伊東甲子太郎
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酔わされた伊東は、帰途にあった油小路本光寺門前にて待ち伏せしていた新選組隊士の大石鍬次郎らによって暗殺された(油小路事件)。享年34。

伊東は「奸賊ばら」と叫んで絶命したと伝わる。酒に酔わせたうえでの暗殺を企んだのは、北辰一刀流の道場主であった伊東の剣技を警戒したためと思われる。伊東の遺体は路上に放置され、御陵衛士を誘い出す囮として使われた。あとで収容に来た御陵衛士たちは待ち伏せていた新選組と戦闘となり、これにより藤堂平助らが戦死している。

墓所は、京都市東山区戒光寺。慶応4年(1868年3月13日、御陵衛士により京都市下京区の光縁寺から改葬された。
備考

深川中川町の伊東道場は盛んで塾生や門下生が多く、小
旗本程度の規模を誇ったとされる。

慶応3年(1867年)に4通の建白書を朝廷に提出している。大政奉還の行われた直後の3通目の建白書では、公家中心の新政府を作り、一和同心をスローガンに広く天下から人材を求め、畿内5ヶ国を新政府の直轄領とする、国民皆兵などを提唱している。また、1通目の建白書では神戸開港反対を唱えていたが、3通目では「大開国、大強国」を唱え、積極的開国による富国強兵策に近い考え方を示している(ただし、神戸開港は孝明天皇の遺志に反するとしてあくまでも反対している。また、暗殺時の懐に5通目の草稿があり、同時代の記録によるとほとんど3通目の写しに近く、この案で近藤を説得しようとしていたといわれている。当時の一級資料「鳥取藩慶応丁卯筆記」では、薩摩藩の吉井幸輔が越前藩の中根雪江 に、この建白を「いちいち尤も」と言っていたと記されている)。また、吉井は益満休之助伊牟田尚平宛の書簡で「坂本龍馬石川清之助(中岡慎太郎のこと)伊東甲子太郎杯暗殺ニ逢ひ残念之至ニ御座候」と伊東の死を残念だと述べている[5]

この建白書を、松浦玲は「徳川家をも政権に参加させるという内容は坂本龍馬に近い穏健な思想で、公家をトップにすること、畿内5ヶ国を直轄領にすることなどは非常にユニークな意見である」と評している。また、市居浩一は「巷説、伊東が薩摩に通謀したと言われているのが全く誤りであることは、伊東と薩摩が連絡を取った証拠が皆無に等しいこと、この建白書の内容が薩摩の武力倒幕派と全く違う意見であることからも歴然としている」と指摘している。

伊東は新選組離脱後、同志に英語を学ばせている。

明治後、伊東暗殺の実行犯である大石はその罪により死罪となり、さらに相馬主計も嫌疑をかけられ、新島流されている。

大正7年(1918年)に従五位を贈位され、昭和7年(1932年)4月には靖国神社へ合祀されている。

伊東の加盟を近藤勇は歓迎したが、土方歳三は策士として警戒したと伝わる。山南敬助の切腹に対し、伊東は4首の和歌を詠んでいる。

「樫次郎」と表記されているが、慶応3年当時、「至而人物」という噂が聞こえていた[6]

養嗣子の鈴木新(兵庫県巡査)の墓所は神戸市兵庫区大黒天福海寺にある。

池田屋事件の翌年に江戸で隊士を募集するなど勢力拡大に動いた帰路に草津に宿泊したが、宿の大福帳には「伊藤」と表記されていた。

脚注[脚注の使い方]^ “新選組参謀の伊東甲子太郎、生家示す絵図見つかる”. 日本経済新聞 (2020年12月5日). 2021年2月5日閲覧。
^ 「上 拾七番組」播磨新宮池田家記録、東京大学史料編纂所
^ a b 浦出卓郎 (2015). “「伊東甲子太郎の家族」”. 『維新の道 no158』 (霊山歴史館). 
^ 「金沢鎗次郎君」『茨城県教育家略伝』. 進文社. (1894年12月) 
^ 『会津藩庁記録 自文久3年至明治元年』3巻 東京大学史料編纂所
^ 『丁卯雑拾録 第二』. 日本史籍協会. (1922). p. 95 

参考文献

市居浩一『高台寺党の人びと』/人びと文庫/刊行年1977
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、伊東甲子太郎に関連するカテゴリがあります。


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