伊藤若冲
[Wikipedia|▼Menu]
この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "伊藤若冲" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年9月)

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年9月)

『続諸家人物志』(青柳文蔵)には、若冲が狩野派の画家・大岡春卜に師事したとの記述があり[16]、大典による若冲の墓碑銘にも狩野派に学んだとある。一方で木村蒹葭堂は、若冲は、鶴沢探山の門人で生写(しょううつし)を得意とした青木言明の門弟だったと記す(『諸国庶物志』)が、それを裏付ける証拠は見つかっていない。現存作品の作風から狩野派の影響を探すのは困難であるが、一部の図様について、狩野派の絵画や絵本との類似点が指摘されている[17]

前記の墓碑銘によると、若冲は狩野派の画法に通じた後、その画法を捨て、宋元画[18](特に濃彩の花鳥画)に学び、模写に励んだとしている。さらに、模写に飽いた若冲はその画法をも捨て、実物写生に移行したと伝える。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}実物写生への移行は、当時の本草学の流行にみられる実証主義的気運の高まりの影響も受けていると言われる。[要出典]また、大典が読書を通じて宋代の画家の写生の実践を知り、それを若冲に伝えたとも言われる。[要出典]ほかにも、美術史家[誰?]の研究により、代や代の民間画工の影響、特に南蘋派の画僧・鶴亭との類似が指摘されている。[要出典]両者に交流があったという史料は見つかっていないが、作品から互いに意識しあう関係だったと推測される。[独自研究?]

山水画人物画の作品は少ないが、若冲が尊敬していた売茶翁の肖像画だけは何度も描いている。濃彩の花鳥画、特にの絵を得意とした。美しい色彩と綿密な描写を特徴とするが、写生画とは言い難い、若冲独特の感覚で捉えられた色彩・形態が「写生された物」を通して展開されている。[独自研究?]

代表作の「動植綵絵」30幅は、多種多様の動植物がさまざまな色彩と形態のアラベスクを織り成す、華麗な作品である。綿密な写生に基づきながら、その画面にはどこか近代のシュルレアリスムにも通じる幻想的な雰囲気が漂う。[独自研究?]また、当時の最高品質の画絹や絵具を惜しみなく使用したため、200年以上たった現在でも保存状態が良く、褪色も少ない。「動植綵絵」は、若冲が相国寺に寄進したものであるが、明治22年(1889年)、相国寺より献上され、皇室御物国宝)となり、現在は宮内庁三の丸尚蔵館で所蔵している。

1767年(明和4年)、「動植綵絵」と同時期に、若冲はそれとは対照的な木版画「乗興舟」[19]木拓帖「玄圃瑤華」(1768年)、木拓帖「素絢帖」(1768年)、揃物「花鳥版画」(1771年)を制作している。これらの作品は木版を用いた正面摺りで、拓本を取る手法に似ていることから「拓版画」と呼ばれる[20]。通常の木版画と逆に、下絵を裏返しせずそのまま版木に当て、地の部分ではなく描線部分を彫って凹ませ、彫り終えた版面に料紙を乗せ表から墨を付ける。結果、彫った図様が紙に白く残り、地は墨が載った深い黒の陰画のような画面が出来上がる。また、拓版画の黒地を模してさらに合羽摺で着色を施した「著色花鳥版画」(平木浮世絵財団蔵)も6図伝わっている。
奇想派

曽我蕭白(1730-1781)や長澤蘆雪(1754-1799)とともに奇想派と称されることがある[21]
再評価

生前の若冲は、『平安人物志』の上位に掲載される[22]ほどの評価を受けていた。大正15年(昭和元年、1926年)、秋山光夫によって本格的な研究が着手され[要出典]、昭和45年(1970年)に辻惟雄『奇想の系譜』(美術出版社)[23]が出版され、時代の変遷とともに江戸絵画の傍流扱いされるようになってしまっていた若冲が、岩佐又兵衛や曽我蕭白らとともに「奇想の画家」として再評価されることになった。

1990年代以降、その超絶した技巧や奇抜な構成などから一部愛好家から注目を浴び、2006年に東京国立博物館で開催されたアメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションから成る「プライスコレクション『若冲と江戸絵画』展」において、その人気に火が付いた。そして「釈迦三尊図」全3幅と「動植綵絵」全30幅が同時公開されることになった、2016年春の東京都美術館「生誕300年記念 若冲展」では、入館まで最長5時間20分待ちの事態が発生するほどの大人気となり、その人気が頂点に達したと評された[24]京都市錦市場伊藤若冲生誕300年記念「錦市場ナイトミュージアム」(2016年)
作品

蕪に双鶏図[かぶにそうけいず]:紙本着色、蕪と番の鶏を描いたもので、現在発見されている若冲の作品の中で最初期に描かれたものとされる。京都、
福田美術館蔵。

日出鳳凰図[にっしゅつ ほうおうず]:絹本着色。日出の旭日を背に飛翔する鳳凰。米国、ボストン美術館蔵(公式サイトに画像あり ⇒[1])。

隠元豆 玉蜀黍図[いんげんまめ とうもろこしず]:紙本墨画、2幅。和歌山県、草堂寺蔵。

糸瓜群虫図[へちまぐんちゅうず]:絹本着色、1幅。実る糸瓜飛蝗蝸牛など様々な虫が戯れる。本格的に絵筆を取って間も無い頃の作。文人大名として知られ、自らも書画をよくした伊勢長島藩主増山雪斎のかつての愛蔵品。現在は京都の細見美術館が所蔵。

風竹図[ふうちくず]:絹本墨画、1幅。京都、細見美術館蔵。

旭日鳳凰図[きょくじつ ほうおうず]:絹本着色。宝暦5年(1755年)。雲海から昇る旭日と2羽の鳳凰。宮内庁三の丸尚蔵館蔵(旧御物)。

雪梅雄鶏図[せつばい ゆうけいず]:白雪の頂いて咲く赤い山茶花の花に、雄鶏。京都、建仁寺両足院蔵。

竹梅双鶴図[ちくばい そうかくず]:丹頂の番(つがい)。エツコ&ジョー・プライス・コレクション蔵。

松鷹図(松に鷹図)[しょうようず / まつにたかず]:絹本墨画、1幅。松の枝に留まる。エツコ&ジョー・プライス・コレクション蔵。
プライス コレクションの「紫陽花双鶏図」[25]

紫陽花双鶏図[あじさい そうけいず]:絹本着色。「動植綵絵」内の同名作品とは同工異曲[26](描かれた時期はこちらが先)。米国カリフォルニア州、エツコ&ジョー・プライス・コレクション (Etsuko and Joe Price Collection)[27] 蔵。

竹に雄鶏図[たけに ゆうけいず]:40代前半の作とみられる。京都、宝蔵寺

髑髏図[どくろず]:拓版画。京都、宝蔵寺蔵

鹿苑寺大書院障壁画[ろくおんじ だいしょいん しょうへきが]:50面の水墨障壁画


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:93 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef