信者
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非ムスリムが入信する場合は、指導者であるイマームの前で「アッラーのほかに神はない、ムハンマドはアッラーの使徒である」と信仰を告白すれば、ムスリムとなりウンマの一員に加わる[3]
仏教

以下は日本での事例である。
檀家制度下での在家信者

特に定まっていない。例外はあるものの、大半は元々檀家であるだけで特に儀式に参加しなくとも、信者に数えられる[2]。ただし、明治以降に離壇の手続きを取った世帯については末代まで管理されている。「檀家制度#現代」および「葬式仏教#平成・令和時代」も参照
出家者

得度し、戒律を授かり、剃髪を行って出家者となる[2]。この時、僧侶としての名前である戒名あるいは法名を授かる。ただし浄土真宗では、門徒(在家信徒)に対しても「帰敬式」(〈おかみそり〉とも)を受けて法名を授かる事を推奨している。詳細は「法名 (浄土真宗)#概要」を参照
日蓮正宗

日蓮正宗は他宗派とシステムが異なり、在家信者は寺院において住職から授戒を受け、さらに「御本尊」と呼ばれる曼荼羅を下附されなければ檀信徒名簿に登録されない。授戒だけ終えて御本尊が交付されていない在家信者を指して「内得信仰」(ないとくしんこう)と言うこともある。詳細は「本尊 (日蓮正宗)#本尊の形態」を参照

日蓮正宗の僧侶(出家者)については総本山大石寺で行われる得度審査に合格しなければならない。この得度審査も「少年」(小学校6年生)と「一般」(高卒以上)に分かれており、少年得度に合格した者は中学・高校の6年間を大石寺で過ごした後、地方寺院在勤を経て教師に補任され、約10年をかけて一人前の出家僧となる。詳細は「日蓮正宗#出家制度」および「正信会#歴史」を参照

なお、創価学会冨士大石寺顕正会正信会を退会ないしは除名になった者であっても、末寺に参拝し授戒を受ければ信仰に復帰することができる。「除名#宗教の除名」も参照

創価学会は1991年(平成3年)、顕正会も1974年(昭和49年)以前は日蓮正宗内の信徒団体だったため、この時代に両団体に入会した人は団体内での手続き完了後に日蓮正宗の寺院に参拝して授戒と御本尊授与を受けていた。これにより、両団体が破門されるまでの間は日蓮正宗の信徒としても取り扱われていた。
創価学会

日本国内最大の信者を抱える日蓮新宗教団体の創価学会(827万世帯)は、1945年の終戦直後から1960年代にかけては入信手続きがかなり緩く、折伏(勧誘)をされた後すぐに日蓮正宗の寺院に参拝し、その場で御本尊が授与されることもあった[4]。その後1970年代以降、入会(入信)の手続きが非常に厳しいものとなり現在に至っている。現在、入信手続きは「会員希望カード」と呼ばれる書類の記入から始まる。「創価学会」および「言論出版妨害事件#概要」も参照
世帯内に創価学会員がいない場合

会員希望カードには「3つの実践」が記載されている。
勤行唱題の継続

聖教新聞の購読(最低3ヶ月以上)

座談会への出席

この条件を満たし、地区部長以上の幹部を含む2名以上の既存会員による紹介と本人への意思確認、同居家族の了解、未成年者については親権者の承諾という手続きを経て、最寄りの会館で「入会記念勤行会」に出席するよう指示される。この勤行会に出席するまでの間に他宗の仏壇、および仏教以外の既存世界宗教から転向する場合はその宗教で使用していた用具類を廃棄、返却しなければならない。創価学会専用の仏壇・仏具も販売されているが、全会員が強制的に購入しなければならないものではない。

なお、折伏大行進と呼ばれる急速な会員拡張が行われていた1950年代から60年代には、「謗法払い」(ほうぼうばらい)といってこれらの作業を支部の先輩会員が半ば強制的に行うこともあり社会問題化した。詳細は「折伏大行進#歴史」および「本尊 (日蓮正宗)#安置形式と仏壇・仏具」を参照「仏壇#宗派による違い」も参照

勤行会で自宅の仏壇に設置する「御本尊」の授与を受け、紹介者とともに帰宅して御本尊を安置して、初めて正式の創価学会員と認められる[5]。何らかの理由で御本尊を仏壇に安置できない場合は、「お守り御本尊」と呼ばれる御本尊を象ったペンダントを首にかけることもできる。


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