伊達重村
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重村はこれを認め、17日から萱場氏章と荒井盛従に命じて取調べさせた結果、今度は逆に、奉行衆の査問は葛西・川島らが自身の昇進を狙って村富を唆して行わせたものであると結論付けられ、閏3月11日に主犯とされた葛西・川島の両名が改易されたほか、鮎貝は蟄居、遠藤・菅野は閉門、河田は田代島への流罪に処され、村富と村好は共に謹慎の後、同年10月に隠居を命じられた(安永疑獄)。
養賢堂拡充

2度の疑獄や猟官運動の一方で、重村の治世中において藩校養賢堂の拡充が進む。宝暦10年(1760年)7月に医学教育を開始され、宝暦11年(1761年)3月に北一番丁勾当台通(現在の宮城県庁の位置)に移転となる。明和8年(1771年)に重村により養賢堂と命名され、明和9年(1772年)7月1日に学問所を養賢堂と称するようになる。

安永7年(1779年)には芝田信憲の献言を受けて学頭職を設置し、養賢堂文庫が設置された。
隠居後

寛政2年(1790年)、次男・斉村に家督を譲って隠居し、左兵衛督と称して袖ヶ崎の江戸藩邸下屋敷に居住したが、寛政8年(1796年)に55歳で死去した。
官位履歴

宝暦5年(1755年) - 元服。従四位下美作守に叙任。

宝暦6年(1756年) - 襲封。陸奥守・左近衛権少将に転任。

明和4年(1767年) - 従四位上に昇叙し、左近衛権中将に転任。

人物・逸話

13代藩主・
伊達慶邦の随筆『やくたい草』によれば、仙台七夕もかつては他所と同じく7月7日に行われていたが、忠山公(伊達宗村)の代に「御さは(障)り」があってからこれを一日繰り上げて6日に行なうようになったという[2]。宗村の末娘・?姫が宝暦12年(1762年)7月7日に亡くなっており(享年8)、「御さはり」とはこのことを指すと見られるが、この年は既に重村の治世であり、重村が妹の死を悼んでこのように日取りを改めたものと思われる。

穀田屋十三郎を題材にした2016年の映画「殿、利息でござる!」では、仙台出身のフィギュアスケート選手、羽生結弦が重村を演じた[3]

系譜

父:
伊達宗村(1718-1756)

母:性善院(1719-1763) - 信子、於世勢の方、坂信之の娘

兄弟姉妹

長男:伊達久米之丞 - 早世

長女:霊松院(1739-1761) - 源姫(惇子)、佐賀藩鍋島重茂正室

次男:伊達重村

次女:沛姫 - 松平容頌許嫁、早世

三女: - 早世

四女:ト姫(敬子) - 小浜藩酒井忠貫正室

三男:土井利徳(1748-1813) - 刈谷藩土井利信の養子

四男:伊達村倫(1749-1776) - 涌谷伊達村胤の養子、涌谷伊達家8代当主

五女:認姫(1749-1775) - 済子、中村景貞(義景)室

五男 - 某 - 早世

六男:土井利置(1750-1766) - 刈谷藩土井利信の養子

七男:伊達藤七郎 - 早世

八男:堀田正敦(1755-1832) - 中村村由、堅田藩堀田正富の養子

六女:直姫 - 早世

七女:従姫 - 早世

八女:瑛姫 - 稲葉正弘許嫁、早世

九女:せい姫(方子) - 松江藩松平治郷(不昧)正室

十女:才姫 - 早世

十一女:房姫 - 早世

十二女:?姫 - 早世


正室:観心院(1745-1805) - 惇姫、近衛内前の養女、広幡長忠の娘、年子(のぶこ)

長女:(1764-1764) - 早世

三女:満姫(詮子)(1770-1844) - 彦根藩世子井伊直富正室


側室:於久の方 - 楊林院、西川政啓の娘

長男:伊達総三郎(1765-1771) - 早世


側室:於琴の方 - 円月院、大原光豊の娘

次女:順姫(助子)(1765-1820) - 宇和島藩伊達村寿正室


側室:於千賀の方 - 円覚院、安田善昌の娘

四女:生姫(暾子)(1772-1792) - 鳥取藩池田治道正室

五女:祥姫(呈子)(1773-1836) - 土浦藩土屋英直継室

三男:伊達仙三郎(1775-1784) - 早世

九女:(1787-1787) - 早世


側室:郷子 - 於定の方、正操院、喜多山美啓の娘

次男:伊達斉村(1775-1796) - 8代藩主

六女:甫姫(1778-1778) - 早世


側室:於袖の方 - 寂光院、西尾又左衛門の娘

七女:慈姫(1784-1785) - 早世


側室:於奈代の方 - 禅定院、浜尾泰康の娘

八女:籌姫(1787-1789) - 早世


側室:於愛の方 - 全貞院、西村尚明の娘

十女:窕姫(謹子)(1787-1821) - 登米伊達村幸正室


家臣

以下は『大武鑑・中巻』に掲載される安永2年(1773年刊行の須原屋版武鑑に掲載される家臣を『仙台市史 通史5 近世3』で誤字訂正や役職、諱を()で補足したもの。二次史料で項目名があるものは【】で掲載。二次史料の都合上、掲載は一門、奉行(他藩の家老相当)、若年寄のみ。一門と奉行とは二次史料では項目はなく、点線で差別掲載しているので《》で分ける。▲は江戸定詰(他藩の定府に相当)

なお、刊行の都合上、武鑑の家臣情報は安永2年当時とズレがある場合があるが、人名と順序はなるべくそのまま記載した。


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