佐々木貴
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しかし8月26日、プロレスサミット有明大会で、"黒天使"沼澤邪鬼に敗れ、王座から陥落した。

2008年2月に発覚した金村キンタローの強制猥褻事件では、アパッチを代表して真っ先に会見を開き、謝罪し、団体の無期限活動停止処分も発表。興行活動再開後はGENTAROとのコンビも復活させ、大日本のデスマッチ戦線に絡みつつ、団体再興を推進していたが、2009年の第1次アパッチ解散に伴い、自ら代表として新団体「プロレスリングFREEDOMS」を設立して旗揚げした。

2011年は大日本の一騎当千への参加中、東日本大震災が発生し実家も被災したことから奮闘を見せ、予選全勝のうえ決勝で竹田誠志を下し完全優勝した。これにより優勝者としてBJW認定デスマッチヘビー級王座を再び伊東竜二と争ったが、敗れてしまう。

2013年にはKING of FREEDOM WORLD王座の創設を発表し、5月に自身が初代王座となる。一方、大日本では石川修司シャドウWXに、ジ・ウィンガーを加えた「奥羽越列藩同盟」というユニットを結成したが、この年の秋頃から自身が大日本へ参戦しなくなったためユニットは空中分解する。その後、大日本から距離を置く形でFREEDOMSを運営するようになる。

2016年4月1日には団体を株式会社化して社長となる。
得意技
Dガイスト

新型Dガイスト

ライガーボム

スイングDDT

右腕

右脚
バズソーキックと同型。仰向けになった相手の上半身を起こして相手の左側頭部を振り抜いた右足の甲で蹴り飛ばす。
トラースキック

各種キック

タイトル歴
プロレスリングFREEDOMS


KING of FREEDOM WORLD王座(初代)

KING of FREEDOM WORLD TAG王座(第7代、第20代)(パートナーはGENTAROマンモス佐々木

WEW


WEWタッグ王座(初代)(パートナーはGENTARO)

DDTプロレスリング


KO-D無差別級王座(第15代)

KO-Dタッグ王座(初代、第5代、第7代、第10代、第13代)(パートナーはNOSAWAMIKAMI→GENTARO→タノムサク鳥羽→GENTARO)

KO-D10人タッグ王座(第7代)(パートナーはポイズン澤田JULIE、GENTARO、MIKAMI、タノムサク鳥羽)

アイアンマンヘビーメタル級王座(第84代、第101代)

大日本プロレス


BJW認定デスマッチヘビー級王座(第18代、第20代)

BJW認定タッグ王座(第20代)(パートナーはGENTARO)

横浜ショッピングストリート6人タッグ王座(第32代)(パートナーは伊東竜二宮本裕向

一騎当千 DeathMatch Survivor優勝(2011年)

GCW


GCW世界タッグ王座(第35代)(パートナーは杉浦透

入場曲

This is WAR(
VANDENBERG、アルバム「誘惑の炎」より)

人物

大学では、
情報学部にてマスコミ関係の勉強をしていた。プロレスラーになれなかった場合に、週刊プロレスの記者になる事を視野に入れていた、とインタビューで語っている[11]

大日本やFREEDOMSのDVD制作や団体公式サイトを運営する有限会社ネオプラス佐藤肇社長が、「佐々木貴に似ている」と度々イジられている。

2009年、DDTプロレスリングが経営するスポーツバー「ドロップキック」で、ほぼ毎週木曜夜に「殿の宴」と称したイベントを行っている。FREEDOMS・大日本などの選手をゲストに招く形を取っている。なお、先行したイベントは2008年3月に開催する予定だったが、前述の金村事件の影響で中止になっている。

ブログやツイッターでは息子のことを殿キッドと呼んでいる。

大学進学のために上京してから大の横浜DeNAベイスターズファンであり[12]横浜スタジアムまで試合を若手と見に行くこともある他、一緒に横浜スタジアムに観戦に行くイベント「殿の宴!」を開催していたりFREEDOMSでも横浜の応援歌の曲名をもじった大会名を付けている。週刊プロレスが毎年11月に発行している選手名鑑の「好きな有名人」の項目では内川聖一村田修一筒香嘉智などほぼ毎年ベイスターズの選手の名前が記載されている。11月に行われるベイスターズのファン感謝祭では毎年FREEDOMSのショップが出店している[13]

仮にFREEDOMSが無くなった場合は自身も引退すると述べており、フリーで続けようとは思わず、最後の砦として団体経営に全てを注いでいる。

映画出演

狂猿(2021年、SPACE SHOWER FILMS)[14]

脚注^ a b 柴田惣一 (2014年6月18日). “生徒会長から殿になったプロレスラー”. 今日も一緒にプロレスを楽しみましょう. 東京スポーツ. 2014年8月13日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2022年8月30日閲覧。
^ “【日本一過激なプロレス団体FREEDOMS】代表・佐々木貴 独占インタビュー!”. ヴィレッジヴァンガード (2018年2月16日). 2022年8月30日閲覧。
^ 柴田惣一 (2016年8月28日). “柴田惣一『「深紅の銃弾」佐々木貴と「真っ赤なトマト」ネクタイの私』”. 千のネクタイを持つ男 柴田惣一オフィシャルブログ「今日の一本勝負!」Powered by Ameba. 2022年8月30日閲覧。
^ a b “葛西が残り15秒、執念の壮絶技で伊東下す=大日本プロレス”. スポーツナビ (2009年11月20日). 2022年8月30日閲覧。
^ a b 鈴木健.txt (2016年9月). “鈴木健.txt/場外乱闘 番外編”. プロレス・格闘技専門ch FIGHTING TV サムライ. 2022年8月30日閲覧。
^ a b 「プロレス団体がフリーダムズ 来月一関大会 佐々木、泰里両選手が開催アピール」『岩手日日』、2018年6月24日。2023年5月29日閲覧。
^ 福留崇広 (2022年8月27日). “誰からも愛された悪役レスラー鶴見五郎さん…愛弟子・佐々木貴が明かす永遠の伝説…26日に73歳で死去”. スポーツ報知. 2022年8月30日閲覧。
^ a b “佐々木貴”. 週刊プロレスmobile 選手名鑑. 2022年8月30日閲覧。
^ 剣山を使ったデスマッチは、2001年10月27日後楽園ホール大会の、アブドーラ小林vs松永光弘との一戦で、有刺鉄線との組み合わせの「薔薇剣山デスマッチ」が実現。その際、小林の腕に刺さって抜けなくなった。
^ “大日大戦’07 vol.2”. ツタヤディスカス/TSUTAYA DISCAS. 2022年8月30日閲覧。
^ 週刊プロレス 2012年4月18日号より
^ “ ⇒横浜ファンが作ったデスマッチ団体。FREEDOMSの夢は“聖地”ハマスタ。”. Number Web - ナンバー (2015年9月6日). 2016年1月5日閲覧。
^ “ ⇒横浜DeNAベイスターズファンフェスティバル2015 神奈川・横浜スタジアム”. FREEDOMS フリーダムズ プロレス (2015年11月28日). 2016年1月5日閲覧。
^ “狂猿”. 映画.COM (2021年5月28日). 2021年6月4日閲覧。

外部リンク

佐々木貴- FREEDOMS公式ホームページ


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