修学旅行列車
[Wikipedia|▼Menu]
近鉄15200系電車「新あおぞらII」

新幹線を使用した修学旅行列車

国鉄「集約臨」の沿革

1950年(昭和25年) 日本ツーリストが運行を開始していた修学旅行専用列車はほかの旅行社も協賛しての共同運行となり、次第に時刻・車両が固定されていって「修学旅行集約輸送臨時列車」の起源となる。なお、このエピソードは、城山三郎著「臨3311に乗れ」(集英社文庫)に詳しく描かれている。

1958年(昭和33年)6月1 - 29日湘南電車」と呼ばれた80系電車を使って、品川 - 京都に「集約臨」を運転。下りは品川8時40分発で京都15時40分着、上りは京都発19時50分で品川5時20分着と上りでも当時の夜行急行列車なみの速度、下りに至っては当時の特急列車「つばめ」・「はと」に匹敵する速度で走った。なおこの実績が、のちの155系電車を生み出す契機ともなる。

1959年(昭和34年)4月20日 新製された日本初の修学旅行専用電車である155系電車を使用して、品川[注 7] - 京都[注 8]に関東地区用修学旅行列車として「ひので」が、品川 - 京都・大阪・神戸に関西地区用修学旅行列車とした「きぼう」が「集約臨」として運転を開始した。また「ひので」は下り昼行・上り夜行、「きぼう」は下り夜行・上り昼行の時刻で運転された[注 9]。また、これら修学旅行列車の時刻は荷物列車などとともに市販の時刻表にも掲載されていた。

1960年(昭和35年)

4月20日 品川 - 大垣中京地区用修学旅行列車「こまどり」が、153系急行形電車[注 10]で運転開始。「こまどり」は、運行距離が短かったことから上下とも昼行列車となった。「こまどり」の運転されない時期には、同列車のダイヤで臨時準急列車「ながら」が設定された。

6月 「東京へ来たのであるから東京駅を見て帰るべきだ」という意見が出た事により、下り「きぼう」の始発駅を東京に変更。


1961年(昭和36年)3月 「こまどり」用の159系電車が落成し、153系に代わって投入された。同系列は、のちに東海地方 - 関西地方・山陽地方間に設定された修学旅行列車「わかあゆ」にも投入される。

1962年(昭和37年)4月9日 非電化地区からの修学旅行列車用に気動車のキハ58系800番台が登場[注 11]。この日から東北地区[注 12] - 上野で「おもいで」が運転を開始。

1963年(昭和38年)4月10日 キハ58系800番台を使用して北九州地区 - 京都の修学旅行列車「とびうめ[注 13]」が運転を開始。また「きぼう」は兵庫県中部地域からの利便を図るため、明石発着となる。

1965年(昭和40年)10月1日 混雑する「ひので」・「きぼう」の混雑緩和を図るため関東地区用の「わかくさ」が品川 - 京都に[注 14]、関西地区用の「わかば」が東京(下り)・品川(上り) - 明石に1往復ずつ設定された。

1966年(昭和41年)4月9日 東京 - 下関165系急行形電車を修学旅行用に設計変更した167系電車が「わかくさ」「わこうど」で運転開始。それまでの修学旅行列車が普通列車の扱いであったのに対し、「わこうど」は長距離で往復とも夜行となるため急行列車の扱いとなる。「わこうど」は山陽地方からの高校生の東京への修学旅行用列車として設定されたが関西地方からほどの需要が見込めないため下関 - 京都で中学生用の列車「友情」、下関 - 広島小学生用の列車「なかよし」としてもそれぞれ運用された。さらに3列車ともが運転されない時期には、「わこうど」のダイヤで臨時急行列車「長州」として運転されていたが、同ダイヤでも運転区間が一部区間の場合は「山陽51号」(岡山 - 下関)、「わこうど」[注 15](広島 - 下関)など異なる列車名となった[6]。また一部年度の帰省シーズンは、運転日を限定して全車指定席の勤労青少年帰省列車(種別は急行扱い)「わこうど長州」として運転された[注 16]


1966年(昭和41年)11月 中部地区から広島・山口方面へ「わかあゆ」(豊橋 - 下関)を田町区の167系電車で運転開始。1967年秋期からは159系電車で運転。

1967年(昭和42年)10月1日 「ひので」・「きぼう」・「わかくさ」・「わかば」も、急行列車の扱いとなる。

1970年(昭和45年)3月16日 東海道新幹線に修学旅行列車を初設定。

1971年(昭和46年)

3月1日 新幹線に「集約臨」が設定される事となり前年から新幹線の特急料金に関しても「学生5割引・引率教職員2割引」の割引が適用される事となったため、以後新幹線を使用できる地域の修学旅行列車は1972年(昭和47年)春ごろまでをめどに順次移行。

10月16日 この日の大阪発をもって「きぼう」廃止。総計約180万人の利用があったとされる。

10月26日 この日の品川発をもって「ひので」廃止。総計約240万人の利用があったとされる。


1973年(昭和48年)

4月 「おもいで」廃止[注 17]。以後は、特急など定期列車を利用するか随時臨時列車を設定する方式に変更。東京まで879往復し、約53万5000人の利用があったとされる。

6月23日 「わかくさ」・「わかば」を臨時列車に格下げ。

10月1日 「こまどり」、臨時列車に格下げ。ここまでに総計約152万人を輸送したとされる。


1974年(昭和49年)4月21日 この日の記念行事をもって、「とびうめ」廃止。関西へ約22万4000人、九州内相互間で約14万7000人、総約37万1000人の利用があったとされる。

1975年(昭和50年)3月10日 山陽新幹線博多駅までの全線開業をもって、「わこうど」・「友情」・「なかよし」廃止。市販の時刻表に掲載されていた修学旅行列車は消滅。

「こまどり」は臨時列車ながら、1975年以降も使用車両は159系から153系や165系の使用へ変化しつつも存続したが、1994年春の運転をもって消滅した[7][8][注 18]。おもに新幹線駅の利用が不便な大垣 - 尾張一宮大府 - 岡崎の中学生に利用されたが、東海道新幹線三河安城開業で西三河地区の中学生の修学旅行が新幹線へ急速に転移したことから平成初期に消滅した。また、この1970年代後半に行われた東海道新幹線の午前運休日[注 19]には、上りのみ「こまどり」のダイヤ設定をそのまま使って臨時急行列車「東海」が運転された。


修学旅行用車両
概要

主に修学旅行専用列車に充当するために製造された車両を指す。利用者が学生である、1列車における乗降の機会が少ないなど、修学旅行専用列車の特徴に合わせ、一部に特殊な構造を採用していることが多い。ただし、シーズンオフには一般列車へも充当されることがあるため、どれだけ一般的な車両から構造を変えるかは、各系列により異なる。
国鉄

国鉄の修学旅行用車両は、黄1号朱色3号に塗られていた。ただし、修学旅行列車への充当頻度が下がってからは、他の車両と同じ一般的な塗色へ変更されている。

155系

159系

167系

キハ28・58形(800番台)

近鉄

近年では一般車やクロスシート車である5200系L/Cカー、および汎用の特急車が充当される場合も多くなっているが、近鉄でも修学旅行客向けの車両が用意されている。

20100系「あおぞら号」

18200系「あおぞらII」

18400系「あおぞらII」

15200系「新あおぞらII」 - 車両は数次に亘り入れ替えが行われている。

修学旅行用に特化して製造された20100系とは異なり、特急用から改造された18200系と18400系・15200系は修学旅行以外の団体客の貸切列車にも使用可能な設備を持っている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef