保険会社
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保険の萌芽は、古代ローマにおけるコレギウム(イタリア語版)(同業者葬儀組合、ラテン語: collegium)や中世・近世ヨーロッパにおけるギルド(商工業者の職種ごとの団体、: guild)などにみられる。1369年、ジェノヴァ共和国ドージェ(国家元首)であるガブリエレ・アドルノ(英語版)が世界最古の海上保険条例を定めたといわれている[2]。14世紀後半から15世紀にかけて、スペインにおいて海上保険の普及が進んでいたことは、1432年バルセロナ最古の海上保険条例 (西: Ordenanzas de Magistrados de Barcelona) の制定とその後のたび重なる改定や各地の新たな制定を見ても明らかである[3]バルセロナの商業の繁栄は、地中海海運において同地が地理的にもイタリアポルトガルとの貿易取引上の重要な拠点であったことが強く影響している。16世紀に入ると、海上保険市場の中心がスペイン帝国へ移りはじめ、1538年にはブルゴス海上保険条例が制定された[3]。ブルゴスにはメリノ種羊毛が集積し、付保商品となった[3]。ブルゴスは王室が保護し通商院をおいていた[3]。1552年カスティーリャ王国がついに貴金属の輸出を許し[4]、穀物等における産業構造の脆弱性を露にした。1570年頃にはリスボンポルトに保険取引所 (西: Casa dos Seguros) が設けられた[3]。このときすでに国際市場はコンベルソの移住等にともない、カール5世アントウェルペンからオランダアムステルダムへ移っていた[3]

1601年、イングランド王国で最初の保険法が制定された。1622年ロンバルディア商人が同王国で海上保険業を開拓すると、イギリス商人がノウハウをネーデルラントに伝えた[5]。その後ヨーマンが台頭し羊毛業を担った。1666年のロンドン大火をきっかけとしてニコラス・バーボンが世界で初めて火災保険を開業した。名誉革命の1688年にロイズのコーヒーショップが誕生した。1696年、ハンド・イン・ハンド(英語版)(現:アビバ)が発足した。1710年、太陽保険(現:RSA Insurance Group)開業。10年後南海泡沫事件が起こり、英海上保険業がロンドン保険会社とロイヤル・エクスチェンジ保険会社が独占するようになった(詳細)。1752年、フィラデルフィア基金(英語版)が発足。1762年、エクイタブル生命保険(英語版)が誕生した。1762年、北米保険会社(英語版)が設立された[6]

1802年、「ロイズの父」とも呼ばれるアンガースタイン(英語版)が王立救命艇協会の母体となる公債4万3千ポンドの基金を設立した。この基金は国へ移管されるまでにロイズや太陽保険だけでなくイングランド銀行イギリス東インド会社からも資金を得た[7]

日本にも、古くから社倉義倉頼母子講(たのもしこう)、抛銀(なげがね、投銀)、海上請負など、保険に類似した仕組みはあった。しかし、今日の保険は、明治維新のときに欧米の保険制度を導入して始まったものである。日本の海上保険法は、1731年のハンブルク保険・海損条例を嚆矢とするドイツ法を継受したものであるが、同条例には1681年ルイ14世が下した海事勅令が大きな影響を与えており、結局ドイツ・イタリア・フランスという旧フランク王国の海上保険法すべてが同条例を法源としている[2]


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