2度の疑獄や猟官運動の一方で、重村の治世中において藩校養賢堂の拡充が進む。宝暦10年(1760年)7月に医学教育を開始され、宝暦11年(1761年)3月に北一番丁勾当台通(現在の宮城県庁の位置)に移転となる。明和8年(1771年)に重村により養賢堂と命名され、明和9年(1772年)7月1日に学問所を養賢堂と称するようになる。
安永7年(1779年)には芝田信憲の献言を受けて学頭職を設置し、養賢堂文庫が設置された。 寛政2年(1790年)、次男・斉村に家督を譲って隠居し、左兵衛督と称して袖ヶ崎の江戸藩邸下屋敷に居住したが、寛政8年(1796年)に55歳で死去した。
隠居後
官位履歴
宝暦5年(1755年) - 元服。従四位下美作守に叙任。
宝暦6年(1756年) - 襲封。陸奥守・左近衛権少将に転任。
明和4年(1767年) - 従四位上に昇叙し、左近衛権中将に転任。
人物・逸話
13代藩主・伊達慶邦の随筆『やくたい草』によれば、仙台七夕もかつては他所と同じく7月7日に行われていたが、忠山公(伊達宗村)の代に「御さは(障)り」があってからこれを一日繰り上げて6日に行なうようになったという[2]。宗村の末娘・?姫が宝暦12年(1762年)7月7日に亡くなっており(享年8)、「御さはり」とはこのことを指すと見られるが、この年は既に重村の治世であり、重村が妹の死を悼んでこのように日取りを改めたものと思われる。
穀田屋十三郎を題材にした2016年の映画「殿、利息でござる!」では、仙台出身のフィギュアスケート選手、羽生結弦が重村を演じた[3]。
系譜
父:伊達宗村(1718-1756)
母:性善院(1719-1763) - 信子、於世勢の方、坂信之
兄弟姉妹
長男:伊達久米之丞 - 早世
長女:霊松院(1739-1761) - 源姫(惇子)、佐賀藩主鍋島重茂正室
次男:伊達重村
次女:沛姫 - 松平容頌許嫁、早世
三女: - 早世
四女:ト姫(敬子) - 小浜藩主酒井忠貫正室
三男:土井利徳(1748-1813) - 刈谷藩主土井利信の養子
四男:伊達村倫(1749-1776) - 涌谷伊達村胤の養子、涌谷伊達家8代当主
五女:認姫(1749-1775) - 済子、中村景貞(義景)室
五男 - 某 - 早世
六男:土井利置(1750-1766) - 刈谷藩主土井利信の養子
七男:伊達藤七郎 - 早世
八男:堀田正敦(1755-1832) - 中村村由、堅田藩主堀田正富の養子
六女:直姫 - 早世
七女:従姫 - 早世
八女:瑛姫 - 稲葉正弘許嫁、早世
九女:せい姫(方子) - 松江藩主松平治郷(不昧)正室
十女:才姫 - 早世
十一女:房姫 - 早世
十二女:?姫 - 早世
正室:観心院(1745-1805) - 惇姫、近衛内前の養女、広幡長忠の娘、年子(のぶこ)
長女:(1764-1764) - 早世
三女:満姫(詮子)(1770-1844) - 彦根藩世子井伊直富正室
側室:於久の方 - 楊林院、西川政啓
以下は『大武鑑・中巻』に掲載される安永2年(1773年)刊行の須原屋版武鑑に掲載される家臣を『仙台市史 通史5 近世3』で誤字訂正や役職、諱を()で補足したもの。二次史料で項目名があるものは【】で掲載。二次史料の都合上、掲載は一門、奉行(他藩の家老相当)、若年寄のみ。一門と奉行とは二次史料では項目はなく、点線で差別掲載しているので《》で分ける。▲は江戸定詰(他藩の定府に相当)
なお、刊行の都合上、武鑑の家臣情報は安永2年当時とズレがある場合があるが、人名と順序はなるべくそのまま記載した。