戦後、新協劇団を経て[6]、劇団民藝の結成に参加。1971年の内部での対立により、下條正巳、鈴木瑞穂、佐々木すみ江らと共に退団する。
TBSテレビ系列のホームドラマや時代劇に多数出演。1993年から2000年まで『水戸黄門』で3代目水戸光圀役を演じたことで特に知られる。初代東野英治郎・2代目西村晃とは一味違い、庶民的で優しく慈悲深い「泣き虫黄門様」として親しまれた。光圀役に決まった時、東野英治郎に挨拶し、初代を長く演じて分身みたいなもので、他人が演じるのは嫌だと感じているだろうと思っていたら「よかった」と喜んでもらえて、本当に嬉しかったと回想している[2]。光圀役としての出演回数は246回、太秦にある東映京都撮影所では自転車を乗り回していたという。
NHKラジオ第2放送の『お話でてこい』では、童話の朗読役として4000回を超える放送をこなした。創作童話の執筆にも取り組み、『せん爺さんの太鼓』などの著書がある。これらの功績を讃え、2001年に広島大学からペスタロッチー教育賞を授与されている。
1996年、勲四等瑞宝章を受章。
1998年に先妻・英子夫人に先立たれ、芸能活動を休止したが、2000年2月に21歳年下の育子夫人と再婚。
育子夫人と前夫(川村姓)との間の長男は大学教員、次男は競輪選手の川村晃司[7]。2代目助さん及び5代目光圀役の里見浩太朗(本名:佐野邦俊)は従甥で[8][9]、浩太朗の長男の佐野圭亮は族子にあたる。
2006年5月2日(火曜日)放送の『名奉行! 大岡越前』第2シリーズ第三話 「仇を追って40年…男と女、愛と憎しみのお白州!」にゲスト出演、これが事実上の最後のドラマ出演となった。さらに2008年に脳梗塞を発症し、その影響で視力が悪くなったために活動を控えるようになった[10]。
2009年11月10日に亡くなった森繁久彌の葬儀には参列したほか、2013年時点では『水戸黄門』ドラマ当時の衣装を着て高齢者施設を訪問するボランティア活動を行っていた[10](89歳当時の2014年12月10日に撮影された写真も残されている)。また里見浩太朗によれば2019年にNHKで放送された『スローな武士にしてくれ』の撮影時、京都撮影所に撮影見学に来ていたという[9]。
2022年5月12日に肺炎を起こし、約3週間入院。2022年6月28日(火曜日)午後9時59分、老衰のため京都市内の自宅で死去[11][12]。96歳没。訃報は同年7月4日に所属事務所により公表された。関係者によれば同年5月12日に肺炎を患って入院。6月初旬に体調が好転したことで退院し、その後は自宅で過ごしていたが、死去当日に体調が急変し、妻に看取られて息を引き取ったという[13]。 佐野の高齢に伴い、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
後任
麦人 - 『シャーロック・ホームズの冒険「まがった男」』:ヘンリー・ウッド役 ※追加吹替部分
中庸助 - 『刑事コロンボ「祝砲の挽歌」』:ライル・C・ラムフォード大佐役、『刑事コロンボ「仮面の男」』:ネルソン・ブレナー役 ※追加吹替部分
出演作品
映画
日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声(1950年) - 山田軍曹
愛と憎しみの彼方へ(1951年) - 新聞記者A
真空地帯(1952年) - 地野上等兵
太陽の季節(1956年) - 江田
花の運河
肉体の密輸(1956年) - パイラアの新助
街燈(1957年)
無法一代(1957年) - 喧嘩政
マダム(1957年) - 着流しの男
夜は俺のものだ(1958年) - 岩蔵
その女を逃すな(1958年) - 芦山巡査
哀愁の高速道路(1958年) - 倫野刑事
姿なき顔役(1958年) - 庄司部長刑事
荷車の歌(1959年)
野火(1959年) - 兵隊4
その壁を砕け(1959年) -自動車販売店員
清水の暴れん坊(1959年)- 蕎麦屋の男
大学の暴れん坊 (1959年)
鉄火場の風(1960年)
幌馬車は行く(1960年)
波の塔(1960年)
散弾銃の男(1961年) - 黒沼
いのちの朝 (1961年) - 小田新二
街に気球があがる時(1961年) - 尾形専務
憎いあンちくしょう(1962年)
激流に生きる男(1962年)
ぶらりぶらぶら物語(1962年、東宝)