伊豆諸島北部地震
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震央 日本 新島神津島近海
北緯34度17.0分秒 東経139度17.4分秒
震源の深さ20 km
規模   気象庁マグニチュード Mj6.3
最大震度   震度4:静岡県伊東町
地すべりあり
前震
回数あり(12月26日より)
最大前震12月27日09時12分 M4.7 最大震度1
余震
最大余震12月27日11時12分 M5.6 最大震度2
被害
死傷者数死者3名、負傷者70名
被害総額約70万円
被害地域新島、式根島
出典:特に注記がない場合は気象庁[5]による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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1936年(昭和11年)12月27日09時14分ごろ、新島の南約5kmを震源とするM6.3の地震が発生し、静岡県伊東町で最大震度の4を観測した[5]

この地震によって、震央付近である新島、式根島では震動が著しく、死者3名(全て新島[6])、負傷者70名、家屋全壊39棟、半壊473棟の被害が発生した他、石垣の崩壊、海岸では崖崩れが随所で見られた[1]

新島では12月26日午後より地震が相次いでいて、21時ごろからは活動が激しくなっていった。翌27日の午前9時より活動が激化し、9時12分に最大前震であるM4.7の地震、その2分後に本震が発生した。その後も余震活動が続き、約2時間後に最大余震であるM5.6の地震、また2日後の12月29日にもM5.5の地震が発生した[4]

初動発震機構解は北東から南西に張力軸を持つ横ずれ断層型であった[7]
1944年 新島近海

1944年昭和19年)12月8日05時58分ごろ、新島・神津島近海(鵜渡根島の東約10km北緯34度28.5分秒 東経139度24.1分秒)を震央とするM5.8、震源の深さ8kmの地震が発生し、東京都、静岡県、神奈川県の広い範囲で最大震度の3を計測した[5]

翌12月9日03時20分ごろ、新島の北西約15km(北緯34度28.1分 東経139度06.2分 / 北緯34.4683度 東経139.1033度 / 34.4683; 139.1033)を震央とするM6.3、震源の深さ30kmの地震が発生し、東京都、静岡県、神奈川県、三重県、岐阜県の広い範囲で最大震度の3を計測した[5]

これらの地震は12月7日に発生した昭和東南海地震(M7.9, Mw8.1)の広義の余震(誘発地震)と推定されている[8]
1956年
8月 銭洲近海

1956年(昭和31年)8月13日01時59分ごろ、銭洲の東約15km(北緯33度56.1分 東経138度58.7分 / 北緯33.9350度 東経138.9783度 / 33.9350; 138.9783)を震央とするMj6.3(Mw6.4[9])、震源の深さ3kmの地震が発生し、東京都三宅村、静岡県南伊豆町御前崎町で最大震度の3を計測した[5]

同地点付近では約2年前より地震活動がやや活発な状態で、度々M4を超えるような地震が発生していた。
12月 御蔵島近海

12月22日05時10分ごろ、御蔵島の南西約15km(北緯33度45.1分 東経139度32.0分 / 北緯33.7517度 東経139.5333度 / 33.7517; 139.5333)を震央とするMj5.9(Mw6.0[9])、震源の深さ0kmの地震が発生し、東京都三宅村八丈町で最大震度の3を計測した[5]

続いて翌12月23日08時12分ごろ、同じく御蔵島の南約25km(北緯33度38.3分 東経139度41.0分 / 北緯33.6383度 東経139.6833度 / 33.6383; 139.6833)を震央とするMj6.0(Mw6.2[9])、震源の深さ13kmの地震が発生し、東京都三宅村、八丈町、千葉県勝浦町で最大震度の3を計測した[5]

御蔵島近海では12月21日より地震活動が活発化しており、上記のイベントはその中でも最大級の規模であった。この地震活動は翌年1月上旬には終息した。
1957年 新島・神津島近海

新島・神津島近海地震 (1957年)
本震
発生日
1957年昭和32年)11月11日
発生時刻04時20分08秒
震央 日本 新島神津島近海
北緯34度16.8分秒 東経139度16.6分秒
震源の深さ17 km
規模   気象庁マグニチュード Mj6.0
最大震度   震度4:東京都新島本村三宅村
地すべりあり
前震
回数あり(11月6日より)
最大前震11月10日17時26分 Mj5.3 最大震度3 北緯34度15.6分秒 東経139度18.7分秒
余震
最大余震11月11日04時53分 M5.4 最大震度3 北緯34度02.1分秒 東経139度15.4分秒
被害
被害地域新島、式根島
出典:特に注記がない場合は気象庁[5]による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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1957年(昭和32年)11月10日17時26分ごろ、新島の南約10kmを震央とするMj5.3(Mw5.8[9])、震源の深さ5kmの地震が発生し、東京都新島本村、三宅村で最大震度の3を計測した[5]

続いて翌11月11日04時20分ごろ、同じく新島の南約5kmを震央とするMj6.0(Mw6.2[9])、震源の深さ17kmの地震が発生し、東京都新島本村、三宅村で最大震度の4を計測した[5]

新島・神津島近海では11月6日より地震活動が活発化しており、上記のイベントはその中でも最大級の規模であった。

これらの地震活動によって、式根島では家屋全壊2棟、半壊2棟、石垣崩壊20箇所、新島では家屋亀裂6棟、崖崩れ2箇所などの被害が生じた[10]
1962年
5月 三宅島近海

1962年(昭和37年)5月5日20時11分ごろ、三宅島の西約10km(北緯34度06.4分 東経139度21.5分 / 北緯34.1067度 東経139.3583度 / 34.1067; 139.3583)を震央とするMj5.8(Mw5.6[9])、震源の深さ10kmの地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の4を観測した[5]。余震活動は概ね5月中に終息したものの、7月中旬まで一時的な活発化を繰り返した。
8月 三宅島近海

8月26日15時48分ごろ、三宅島の西約10km(北緯34度07.2分 東経139度24.3分 / 北緯34.1200度 東経139.4050度 / 34.1200; 139.4050)を震央とするMj5.9(Mw6.0[9])、震源の深さ33kmの地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の5を観測した[5]。その後の地震活動も非常に活発で、年末までにM5以上の地震が8回、M4以上の地震が71回観測された。最大余震は8月30日に発生したMj5.8(Mw5.9)、最大震度4[5]

これらの地震によって三宅島では家屋破損、石垣崩壊などの被害が発生した。また、更なる地震・火山活動の激化を警戒して、一部島民の島外避難が行われた[2]

三宅島では7月下旬から地震活動が低調な状態が続いていたが、8月24日に噴火が発生し、その後25日から地震活動が活発化してた[2]


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