1960年以降は、社会派の巨匠、今井正監督『白い崖』(1960年)[3]、家城巳代治監督『秘密』、自ら映画化を希望した村山新治監督『故郷は緑なりき』と着実に出演を重ねた。
1960年、鶴田浩二の東映入社第一作『砂漠を渡る太陽』で鶴田の相手役を務め、以降『湖畔の人』で共演。『人生劇場 飛車角』の頃から、実生活でも鶴田の恋人として大いに当時のマスコミをにぎわせた(『ヤングレディ』 1966.3.21号 南部僑一郎寄稿「佐久間良子と鶴田浩二の禁じられた恋の結末」、カーロン愛弓『父・鶴田浩二』新潮社)。
1962年(昭和37年)、3月31日からイタリアのミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅(東宝社長)を団長として、川喜多長政、奥山融、そして、映画会社各社代表女優の吉永小百合(日活)、星由里子(東宝)らとともに東映の代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。
1963年、映画『人生劇場 飛車角』で鶴田演ずる飛車角の情婦という初の汚れ役が話題になった。続いて、『五番町夕霧楼』(代表作。サンケイ新聞社 シルバースター主演女優賞)、『越後つついし親不知』、『湖の琴』(1966年 NHK主演女優賞、京都市民映画祭賞)などの映画に出演し、演技力が認められるようになった[1]。
1960年代後半に入り、東映はヤクザ映画とポルノ路線を推し進め、ヤクザ映画の藤純子に東映のトップ女優の座を譲り、以後、映画出演は激減した。当時、出演が決まりながら流れた企画映画に『ロバータ、さあ歩きましょう』『石狩平野』等がある。1968年には他社主演映画の松竹『わが闘争』で、初の役柄であるヒロイン堤玲子を演じた。同年、『雪夫人絵図』で官能のヒロイン雪を演ずるが、文芸作品は、ヤクザとエロスに取り組んでいた当時の東映カラーに合わないとしてお蔵入りとなった(1975年に日活系で公開)。また、翌年出演した小幡欣治原作『あかさたな』の映画化は東映の興業に合わせて、『妾二十一人 ど助平一代』と、女優としては口にするのもはばかるような題名で公開される等、佐久間良子と東映路線との距離は離れていった。1968年
1967年頃からテレビドラマと舞台に活躍の場を移し、テレビでは『徳川の夫人たち』『皇女和の宮』に出演した。初舞台の1969年の『春の雪』は好評のため4ヵ月のロングランとなり、大女優との評価を得たが、大女優の常として代表作が少ないか存在しないのが難点だった。テレビドラマでは特にNHK大河ドラマ史上、数少ない女性主役を務めた『おんな太閤記』のねね役が知られている[1]。
舞台では1983年に菊田一夫演劇大賞、1995年に文部省芸術祭賞を受賞している。2004年の舞台大作『鹿鳴館』(三島由紀夫原作)では元夫の平と成人して俳優になった長男・平岳大との3人での共演した。 地元でも有数の大地主の次男で軍医だった父は、戦後製薬会社に勤務し、後に役員になった[2]。 1970年4月16日、佐久間は俳優の平幹二朗と東京・赤坂の霊南坂教会で結婚式を挙げた[2]。1974年7月、長男岳大・長女(双子)を出産[2]。1984年離婚記者会見[2]。平との結婚生活にピリオドを打った。離婚を決断した理由は佐久間によれば「夫婦のギクシャクした空気はどうしても子どもたちには隠し通せなくなり、ストレスが原因で、気が付くと息子はチック症というまぶたの筋肉がけいれんする神経性の病気にかかり、娘も妙に明るく騒ぐなど、様子が普通ではなくなっていた[2]」ためという。
人物
27歳当時、テレビドラマが縁でフジテレビディレクター島田親一(当時34歳)と噂が。また、離婚後45歳当時、1984年8月21日テレビディレクター小田切成明と軽井沢別荘での密会写真が女性週刊誌にフォーカスされ、29日釈明会見がされた。
書道では1977年に日展に入選。毎日書道展でも入選。各地で個展も開催されている。2003年の誠直也主演の『実録ヒットマン 北海の虎・望郷』では題字を担当した(出演はしていない)。
1998年12月、宗教団体「二譲会」代表とともに「広告塔」としての責任を問われ都内の主婦より損害賠償請求で提訴される。それ以前10月当時からの週刊誌報道が過熱するなか、11月25日、緊急記者会見。代表との関係は認めるが、身に覚えのないことと広告塔であることについては否定。2000年3月、一部週刊誌に代表との借金トラブルが報じられ、二譲会女性幹部からは醜聞的暴露記事も。一時は和解へ向かったが、法廷闘争へ。2000年5月10日には、裁判に初出廷。その後10月27日の判決で佐久間自身に責任はないとされた。
2012年2月1日から1ヵ月間にわたり、日本経済新聞社・朝刊のコーナー「私の履歴書」に連載(2015年5月、これを原作としてBSジャパンでテレビ番組化されている)。
家族・親族