寺成紀、福田己津央、星護、伊勢田雅也がプロデュースまたは監督・演出を務める作品に起用されることが多い。また、ネルケプランニングがキャスティングに関与している作品に起用される事が多い。
作曲家の坂部剛や大橋恵や未知瑠は過去に佐橋のアシスタントを務めていた[5]。
作風
『007シリーズ』や海外SFドラマの影響から、金管楽器主体のオーケストラにリズム隊を加えた楽曲を好んでおり、作曲においてもシリアスな作品より大きなサウンドの楽曲を書ける作品の方が肌にあっていると述べている[5]。
ディズニーランド時代の経験を基に、『仮面ライダー電王』の頃よりパネルに入れたデザイン画を参考にイメージを膨らませて作曲を行っている[5]。
『ウルトラマンガイア』ではオーケストラサウンド、『仮面ライダークウガ』ではエレキギターとシンセサイザーを強調したロックサウンドなど、作品ごとにスタイルを変えているのも特徴である[4]。佐橋は円谷プロダクション作品と東映作品とでは求める音が異なるとしており、前者は神々しさを帯びたメジャー調、後者はダークさも秘めたマイナーコードがそれぞれ似合うと述べている[2]。
全盛期の頃はジャンルの共通する作品での楽曲の使い回しが目立った[6]。
エピソード
スーパー戦隊シリーズで初めて手がけた『激走戦隊カーレンジャー』では、初回録音に60から70曲を用意せねばならず、執筆が間に合わず録音に遅刻した[5]。また、初回の作曲でアイデアを使い果たしてしまい、その後の作曲にも苦心し、以降の作品では全体のバランスを計算して作曲を行うようになったという[5]。初めてバランスをコントロールできたのは『星獣戦隊ギンガマン』であると述べている[2]。
音楽をモチーフとした『仮面ライダー響鬼』では、第1話の冒頭についてプロデューサーの寺成紀やパイロット監督の石田秀範はミュージカルにはせず音楽とカット割りを合わせる演出を想定しており、佐橋もこれを了解していたが、打ち合わせの中でモチベーションが上がり即興で作曲し、これが採用されミュージカル風の描写となった[7]。打ち合わせに参加していた石田は同じ作家として止められないという旨を寺へ述べており、寺はこれを佐橋のほとばしりであったと称している[7]。しかし、佐橋自身は後年のインタビューで覚えがないとしており、冗談か何かでミュージカルにしようと言ったのかもしれないとしている[2]。
佐橋は『獣電戦隊キョウリュウジャー』でメイン監督を務めた坂本浩一について、アメリカで活躍していた坂本の作風が海外ドラマの影響を受けている自身の作風と合致していたと述べている[5]。しかし、実際のオンエアでは武器の効果音が大きく、カット割りも細かったため、これに対応できるよう細かい曲にすればよかったと述懐している[2]。
主な作品
テレビ番組
みんなの体操(NHK)
BSジュニアのど自慢(NHK BS2、1999年4月 - 2002年9月まで同番組のテーマ曲、ファンファーレ曲等を担当)
紅白歌合戦(NHK、1991年から1994年までのテーマ曲を作曲)