伏見稲荷
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^ 伏見稲荷大社と同じく秦氏によって創建された松尾大社では、境内末社の四大神社(しのおおかみのやしろ)で「春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神」を祀っており、その名から四季の神であることが明確にうかがえる。
^ 最古の写本においては「伊禰奈利生」ではなく「生子」、すなわち「子を生んだ」と記されているが、江戸時代の国学者・伴信友により「伊禰奈利生」との表記がされるようになった(中村陽・監修『稲荷大神』戎光祥出版、平成21年、50-51頁参照)。
^ これは吉田兼倶が15世紀頃に延喜式神名帳の注記のため作成した『延喜式神名帳頭註』で書かれている山城国風土記伊奈利の社条の逸文であり、また兼倶は吉田神道の創設者でもあることから、信ぴょう性を疑問視する意見もある。また、山城風土記は編纂の始まる延長3年(925年)以前に伝わる歴史や文物を記しており、和銅年間以降の風聞も含まれる可能性はある。
^ 「忌寸」は八色の姓での位の1つ。
^ 和銅4年(711年)2月7日。なお、この縁起を伏見稲荷の創建とみる場合、和歌山県有田市(旧・糸我町)の「糸我稲荷神社」が日本最初・最古の稲荷神社となるという説がある。文化7年(1810年)当時の神官、林周防が寺社奉行に報告した「糸鹿社由緒」によると、創建は「37代孝徳天皇白雉3年(652年)壬子の春、社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とあり、伏見稲荷神社より約60年遡ることになる。(有田市HP ⇒糸我稲荷神社
^ 14世紀頃の成立。
^ a b 字は「?+缶」。
^ およそ2m40cm。
^ 南北朝時代の成立。東寺に伝わる。
^ これを「私幣禁断」という。天皇以外の個人的な奉幣を禁止し、たとえ三后皇太子であっても天皇の勅許が要った(伊勢神宮HP ⇒神宮の歴史・文化『私幣禁断』 参照)。
^ 空海の弟子。
^ 塚の規模や由来に関わらず、稲荷社を伴い、または「稲荷」「狐」を称する古墳は全国に存在する。
^ 天皇以外の参詣を許さなかった伊勢神宮も、この頃から勧請を積極的に行っている。
^ 秦氏創建とする和銅4年(711年)より以降、空海が遷座したとする弘仁14年(823年)より以前ということになる。
^ 「中の御社のほど、わりなう苦しきを念じのぼるに、いささか苦しげもなく遅れて来とみる者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。」「坂の半らばかり歩みしかば…やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、などかからでよき日もあらんものを、なにしに詣でつらんとまで、涙もおちて休み困ずるに…」と記す。
^ 887年の時点では伏見稲荷大社は従三位の扱いであり、秦氏と関わる賀茂神社松尾大社がすでに正一位に列していたのとは対照的である。また伊勢神宮日前神宮・國懸神宮については神格を超越しているという理由で既に正一位を置いていない(→神階#六国史終了時点での神階一覧を参照)。伏見稲荷大社の正一位は前述の通り天慶5年(942年)からである
^ 建久5年(1194年)に後鳥羽院が行幸した際に「信心からの勧請には神体に正一位を書き加えるべき」としたが、江戸時代のこの問い合わせに対し大社側は「一子相伝でない勧請は迷惑」と返答したとある。(『稲荷社事実考証記』)

出典^ 伏見稲荷大社. “ ⇒よくあるご質問 - 全国に稲荷神社はどのくらいあるの?”. 2013年8月1日閲覧。
^ MAPPLE観光ガイド. “ ⇒初詣の人出ランキングベスト10(1?5位) - おすすめ初詣スポット2011”. 2011年1月19日閲覧。
^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、50頁。
^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、58、59頁。
^ 京都史跡研究会編『京都洛東・洛南散歩』山川出版社、2004年、183頁。
^ 『朱』第三十四号別冊 伏見稲荷大社『朱』編集部編、伏見稲荷大社社務所、1991年、12、13頁。
^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、76頁。
^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、61-63頁。
^ a b c 伏見稲荷大社. “ ⇒伏見稲荷大社とは -ご祭神”. 2016年2月21日閲覧。
^ a b c d e 稲田智宏「稲荷大神五柱とは何か」『稲荷大神』、戎光祥出版、2009年。
^ 伏見稲荷大社. “ ⇒よくあるご質問 - 「お稲荷さん」のご利益は?”. 2016年3月9日閲覧。
^ a b 伏見稲荷大社. “ ⇒伊奈利社ご鎮座説話”. 2016年2月1日閲覧。
^ 上田正昭「稲荷神はどこから来たか」『稲荷大神』、戎光祥出版、2009年。
^ 『稲荷大明神流記 解説』伏見稲荷大社社務所〈稲荷大社由緒記集成 [第1] (信仰著作篇)〉、1957年、解説編 13 - 24頁。doi:10.11501/3005020。https://dl.ndl.go.jp/pid/3005020/1/18。 
^ 『稲荷大明神流記』伏見稲荷大社社務所〈稲荷大社由緒記集成 [第1] (信仰著作篇)〉、1957年、本文編 37 - 48頁。doi:10.11501/3005020。https://dl.ndl.go.jp/pid/3005020/1/85。 
^ 『稲荷大明神縁起 解説』伏見稲荷大社社務所〈稲荷大社由緒記集成 [第1] (信仰著作篇)〉、1957年、解説編 24 - 31頁。doi:10.11501/3005020。https://dl.ndl.go.jp/pid/3005020/1/24。 
^ 『稲荷大明神縁起』伏見稲荷大社社務所〈稲荷大社由緒記集成 [第1] (信仰著作篇)〉、1957年、本文編 49 - 79頁。doi:10.11501/3005020。https://dl.ndl.go.jp/pid/3005020/1/103。 
^ 「稲荷社禰宜祝等甲状」(『神祗官勘文』に見る引用から)
^ 伏見稲荷大社. “ ⇒沿革 - 稲荷社のあけぼの”. 2016年2月3日閲覧。
^ デジタル大辞泉『稲荷祭』。
^ a b c 伏見稲荷大社. “ ⇒沿革 - 稲荷祭”. 2016年2月3日閲覧。
^ 伏見稲荷大社. “ ⇒沿革 - 初午 (はつうま)”. 2016年2月3日閲覧。
^ 世界大百科事典 第2版『年中行事秘抄』。概ね永仁年間(1293年‐1299年)以前の成立とされる。ただし、この書はもともと式次第や縁起を詳述する態度をとっていない。
^ a b 伏見稲荷大社. “ ⇒沿革 - 稲荷勧請”. 2016年2月21日閲覧。
^ 西田長男『神道史の研究』第2巻、p86。雄山閣、1943年
^ “ ⇒藤森神社縁起”. 2016年2月21日閲覧。
^ 東寺. “ ⇒東寺の歴史 戦乱の痕跡 そして炎上”. 2016年2月21日閲覧。
^ 「稲荷一流大事」(伏見稲荷本願所愛染寺初代住職の天阿上人の著作)
^ 伏見稲荷大社. “ ⇒沿革 - ご本殿修造”. 2016年2月3日閲覧。

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