伊東四朗
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Yakultプレゼンツ 伊東四朗トークライブ 「あたシ・シストリー」(2020年3月10日・3月11日(北沢タウンホール)、5月10日(紀伊國屋サザンシアター)[46])※新型コロナウイルス感染拡大の影響により延期。5月公演では盟友の小松政夫がゲスト出演する予定であったが上記理由により延期、再延期となり、11月にようやく公演に至るも、小松の入院、死去(2020年12月7日)により共演は叶わなかった[47][48][49]

Yakultプレゼンツ 伊東四朗トークライブ 「あたシ・シストリー」(2020年7月15日・7月16日(北沢タウンホール)、9月1日(北沢タウンホール))※新型コロナウイルス感染拡大の影響により再延期。

伊東四朗トークライブ「あたシ・シストリー」(2020年11月10日・11月11日、北沢タウンホール[50]

生誕?!80+3周年記念公演「みんながらくた」(2021年2月26日 - 3月14日、本多劇場[51][52]

劇場アニメ

おしん(1984年) [53]

こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE(1999年):品田虎三(シナトラ) 役[54]

ブレイブ・ストーリー(2006年):ラウ導師 役[55]

人形劇

ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空(1978年1月31日、TBS):えん魔大王、シロ王女 役

ラジオ

伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド(1984年4月7日 - 1996年9月28日、文化放送、土曜9:00 - 13:00)

伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(1997年4月13日 - 、(1998年3月まで日曜16:00 - 16:55、1998年4月から2012年3月まで土曜15:00 - 15:55、2012年4月から土曜15:00 - 17:00)、文化放送)

ラジオ深夜便インタビュースペシャル(2011年10月2日・10月3日、NHK

ドキュメンタリー

NHK特集「厳冬 白山 ?子猿ヤマトは生き抜いた?」(1985年5月12日、NHK)- 語り

アンテナ22(日本テレビ) - 司会(本名が同音異字「伊藤輝夫」のテリー伊藤と共演)

青春ブレイクスルー?聖なる顔の伝説・伊東四朗(2014年8月22日、NHK BSプレミアム

ファミリーヒストリー」(2019年1月28日、NHK総合

「伊東四朗 83歳 生涯、いち喜劇役者」(2021年6月5日、NHKBSプレミアム・NHKBS4K)[56]

CM

白子のり - メインキャラクター

ヤクルト

「タフマン」(1985年 - 2002年、2011年 - ):文化放送ラジオ番組「伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド」内コーナーにて「タフマン伊東」を名乗ったことも。

「蕃爽麗茶」 (2009年 - 2017年):ナレーション[注 10]

「みんなのヤクルト」(2016年 - 、大泉洋らと共演)

「お隣さん」篇 (2022年 - 、大泉洋らと共演)

ヤクルト400W」「秘訣」篇(2022年10月27日 - 、大泉洋と共演)


池袋サンシャインシティ「ひかり博-科学のお祭り広場-」(1984年)

KDD(現在:KDDI

養命酒

ブリストルマイヤーズ・ライオン「エキセドリン」(1990年)

アース製薬「アースノーマット」:春季・夏季のみオンエア

キリンビールラガー」(ハリソン・フォードらと共演。ただし撮影は別撮りのため厳密には共演ではない。)

著書

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』中央アート出版社、1983年12月8日。追悼刊行

『この顔で悪いか!』集英社、1997年

『親父熱愛(オヤジ・パッション) part.1・2』 吉田照美水谷加奈共著、講談社文庫、2002-2003年

『この顔でよかった!』集英社be文庫、2003年。続編

『ボケてたまるか!』集英社、2007年

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 伊東本人は「喜劇役者」という肩書を自称している。
^ 履歴については裏付ける資料も多くほぼ一致し改名時期は1961年頃とされる。最初の芸名由来に改名の理由や状況については伊東本人の言及から左右され、本人の著作『この顔で悪いか』(集英社1997年11月刊)や西条昇著『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』(風塵社・2000年1月)などの資料やラジオ等対談番組での発言に食い違いが見られる。前後の大学生協職員から劇団参加時代も同様で、生協職員の待遇などに関して小さな相違が認められる。
^ 二人の関係は浅香光代一座の在籍まで遡る。
^ 「にせ三波伸介」という表記は伊東四朗著『この顔で悪いか』や伊東本人とのインタビューに拠る。
^ 石井均一座解散と三波の復帰時期については資料によって違いが見られ、西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』では、一座解散後にコンビから転じたトリオに復帰としている。
^ コンビからトリオになったことをキャバレーの司会者に報告すると戸惑いからこの様な再度の自己紹介となった。
^ 番組開始時、戸塚睦夫は既に病に冒されていたが、当初はレギュラーとして出演していた。
^ 長年解散を否定していた一方、2001年2月17日放送の読売テレビ『相方?芸人その世界?』で、伊東が司会の笑福亭鶴瓶から解散について聞かれ、「正式に解散してないんですよ。いきなり戸塚睦夫が死んじゃったから。それでも“てんぷく”でやってたんですけど、今度は三波が死んじゃった。で、1人で“てんぷく”ってワケにもいかないからねえ。今言っても良いんです、解散って。うん、今言います。解散です」と語った。また1994年8月?1999年3月までNHKのバラエティ番組コメディーお江戸でござる』に出演と制作助言を行い(『お笑いオンステージ』スタッフであった滝大作も参加していた)、この番組を降板したのちに番組の感想で伊東は「てんぷくトリオ(ひいては三波)が果たせなった将来の一部を試みることが出来た」と述懐している。
^ 「伊東」の手前なので「熱海」。「四朗」には及ばないので「五郎」という、伊東四朗への敬意が込められている[要出典]。
^ 前任は谷啓

出典^ 2011年10月2日NHKラジオ第一ラジオ深夜便』インタビュースペシャルより

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