佐藤順一
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^ 細田は原画マン時代にあまりの佐藤の演出の指導力の高さから「佐藤学校があるのではないか」と思ったという。
^ 同じ東映の五十嵐卓哉と細田守は、それぞれ風山十五と橋本カツヨというペンネームで参加している。
^ これは「演出家たるもの、自分も演出できなければならない」という彼のポリシーに基づくもの。
^ その後、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』では本名の佐藤順一でクレジットされている。
^ 『エヴァンゲリオン』では庵野秀明から鈴木俊二薩川昭夫と合わせて「日常エピソード・トリオ」と呼ばれていた。
^ 原作者でもある河森正治を抑えるために呼ばれた[12]
^ 東映では各話演出が他社で言う監督に近い存在であるため、シリーズディレクターは演出の切ったコンテを認めるべきという空気がある。しかし作品のテイストは統一しなければならない。そこで組み合わせるとその作品のイメージとなる、誰でも使えるパーツやツールを決めることにしていた。それが『きんぎょ注意報!』では漫画の表現だったとのこと[2]
^ 後に妻となる渡辺恭野(現・佐藤恭野)と行った。
^ 佐藤の演出について、庵野秀明は「作品から引いてるところがいい」「客観的な感じがいい」と語っている[27]
^ 庵野秀明は「そこら辺のアニメーターより全然画が上手い」と語っている[28]
^ 監督も作画もすべて自身で手掛けた切り紙アニメーション
^ 後にアニドウの「プライベート・アニメフェス」でも上映された。
^ 入社と言っても最初は2年契約の契約社員的扱いの研修生という身分で、その後も10年ほど研修生扱いのままだった[9]
^ 最初の試験結果では不合格だったが、合格者の一人の島田満が脚本の方に行くことになったため、補欠で入ることが出来た[23]
^ クレジットでは制作進行となっているが、当時の東映の制作進行の仕事内容は演出助手進行というもので、制作進行をしながら演出助手もするというのが普通のスタイルだった。
^ オープニングに佐藤の名前がクレジットされた最初の作品でもある。
^ ジブリとの交渉中は宮崎駿に作品よりも労働組合のことを相談していた。
^ 東映の作品は、プロデューサーとライター、TV局のプロデューサー、おもちゃメーカーとである程度大枠を決め込んでからディレクターが参加することが多く、最初から呼ばれるのはイレギュラーなことだった[25][32]
^ 東映の人間として仕事をしてギャラを東映経由でもらう形。
^ 東映所属の演出家としては、他に細田守が同様のやり方でスタジオジブリに出向したことがある。
^ 本名を使うことは黙認されたが、東映への配慮で監督ではなく総指揮としてクレジットされている。
^ ハルフィルムメーカーはその後、2003年にゆめ太カンパニーとともにティー・ワイ・オーの傘下に入り、2009年にはゆめ太カンパニーを存続企業として吸収合併される。そして佐藤は新たに設立されたTYOアニメーションズに2016年まで在籍する。
^ それでも、「作品に出てくるのはガンプラだが一応パロディ元の『ガンダム』で拾えるとこは拾っておいたほうがよいのではないか」と考え、それまで興味のなかったガンダム作品をいろいろ観てみたという[38]
^ a b c d e f g h 甚目喜一名義。
^ a b 天上はじめ名義。
^ 星野らんちゅう名義。
^ 59話まで。以降は幾原邦彦。
^ ミソトハジメ名義。
^ 五十嵐卓哉と連名。
^ a b c d e f g h i j k l m n ノンクレジット。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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