伊藤大輔_(映画監督)
[Wikipedia|▼Menu]
戦後、GHQの規制で時代劇の製作ができなくなり、スランプが続くが、1947年(昭和22年)に「剣戟の無い時代劇」として、封建制度の秩序維持の為に、無辜の若者に無実の罪を着せようとする幕府の陰謀に立ち向かう男のドラマとして山内伊賀亮を描いた『素浪人罷通る』を、阪東妻三郎主演で演出し、スランプを脱出する。

1948年(昭和23年)に阪東妻三郎主演で『王将』を撮り、棋士坂田三吉とその家族の絆を感動的に描いた。その後1955年(昭和30年)に新東宝で『王将一代』を、1962年東映で『王将』を作り、2度リメイクした。1963年には『続・王将』(東映、1962年作品の続編、佐藤純弥監督)の脚色を担当した。

1950年(昭和25年)に東横映画早川雪洲主演で『レ・ミゼラブル あゝ無情(第一部)』を監督。1951年(昭和26年)には松竹30周年記念映画『大江戸五人男』を阪東妻三郎、市川右太衛門らオールスターを迎えて製作し、大ヒットした。

その後大映時代劇で活躍し、市川雷蔵主演の『弁天小僧』『切られ与三郎』などを発表。ほか、『眠狂四郎無頼剣』や『座頭市地獄旅』に脚本を提供し、大映の2大人気シリーズに関わった。「鞍馬天狗横浜に現る」(1942)嵐寛寿郎(左)と上山草人(右)「下郎の首」(1955)現存しない作品「下郎」(1927)のリメイク版

1961年(昭和36年)に中村錦之助主演で『反逆児』を発表し、ブルーリボン賞監督賞を受賞し、戦後の代表作とした。1970年(昭和45年)、中村プロダクションで撮った『幕末』が最後の監督作品になった。司馬遼太郎の代表作『竜馬がゆく』を元に、中村、仲代達矢吉永小百合小林桂樹らの共演で撮った大作となった。その後は萬屋錦之介の舞台の脚本や演出を手がけた。

1972年(昭和47年)、京都市文化功労者に選ばれる。1978年(昭和53年)、山路ふみ子映画功労賞を受賞。

1981年(昭和56年)7月19日腎不全のため京都府内の病院で死去。墓所は右京区蓮華寺
人物

移動撮影(レールを敷き、カメラマンとカメラを載せた台車がレール上を移動させて撮影する方法)が非常に好きな監督であり、姓名を捩って「イドウダイスキ(移動大好き)」と渾名された。また、サイレント期の作品ではフラッシュ[要曖昧さ回避]や多重露光など当時としては斬新な撮影技法を使い、巧みな話術で物語を展開した独特な作風で知られ、批評家の間では「伊藤話術」と呼ばれた。

当時の映画は週替わりの一週間興行だった。大映のプロデューサーだった奥田久司は、伊藤から「一週間のためにカツドウヤは命を削るんだ」と教えられ、育ったと語っている[8]

多数の作品を監督したが、今日、伊藤の撮った戦前の名作群は、シナリオ・フィルムともにそのほとんどが散逸してしまい、全貌をうかがうことが難しいものとなっている。ただ、幸いなことに『御誂次郎吉格子』は比較的原型に近い形で残っている。近年、関係者の努力により、『長恨』、『忠治旅日記』、『一殺多生剣』、『斬人斬馬剣』の一部が発見、復元作業も行われ、一般鑑賞が可能になった。また、大正期からカラー映画全盛期まで活躍した希少な監督の一人でもある。

父方の祖父は旧幕臣で、上野戦争に参加(彰義隊には加わっていない)し、上野黒門口の戦いで官軍の砲弾を受け重傷を負って死亡。鶯谷にあった伊藤家本家の控屋は戦火で焼失し、一家没落、離散の悲運を招くことになったという。そのため、明治維新・幕府瓦解の裏面史には心を惹かれていた。中村錦之助の舞台公演のために司馬遼太郎の『最後の将軍』を脚色した際には、「将軍家は、累世譜代の家来一統を見棄てられた...しかも、この人の為に祖父は死んだ...」という思いが拭えず、「まことに書き辛い一篇でありました。」と綴っている[9]

生誕の地である、元結掛児童遊園には、その偉業を讃えて記念碑が建立されている。大映京都撮影所の映画監督黒田義之は甥に当たり、東宝の映画監督稲垣浩も親戚である。

自宅を野々村仁清宅の跡地に構えており、庭いじりの際にはしばしば陶片が見つかったという。(海音寺潮五郎『日本の名匠』)
受賞

昭和23年度(第3回)
芸術祭賞映画部門「王将

昭和36年度(第16回)芸術祭賞映画部門「反逆児」

紫綬褒章〔昭和37年〕

第12回ブルーリボン賞監督賞(昭和36年度)「反逆児」

京都市民映画祭牧野省三賞(第6回)〔昭和38年〕

年間代表シナリオ(昭和36年度・46年度)「反逆児」「真剣勝負二刀流開眼」

山路ふみ子賞功労賞(第2回,昭和53年度)

おもなフィルモグラフィ

特筆以外いずれも監督作(全95作)である。脚本作は全200作。戦前の作には現存の有無を付した。Category:伊藤大輔の監督映画

新生(1920年、田中欽之監督) - 脚本

海の呼声(1923年、野村芳亭監督) - 脚本


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef