会計史
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スペインの修道院で発見された[19]。「数学史」も参照
記数法

会計には計算が欠かせず、記数法との関係が重要となる。エジプト数字バビロニア数字ローマ数字は計算に時間がかかる。この点でインド数字は十進法であり、計算が容易で会計に適した記数法であった。インド数字は西アジアに取り入れられてインド・アラビア数字となり、イスラーム世界を通じてヨーロッパ、のちには世界各地に普及していった[20]
道具

ものを数える行為は、文字とは別個に行われていた[注釈 1]。紀元前30世紀のメソポタミアでは、粘土のトークンと容器を用いた会計が在庫管理に使われていた[5]。アメリカのインカ帝国では、キープと呼ばれる縄で財政が行われていた[21]。また、近代の無文字社会でも官僚組織と財務管理を整備した国家が存在した[22]

会計を記録する道具としては、粘土板パピルス竹簡木簡樹皮木の葉結縄絹布羊皮紙などが使われた[23]。日本では、和紙の長帳や袋帳に取引を筆書きし、そろばんを使って集計した。これを帳合と呼び、分類的には多帳簿制収支(検算)簿記とも呼ぶ[23]
情報

会計技法の普及には、出版物が大きな効果をもった。ヨーロッパでは、パチョーリの『スムマ』をはじめとする簿記書が15世紀から出版されて複式簿記の普及につながった[24]。イスラームでは書記術の一環として、財務官僚に簿記を伝授する本が書かれた[25]。中国では官僚向けの会計術は書かれたが、民間の商人向けの本は近代までなかった[26]。日本では、帳簿の記帳や計算方法は商家ごとに秘密とされており、部外者に共有はされなかった[注釈 2][28]
分類マックス・フォルクハート(英語版)『仕事場の公証人』
財務会計・管理会計

財務会計は外部の利害関係者に公開する会計で、管理会計は企業内部の管理のために作成する。この二つは19世紀までは厳密には分かれていなかった。イギリスアメリカの鉄道業には規制が多数設けられ、資金調達や利害調整、コスト管理、政府国民への情報提供などの要因が重なって、財務的側面と管理的側面に分かれることとなった。さらにトラストの発生による独占が問題となり、規制のない一般企業でも財務会計が求められるようになった[29][30]。中世イタリアでは、商人は監査用の帳簿と、日記を兼ねた秘密帳簿をつけ、秘密帳簿の決算は公式の帳簿と一致しない場合が多かった[31]
原価主義・時価主義

原価主義は取引をした時点の原価を基準とし、取得原価主義とも呼ばれる。これに対して時価主義では現在価値の時価を基準とする。原価は過去の価値、時価は現在の価値とも表現できる。会計は長らく原価主義で行われていたが、不動産や金融商品においては原価と時価の差が大きい。このため次第に時価主義(物価変動会計)の導入が進み、特に20世紀後半から金融商品を中心として公正価値(英語版)の導入が進んだ[32]
会計と社会商人の筆記。マンハイムのライス・エンゲルホルン博物館(英語版)所蔵。
人員・組織

古代エジプトにおいては、帳簿を記録する書記は重要な役職だった[33]。古代のギリシャローマは地中海商業で繁栄したが、商業行為は低く見られており、帳簿をつけるのは奴隷の役目だった[34]。委託・受託関係の会計として代理人会計があり、古代ギリシャやローマでは主人が奴隷に委託し、中世ヨーロッパでは領主が荘園の管理者に委託した。これらは株主に経営状態を明らかにする現在の損益計算書とは意味合いが異なる[35][36]

古代バビロニア中世イタリアでは、契約を記録するために立会人や公証人が働いた。イタリアでは契約の増加によって公証人が不足すると、商人がみずから記録を残すようになり、帳簿の普及にもつながった[37]。現在では、専門資格を持つ公認会計士の制度が確立されている[16]。国家の経済体制や社会の価値観によって、会計を扱う職業の立場は変化してきた。たとえば16世紀ヨーロッパでは収税人や帳簿の不正を風刺する絵画が描かれた[38]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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