佐藤輝明
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開幕2戦目となる3月27日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)ではプロ初本塁打を記録した[26]。4月1日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)ではセ・リーグの新人選手で史上初となる開幕2カード連続本塁打を記録した[27]。4月27日の中日ドラゴンズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では7号ソロを打ち、当時横浜ベイスターズ所属の村田修一2003年)と並びドラフト制以降の新人選手による4月末までの最多本塁打タイ記録となった[28]。5月2日の広島戦(阪神甲子園球場)では休養を取った大山悠輔に代わって「4番・三塁手」で先発出場し[29][注 3]、プロ入り初の満塁本塁打を含む5打点を記録した[31][注 4]。5月7日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では10号ソロを打ち、ドラフト制以降の新人選手では史上最速となる33試合目での2桁本塁打を記録した[33][注 5]。5月28日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)では、長嶋茂雄(巨人)以来63年ぶりとなる新人選手による1試合3本塁打を記録した[34][注 6]。3本目の本塁打は、同点に追いついた9回二死の場面で抑えのリード・ギャレットから打った起死回生の勝ち越し打であった[35]。5月は打率.301、6本塁打、19打点の活躍により自身初となる月間MVPに選出された[36][注 7]。6月6日の対ソフトバンク戦(甲子園)では交流戦5本目となる本塁打を打ち、交流戦本塁打数の新人最多記録を更新した[38][注 8][注 9]。一方で三振も多く、新人野手では史上初となる1試合5三振を記録(9回でのプロ野球ワーストタイ)するなどし[40]、開幕から84試合目、東京オリンピックによる中断前のシーズン最終戦となる7月14日のDeNA戦で3三振を喫した時点でシーズン通算三振数が121となり、1999年に福留孝介(当時中日)が132試合出場で記録した新人の年間最多三振数に並んだ[41]オールスターゲームでは、史上初となる新人でのファン投票セ・リーグ最多得票で外野手部門に選出される[42]と、7月17日の第2戦(楽天生命パーク宮城)では「6番・右翼手」でスタメン出場し、1打席目で宮城大弥からソロ本塁打を打ち敢闘賞を受賞した[43]。オリンピックによる中断明け初戦となる8月13日の対広島戦(京セラドーム大阪)第1打席で三振を喫し、新人の最多三振記録を更新する[44]。8月17日のDeNA戦(東京ドーム)では21号ソロを打ち、大下弘(1946年)が保持していた新人左打者の最多本塁打記録を75年ぶりに更新した[45]、また、この試合では2発の本塁打を放った[46]。8月19日のDeNA戦では2打席連続本塁打となる23号ソロを打ち、田淵幸一(1969年)が保持していた球団新人の最多本塁打記録を52年ぶりに更新した[47]。しかし、8月21日の試合を最後に本塁打はおろか安打まで出なくなり、9月10日に二軍降格[48]。9月23日に一軍に復帰したが、その後も安打は出ず、9月28日に53打席連続無安打となり、ケルビン・トーベの持つ野手の同一シーズン連続打席無安打プロ野球記録に並んだ[49]。9月29日の広島戦でレフトフライに倒れ、同一シーズン54打席連続無安打の新記録を樹立。10月3日の中日戦で4打数無安打に終わりロッテの岡田幸文が記録した野手の連続無安打記録(当時)である59に並んだ[50]。10月5日のDeNA戦でライト前安打を打ち、記録をストップさせた[51][52]。10月24日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)で2か月ぶりとなる24号3点本塁打を放った[53]。最終的に規定打席に到達し、チームトップの24本塁打を放ったものの、打率.238、出塁率.284とコンタクトに苦しみ、特に三振数は歴代6位で日本人としては2位タイ記録、また阪神ではゴメスを越え歴代最多となる173を数えた[54]。オフには2600万円増となる推定年俸4200万円で契約を更改[55]。12月15日、同じくルーキーの伊藤将司中野拓夢らと共に、チームでは2019年の近本光司以来となる新人特別賞を受賞した[56]

2022年、5月18日の対ヤクルト戦でシーズン10本塁打を記録、これによりルーキーイヤーから2年連続2桁本塁打を記録したが、これは岡田彰布が1980年、1981年にルーキーイヤーから2年2桁本塁打を記録して以来の球団記録となった[57]。8月26日、対中日戦で三塁手として先発したが、途中で二塁手としてプレイを続行。佐藤としてはプロ入り初の二塁手を経験した[58]。最終的には全試合出場を果たし、本塁打の数は24から20に減ったものの、打率が.238から.264に上がり、打点は64から84へ、安打数が101から143に増え、三振した数が173から137に減り、打撃面で大きく改善した。12月1日には、倍増以上の推定年俸8500万円で契約を更改した[59]

2023年、序盤こそ打撃不振に至りスタメンから外された試合もあったものの5月14日の対DeNA戦(甲子園)には1回二死一・二塁の打席で平良拳太郎から3点本塁打、4回二死満塁の打席で三嶋一輝から満塁本塁打を放ち、自身初の1試合7打点を記録した[60]。同月19日の対広島戦(甲子園)では4回無死無走者の打席で玉村昇悟から球団通算8000本塁打を放った[61]。しかし、その後は調子が上がらず6月25日に2021年9月10日以来の二軍降格となった[62]。7月5日の一軍昇格後[63]も不振が続いていたものの、例年苦戦する夏場から調子を上げていった。8月12日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)では3-3の同点で迎えた延長12回無死満塁の打席で田口麗斗から自身初のサヨナラ打となるサヨナラ犠飛を放った[64]。9月は、8日の対広島戦(甲子園)で2回無死無走者の打席で床田寛樹から本塁打を放ち、阪神生え抜きの左打者では1985年掛布雅之(17本)以来となる1シーズンで甲子園で2桁本塁打を記録した。また、この本塁打で入団から3年間での通算本塁打を62本とし、田淵幸一が保持していた球団記録の61本を更新した[65]。13日の対巨人戦(甲子園)では3回一死満塁の打席で松井颯からシーズン2本目の満塁本塁打[66]、翌14日の対巨人戦(甲子園)でシーズン20本塁打を記録し、これにより新人から3年連続20本塁打達成となりNPBでの新人左打者3年連続20号は史上初(右打者では牧秀悟など)で球団では1982年に達成した岡田彰布以来となった。16日の対広島戦(マツダスタジアム)では自身初の1試合4安打を記録した[67]。シーズン残り2試合で迎えた10月1日の対広島戦(マツダスタジアム)では、23号3点本塁打を含む4打点を挙げ、キャリアハイとなるシーズン90打点を記録した。また、シーズン90打点以上は、球団としては2014年のマウロ・ゴメス(106打点)以来、生え抜き打者としては2010年の鳥谷敬(104打点)以来13年ぶり史上9人目の快挙である[68]。9・10月度は月間打率.356、9本塁打、29打点の成績で、10月11日に月間JERAセ・リーグAWARD[69]、同月16日に9月度の「阪神タイガース DIDアワード[70][注 10]、同月24日に月間MVPに選出された[72]


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