幕末から維新期にかけて、19代当主の貞敬親王および20代・23代当主の邦家親王は多くの子女に恵まれ、守脩親王からは梨本宮家、邦家親王からは山階宮家・久邇宮家・華頂宮家・小松宮家・北白川宮家・東伏見宮家がそれぞれ創設されたほか、幕末に断絶していた閑院宮家も継承して再興した。また、久邇宮からはさらに賀陽宮家・東久邇宮家・朝香宮家が創設され、北白川宮家からも竹田宮家が創設された。これらの宮家が永世皇族として成立した背景に明治天皇の意向があったことを、伊藤博文はほのめかしている(「枢密院会議議事録」等)。
邦家親王の跡を継いだ24代貞愛親王は、元帥・陸軍大将に累進。明治天皇および大正天皇の信任も厚く、皇族の重鎮として、大日本農会・在郷軍人会総裁を歴任した。つづく25代博恭王も元帥海軍大将・軍令部総長として昭和期の海軍の要職を担った。
後を継いだ26代博明王の代になって間もなくの昭和22年(1947年)10月14日、連合国占領下において臣籍降下(いわゆる皇籍離脱)[注釈 6]し、伏見姓を名乗った。「旧皇族」も参照
いわゆる皇位継承問題では、女系天皇の容認とともに、この時臣籍降下した伏見宮系皇族(いわゆる旧皇族)の皇籍復帰が検討されているが、博明は「天皇陛下に復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけないという気持ちはあります」と、自身に復帰する覚悟があることを表明している[22]。「皇位継承問題」も参照
系図伏見宮系図
93代天皇
後伏見天皇
北朝初代天皇
光厳天皇 北朝2代天皇
光明天皇
北朝3代天皇
崇光天皇 北朝4代天皇
後光厳天皇
初代伏見宮