佐々木勝彦
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大学卒業後、文学座の養成所へ入所[4][3]文学座研究所第8期[5]、ジャックプロダクション[8]、田中事務所を経て[1]、1988年に青年座映画放送に入団[9]。2020年からバイ・ザ・ウェイに所属[5]。声優業はフクダ&Co.に所属(業務提携)[5]

養成所を卒業後にドラマ『安ベエの海』でデビュー[3]。そのドラマを見ていた藤本真澄からの誘いがあり、東宝の専属俳優制末期に入社。1971年誰のために愛するか』で映画デビュー[4]。当初は「小林桂樹の後を継ぐのはお前だ」とのことで三枚目で売り出されたが、1971年に専属制が廃止されると二枚目役が増えた[10]

1994年から声優業に進出。洋画や海外ドラマの吹き替えでは、リーアム・ニーソンロバート・デ・ニーロアレック・ボールドウィンマーティン・シーンウィリアム・ハートチョン・ドンファンなどを担当[11][3]

共演した京田尚子からは『三国志 Three Kingdoms』の日本語吹き替え版において司馬懿役を担当した際に「本当にお上手でした」と評された[12]
人物

祖父は佐々木孝丸[4][3]、父は千秋実[出典 2](孝丸の娘婿)。宮本信子は再従妹(宮本の父が千秋と従兄弟)。

ゴジラシリーズには、アメリカ版の吹き替えも含め6作品に出演している[3]。『ゴジラ対メガロ』(1973年)公開前に東宝ゴジラ着ぐるみを着たことがあったという[10]。父も『ゴジラの逆襲』(1955年)、祖父も『怪獣大戦争』(1965年)に出演しており、親子3代にわたりゴジラシリーズに出演を果たしている[7][3]

特技は[1][2]ギター[1][2]野球[2]。趣味は生け花[2]ゴルフ[2]水泳[1][2]

ゴジラvsキングギドラ』(1991年)でジョン・ウェインの吹き替えとしても知られる小林昭二と共演した際に、佐々木は自身も吹き替えをやりたいと話したところ、「そんなに簡単なものではない」と小林から心構えを教えられ、後に声優の仕事を務めた際に勉強になったと述べている[3]
出演作品(俳優)
テレビドラマ

ポーラテレビ小説 / 安ベエの海(1969年 - 1970年、TBS) - 長山哲太郎

土曜グランド劇場NTV

おふくろの味(1970年)

検事・若浦葉子 第7話「供述・一枚の写真に秘める女二人の半生」(1991年)


それゆけ結婚(1971-1972年、KTV


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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