乏しからざるの地位に達したり」
^ 『教育時論』第67号(1887年2月)
^ 『教育報知』第80,82,83,86-88号(1887年8-9月)
^ 『教育時論』第107号(1888年4月)
^ 『教育報知』第130-134,136,138,140-143号(1888年8-10月)
^ 『教育時論』第99号(1888年1月)「高等師範学校行軍の例規」
^ 『教育報知』第128号(1888年7月)「(高等師範学校)男子部の生徒諸氏は修学旅行として昨廿日信州地方へ向け出発せられたり。越後地方より福島県若松の地方へ出て帰京せらるべしと云ふ。此度は銃を担わず、只ランドセルのみにて、各科相分れて専ら研究に従事せらるる由なれば、定めて得る所多かるべし」
^ 『文部省第十五年報』(1887年)では、師範学校「男生徒ノ修学旅行ヲ施行シ以テ地理ヲ探求シ動植物ヲ採集シ実地写景及ヒ発火演習等ヲナサシムルハ府県ノ概ネ挙行スル所ニシテ其ノ生徒ニ益スルコト少ナカラスト云フ」とされ、さらに『同 第十八年報』(1890年)では「修学旅行ノ教員養成上ニ有益ナルハ府県ノ既ニ是認スル所ニシテ年々之ヲ行ハサルモノナク又之ヲ行フコト多キハ毎年四五回ニ及フモノアリ」と報告。
^ 『官報』1883年9月24日付録「東京師範学校小学師範学科改正規則」
^ 『高等師範学校一覧(明治31年4月-明治32年3月)』掲載の「学資支給規定」による(36-38頁)。なお、「学資に関する心得」によれば、「試験生」段階で自弁すべき食費は一日当たり12.5銭とされ、「本入学ヲ許サレタル時ヨリ学資(食料及ビ被服費)ヲ支給セラレ又修学旅行ヲナサシムル時ハ其ノ費用ヲ給セラルルモ猶教科用図書購入費、筆墨紙等学用品購入費、暑中休業ノ際帰省旅行等ヲナスニ要スル費用、寄宿舎諸雑費等」で卒業までに総額約200円の私費が必要とされた(163-164頁)。
^ 関儀久「明治期の地方商業学校に於ける海外修学旅行について-熊本商業学校・函館商業学校の事例を中心に-」『教育学研究』第82巻第2号、日本教育学会、2015年、299-311頁、doi:10.11555/kyoiku.82.2_299。 
^ 藤田和志、家田仁. “ ⇒修学旅行にみる『旅』の意義?自己錬磨型教育旅行の導入・変容そして現代的意義?”. 土木学会. 2021年2月12日閲覧。
^ 文部時報 693号
^ a b 星野朗「修学旅行の歴史」『地理教育』第26・27・29号、1997・98・2000年。
^ 太田智己 『社会とつながる美術史学 近現代のアカデミズムとメディア・娯楽』 吉川弘文館、2015年2月20日、pp.149-151。
^ 2021年度の修学旅行、実施率は飛躍的に回復 全国修学旅行研究協会調査
^ a b “(フカボリ)修学旅行「地方で学び」人気 コロナ下、被爆地の広島・長崎、自然体験の三重…:朝日新聞デジタル”. (2021年11月19日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15115967.html 
^修学旅行研究論「ODAから海外修学旅行を考えてみる」
^http://shugakuryoko.com/chosa/kaigai/2010-02-gaiyou.pdf
^平成25年度 国内修学旅行実施基準(都道府県・政令指令都市) - 修学旅行ドットコム
^平成25年度 海外修学旅行実施基準 - 修学旅行ドットコム
^ II.修学旅行及び参加・体験型学習プログラムの動向 - 内閣府
^http://kyotoshugakuryoko.jp/information/image/influenza/okoshiyasu.pdf 京都府「安心しておこしやす」宣言 (PDF)
^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉?へぇの本?4』講談社、2003年。 
^ 修学旅行だより放送実施要領 - KBS京都
^旅と文化・昭和34年3月30日号 - 全国修学旅行研究協会

次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:81 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef