会計年度の開始月の変遷1
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月3
月4
月5
月6
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月8
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月11
月12
月
?明治元年(1868年)旧暦1月 →
明治2年(1869年)? 旧暦10月 →
明治6年(1873年)?1月 →
明治8年(1875年)? 7月 →
明治19年(1886年)? 4月 →
明治政府における「会計年度」は、明治元年](1868年)においては、従来の慣例に従って「旧暦1月 - 旧暦12月制」だった[3]。
近代大蔵省が明治2年7月8日(1869年8月15日)に創立すると、同年旧暦9月に「金穀出納ノ実計ニ適合セス」として、会計年度は新米の収穫後に合わせて「旧暦10月 - 旧暦9月制」と決められ、同年より導入された[3]。
明治5年(1872年)旧暦10月には、旧暦(太陰太陽暦)から新暦(グレゴリオ暦)への改暦に合わせて「1月 - 12月制」に変更するとし、明治6年(1873年)1月から実施した[3]。
明治6年(1873年)7月28日に地租改正法が制定されたため、明治7年(1874年)10月には地租の納期(第1期が8月)[※ 1]に合わせた「7月 - 6月制」の導入が決定され、明治8年(1875年)7月から実施した[3]。
明治9年(1876年)の秩禄処分により明治政府は財政健全化の道筋をみるが、数々の特権廃止に反発する士族反乱は頂点に達し、明治10年(1877年)に西南戦争が勃発した。政府は多額の戦費を捻出するため不換紙幣を濫発し、インフレーションが発生した。明治14年(1881年)の明治十四年の政変により「積極財政」を敷く大隈重信が政府から追放されると、松方正義により紙幣整理が推し進められた(松方デフレ)。政府も「緊縮財政」を実施するが松方デフレの影響で税収は減少しており、煙草税や酒造税や醤油税などの増税、官営模範工場の払い下げも行った。一方で、明治15年(1882年)の壬午事変により、翌年から大日本帝国海軍の拡充計画が進んだため、財政赤字の穴埋めの必要から明治18年度(1885年度)の酒造税を明治17年(1884年)度に繰り入れしてしまった[3]。翌年度の税収を繰り入れてしまったこの状況を改善するには、明治19年(1886年)度より酒造税の納期(第1期が4月)[※ 2]に合わせて年度変更するほかに方法がないことになり、明治17年(1884年)10月に「4月 - 3月制」の導入が決定され、明治19年(1886年)4月から実施された[3]。「4月 - 3月制」は明治22年(1889年)の会計法制定により法制化され、市制および町村制の施行に合わせて同年4月より市町村でも実施され、翌年5月より道府県(後に都も)も実施した[※ 3]。
終戦後の公共機関では、日本国憲法第86条および90条[※ 4]により「1会計年度は1年」「各々の会計年度は独立[※ 5]」と規定されているが、始期と終期の規定はない[3]。会計年度を「4月 - 3月制」と規定しているのは、国では財政法第11条[※ 6]、自治体(普通地方公共団体)では地方自治法第208条第1項[※ 7]である[3]。
会計年度の始期・終期を変更しようとする議論は、実際に変更がなされた以外にも明治時代から何度も提起されているが、いずれも見送られている。1972年(昭和47年)には当時の田中角栄首相が会計年度の暦年制移行をうったえたが、結局、大蔵省(当時)などの反対により暦年制への移行は実施されなかった。 収入・支出をどの会計年度へ所属させるか、には大きく2つの基準・方法がある。 一つは、収入・支出の原因発生の時点を標準とするもので、発生主義(予算主義)と呼ばれている。企業会計は、複式簿記会計によっているため、発生主義に基づいた処理を行っている。公共機関も欧米諸国を中心に発生主義を採用している国が多い。日本の官庁会計は発生主義の採用が著しく遅れているといわれている。 もう一つは、収入・支出に係る行為が完了した時点を標準とするもので、現金主義(形式主義・決算主義)と呼ばれている。これは、単式簿記や単年度会計に向いているとされ、日本の官庁会計は現金主義の影響が非常に強いといわれている[4]。 税目第1期第2期第3期第4期
会計年度の所属
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 地租の納期は以下の通り。
田方税??1月(五分)4月(五分)
畑方税8月(五分)10月(五分)??
^ 当時の日本酒は、杜氏が寒造りで製造するのが一般的であり、杜氏は稲作の秋の収穫期が終わった農民が冬場の出稼ぎとして担っていた。そのため、酒造税の納期は、新酒の醸造が行われる冬場を除いた3期に分かれ、4月に第1期、7月に第2期、9月に第3期となっていた。
^ 西南戦争後に興隆した自由民権運動に圧されて1881年(明治14年)10月12日に国会開設の詔が詔勅され、1890年(明治23年)を期して国会(議会)が設立されることになった。すると、議会設立以降は、議会の財政審議権により政府の財政自主権は制約を受けることになると予想されたため、財政関連法および租税立法が事前に整備された、という事情もある。なお、大日本帝国憲法は1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された。また、憲法施行同日に帝国議会が設立された。
^ 1946年(昭和21年)11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日施行。
^ 「会計年度独立の原則」は、地方自治法第208条2項にも規定されている。
^ 1947年(昭和22年)3月31日法律第34号
^ 1947年(昭和22年)4月17日法律第67号
出典^ ただし個人事業主は税法により始期と終期は1月1日から12月31日までと定められている。
^ 梅村喬『日本古代財政組織の研究』(吉川弘文館、1989年) ISBN 978-4-642-02236-1 P4・52-56
^ a b c d e f g h 柏崎敏義「会計年度と財政立憲法主義の可能性-松方正義の決断-