昭和17年(1942)、鎮守府庁舎地下に完成。地下2階、総面積約700平方メートルの規模があり、軍港周辺の見張所からの情報を統括し、高射砲台の砲戦指揮を行った。
昭和20年6月の佐世保空襲の際に鎮守府庁舎は全焼したが防空指揮所は被害を免れた。戦後に不審火により内装は焼失したものの、堅牢に造られた地下壕本体は健在である[6] [7]。 現在、佐世保市では旧海軍及び佐世保鎮守府ゆかりの名物料理として、「ビーフシチュー」と「入港ぜんざい」を売り込んでいる。 ただし、ビーフシチューは佐鎮第7代司令長官の東郷平八郎がイギリス留学中に親しんだといわれ、ぜんざいは佐世保を始めとした国内軍港への帰港前の艦内で将兵にふるわまれたものであり、実際にはいずれも佐世保に限らず旧海軍と関係する食べ物である。 海軍部内で流行したヘル談(猥談)の中でも有名なものに「チンタツサセニコイ」がある。朝鮮の鎮海港から佐世保港に帰る乗組員が妻に「鎮海を出航するから佐世保に会いに来てくれ」という意味で打電しただけだが、電報を受け取った妻の親は旦那にあきれ返ったというのが当初の筋書きである(のちに、出航取り止めで「チンタタズサセニクルナ」と電報が届く、もしくは嫁も存外乗り気で「チンムリニタタスナスグサセユク」と返信が届く…などの後日談が追加されている他、このような文面になった理由として「電報にかかる費用を抑えるため、意味が通じる限界まで文章を圧縮したため」と語られることもある)。 高級士官は上陸の際は街の料亭での遊興を楽しみにしていた。佐世保の料亭は「山」「川」の符丁で呼ばれた。山は谷郷町の「万松楼」、川は高砂町の「いろは楼[8]」である。戦後、山は市内最大の旅館、川はこぢんまりした小料理屋にと、両極端に変貌した。
その他
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、佐世保鎮守府に関連するカテゴリがあります。
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館
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東公園 (佐世保市) - 旧海軍墓地。
田中穂積 - 鎮守府軍楽隊長で「美しき天然」の作曲者。
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日本遺産(鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ?日本近代化の躍動を体感できるまち?)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 長崎港の11倍、神戸港の5倍、横浜港の3倍の規模を誇った。
^ 陸軍の鎮台が歴史ある城下町に置かれたのに対し、鎮守府は水深が深い港湾に面した寒村、すなわち急峻な山に囲まれ、外敵の侵入を拒む湾口、艦艇の航行・停泊が自在にできる湾内、水深の深い穏やかな入江などの地勢条件を満たす場所が選定された[5]。
^ もともと佐世保湾という名称は無く、それ自体、大村湾の一部であった。江戸時代の地図にも埋め立てられる前の基地周辺が大村湾の佐世保浦、SSK周辺が琵琶浦と描かれている。鉄道唱歌も「大村の湾をしめたる佐世保には」である。
出典^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 佐賀県 ⇒1889年4月1日
^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 ⇒1889年4月1日
^ させぼ夢大学 『させぼ 歴史・文化 夢紀行 』 芸文堂、2001年10月15日、28頁。
^ させぼ夢大学 『させぼ 歴史・文化 夢紀行 』 芸文堂、2001年10月15日、84頁。
^ “鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴
^ “旧佐世保鎮守府防空指揮所跡
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