3?5世紀になると、三位一体論とキリスト論の教理が定められ、信仰内容は客観化された。アタナシオス信条として具体化されると、この客観的に表現された事柄を信じることが正統とされ、この信条を受け入れないことは異端とされるようになった[10]。 アウグスティヌスは新プラトン主義に基づいて、神は存在そのものであり、真理と神の認識はひとつであるとした[10]。理性は過ぎ去るものに執着する人間性に基づいたものであるから英知界(mundus intelligibilis)にたどり着けない、信仰に基づく認識のみが真理に到達しうる、とした[10]。また、信仰は神の霊感(inspiratio Dei)であると説いた。また「善を行う神を信頼することによって、よく行動することにとどまる(Credendo adhaerere ad bene operandum bona operanti Dei)」と述べた。これは人間性を回復させるものが愛(アガペー)であることを意味しており、信仰は愛(アガペー)と密接に結びついている[10]とされる。 宗教改革の旗手となったマルティン・ルターは、パウロ書簡を引用して信仰のみによる救済を説いた。信仰義認は、その後のプロテスタントの根幹となるテーゼの一つとなった[11]。 [注釈 2] 約束や、教えなど[注釈 3]。 「信仰」という表現は、転じて、何らかの対象を絶対のものと信じて疑わない状態のことを指すようにもなっている[12]。例えば以下のようなものごとについて用いられる。
アウグスティヌス
宗教改革以後
信仰対象の例
超絶的存在、究極の存在
神 (ヤーウェ、アッラー、ブラフマーなど。特に一神教の神。神の一覧も参照)一神教の立場からは、神以外のものを信仰の対象とすることを「偶像崇拝」といって忌み嫌う。
ダルマ、仏 (仏の一覧)
超絶的な存在から与えられたとされる言葉
聖典、啓典 (旧約聖書、新約聖書、コーランなど)[注釈 4]
経典
超絶的存在と深い関係があると見なされている人など
イエス・キリスト、聖母マリア、守護聖人
釈尊、菩薩
上記の人にまつわる物
聖遺物
仏舎利
多神教やアニミズムにおける神、自然物、自然の生物
神道における神 (日本の神の一覧)
精霊(日本の天狗、東南アジアのピー、アラビアのジンなど)
自然崇拝:太陽、月、星、風、山(山岳信仰)、洞窟、鍾乳洞、海、泉、岩石
ヘビ、キツネ、クマ、ネコ、イヌ、オオカミ:トーテミズムにもとづく説明が可能な場合もある。
その他の人
ファラオ - 古代エジプトの王。
孔子
菅原道真 - 学問の神
徳川家康 - 東照大権現
豊臣秀吉 - 豊国大明神
関羽 - 関帝
(かつての)天皇 - 国家神道によって、神とせられた。人間宣言によって神ではなくなる。
ハイレ・セラシエ1世 - 黒人の王を待望するラスタファリ運動によって現人神・ジャー(主)と称えられた。
比喩的用法
科学(科学への信仰は「科学信仰」「科学崇拝」あるいは「科学主義」などの呼称で呼ばれている。)
医療(医療への信仰は「医療信仰」の呼称が一般的。)
学歴(学歴への信仰は「学歴信仰」や「学歴崇拝」と呼ばれている。→ 学歴信仰が参照可)
特定のメーカーやブランドや「商品」、ライフスタイルなど(例:「エバンジェリスト(アップル信者)」「ソニー信者」「ホンダ信者」「セガ信者」「シャープ信者(もしくはX68000信者)」「ムジラー(無印良品信者)」「スタバ信者」「モス信者」「ほっこりすと」「プレッパー」「フーリガン」「イルミネーター」「ホメオパス(ホメオパシー信奉者)」「モノノフ」「2ちゃんねらー」「マヨラー」「ハルキスト(村上春樹作品の熱烈な支持者)」「チャーケニスト
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 畏怖の気持ちが根源にあるものについては、別の語("崇敬"など)をあてるのが一般的。
^ 超絶的存在という語を使用しているのは、宗教を定義する時に「超絶的存在」「超越的存在」といった言葉を用いつつ行うのがひとつのオーソドックスで古典的な方法であり、概念構造がはっきりとし、便宜上好ましいからである(例えば『宗教学辞典』(東京大学出版会)の宗教の項などを熟読のこと)
^ 「旧約聖書」「新約聖書」に含まれる「約」の字は「約束」「契約」を意味している。
^ ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においては聖典が特に重視されていることから、それらを指す「聖典宗教」という呼称も存在する。
出典^ ホセ・ヨンパルト『学問と信仰の世界ー特に法学の場合ー』 成文堂 2013年、ISBN 9784792303518 6C3032 pp.127
^ 「1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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