修学旅行列車
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^ この表示の行先表示幕は、10000系列まで残されていた。
^ 1997年には、18400系2両を塗装変更の上(内装リニューアルは行われなかった)、団体用に転用し18200系と合わせ12両体制とした。本系列は18200系廃車後の2013年まで使用された。
^ 近鉄の団体専用車両はこの他にも15400系「かぎろひ」と20000系「楽」があるが、「かぎろひ」はクラブツーリズムのツアー専用のため基本的には修学旅行客の貸切列車に充当されない。
^ 東京でなく品川発着であったのは、東京駅のホームに余裕がなかったことと当時から臨時・団体列車は品川駅から出すのが慣例だったため。
^ 京都発着であったのは関東地区からの旅行行程が京都で降り、バスで大阪・神戸・奈良とめぐる事が多かったからだといわれている。
^ 両地区とも帰路行程が夜行となる。これは運輸省(現在の国土交通省)の出した「車中泊は一泊に限る」という制限のもとで、学校側が最大限に時間・予算を活用するための策と国鉄側の車両運用合理化の関係が合致したため。以後に設定された列車も、この方針に基づく時刻で基本的に運行された。
^ 当初は1960年に159系を投入する予定だったが1959年(昭和34年)9月26日に近畿地方から中部地方を直撃した伊勢湾台風により利用債の引受が1年延期となり車両の新製も1年延期され、153系の予備車をやりくりしての運転となり関係者から喜ばれ「愛の電車」として讃えられる。
^ 以前は、旧形客車による集約臨として運転されていた。
^ 始発駅は随時異なる。
^ 列車名は、太宰府天満宮の「飛梅」にちなむ。
^ 「わかくさ」は主として北関東三県の学校を対象としたため、東北本線小金井矢板などからの延長運転も行なわれた。また、茨城県内へは電化方式の違いから修学旅行電車の直通運転が出来ないため、小山上野での連絡輸送を行なった。
^ 修学旅行列車と同名ながら一般利用者向けの自由席急行として運転。
^ 1970年代中頃まで勤労青少年旅客運賃割引制度の対象となった15歳以上20歳未満の青少年向けに限り、特別に1ヶ月前から指定券を販売(当時は通常1週間前からだった)する対象とされた列車は「わこうど○○」と命名されていた。なお、残席は一般にも販売された。(交通公社の時刻表、1973年7月号などに掲載)。
^ 東北本線での特急増発に伴うもの。また、ちょうどそのころに東北方面においても修学旅行団体の特急列車利用が解禁となる。
^ 一時は宮原電車区から大垣電車区に転属した155系(そのころすでに室内改造・塗装変更済み)も153系などとともに混用された。
^ 所謂「若返り工事・リフレッシュ工事」と呼ばれた工事による運休。0系電車の初期車両が当初の予想以上に老朽化が進み不具合が多発したこと、また労使環境の悪化から深夜の保線人員確保が困難になるとともに新幹線は在来線と異なる高速鉄道であったこともあることから地上設備の再点検を定時運転確保の視点から当時午前中に列車を止めて一斉に行っていた。

出典^ 『東京高等師範学校沿革略志』東京高等師範学校,1911 p.37-38
^ 「旅行シーズンに学童電車」『朝日新聞』昭和28年9月1日夕刊3面
^ 姫路?賢島に直通特急 私鉄最長250キロ、22年にも(産経ニュース2008年9月27日) - ウェイバックマシン(2008年9月29日アーカイブ分) ※記事表題の22年は平成22年(2010年)を示す。
^ さよなら修学旅行列車 姫路の小学校、バス利用に(神戸新聞 2010年6月15日) - ウェイバックマシン(2010年6月18日アーカイブ分)
^ 車酔い続出で伝統の伊勢断念 姫路の小6修学旅行(神戸新聞2016年12月1日) - ウェイバックマシン(2016年12月12日アーカイブ分)
^ 国鉄監修・交通公社の時刻表、1973年7月号。日本交通公社出版事業局(現:JTBパブリッシング)。
^ “姿消す「こまどり号」”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1994年5月6日) 
^ 鉄道ファン 1997年5月号 54頁

関連項目

修学旅行

団体専用列車

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