伊東四朗
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『おしん』以降、コメディアンと並行してシリアスな俳優としての存在感も高めた伊東であったが、自らを「喜劇役者」と位置づけており、「いつまでもそうあり続けたい」と語っている[12][13]。「三波も戸塚も死んだが、てんぷくトリオは解散したものではない、解散を口にしたことはない」[注 8]とも述べ、コメディへのこだわりも見せる。かつての喜劇役者仲間であり、親しい友人でもあった東八郎関敬六、また渥美清由利徹などといった浅草喜劇出身の役者たちが次々に冥界の人になって以後は、「浅草喜劇の伝統を後代へ引き継ぎたい」という想いと、「彼らの分まで、体が動く限り現役で頑張りたい」との想いが年々強くなっているとのこと[要出典]。

1997年三宅裕司小倉久寛らと共にオムニバスコントの舞台『いい加減にしてみました』を上演する(2002年・2010年にも上演)。この流れで、今ではあまり見られない典型的な喜劇軽演劇舞台を再現しようと、2004年、『伊東四朗一座 ?旗揚げ解散公演』を上演した(タイトルからも分かるように最初で最後の予定であった)。この公演は当日券を求める客があふれるほどで、多くのリクエストを受けて、翌2005年には『伊東四朗一座 ?急遽再結成公演?』を上演する。その後、2006年・2007年には伊東が参加しなかったため、三宅らは「熱海五郎一座」[注 9]と銘打って活動する。2008年には再び伊東が加わり「伊東四朗一座」として公演を行う。2009年には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演」が上演された。現在は年1回のペースで活動。伊東四朗一座の舞台公演作品はDVD化もされている。

この他にも舞台公演は精力的に行っている。角野卓造松金よね子佐藤B作あめくみちこらとともに「西荻窪エリアでお酒を飲みながら語らう会」(西荻の会)を結成し、実際に西荻窪エリアで酒を飲みながら語らっていたが、ある時会の外から「このメンバーで芝居を」との提案を受けたことから[要出典]、2011年に本多劇場にて西荻の会による介護コメディー『ロング・ロスト・フレンド』を上演した。
タレントとしての人気

テレビ草創期から活動しているタレントの一人としても知られる[14]

バラエティ番組の司会も数多く担当し、『伊東家の食卓』には「お父さん」役で約9年半出演した。

CMでは『白子のり』のイメージキャラクターを長年務めていることで有名。
人物・エピソード

伊東がまだ学生だった頃、芝居の台本を持ち込んで教えを請おうと思い立って無謀にも
二世尾上松緑と面会するべく歌舞伎座を訪れた際、追い返そうとする番頭を二世松緑がたしなめ、自ら伊東を楽屋に通し、伊東が書いた芝居の台本を読んでアドバイスをした上に、その当時、二世松緑の弟子であった四代目坂東鶴之助(後の五世中村富十郎)に松緑が「この若い者(伊東)に女形芸について教えてあげなさい」と指示し、鶴之助から女形についてのレクチャーを受けた[15]

森繁久彌から『屋根の上のバイオリン弾き』への出演を打診されたが「(森繁久彌の)ファンのままでいたい」と断っている[16]

2011年、したまちコメディ映画祭in台東において「第4回コメディ栄誉賞」を受賞[17]

社団法人日本喜劇人協会(第10代会長:小松政夫)で相談役を務める(日本喜劇人協会公式サイトを参照)。

2012年9月、野口五郎尾藤イサオ橋爪功山口もえらとともに「たいとう観光大使」に就任[18]。「たいとう観光大使」は台東区出身の芸能・文化・スポーツ関係者から選ばれ、台東区の魅力を内外に発信し、区のイメージアップ、観光の振興を図る活動を行う。

2017年8月24日放送のTBSラジオたまむすび』でピエール瀧が、かつて過去に自分が出演したクイズ番組の収録中に急遽追加の収録を行うという、いわゆる「やらせ」が行われそうになったことについて語った。そのクイズ番組の収録現場にいた瀧は、追加の収録についての打ち合わせを行うスタッフらに疑問を呈したが、そのクイズ番組の司会を務めていた伊東もスタッフらに苦言を呈し、結果スタッフらは渋々ながら追加の収録を行わずに番組収録の終了を告げたという。『たまむすび』に出演していたTBSアナウンサーの外山惠理は、瀧からこのエピソードを聞き、驚きの声をあげた一方で、伊東の行動に対して瀧と共に称賛した[19]

ベンジャミン伊東として売れっ子になっていた頃、フジテレビ「望郷 日本最初の第九交響曲?板東俘虜収容所物語(1977年)」にて交番に勤務する真面目な警官の役の依頼が来た。依頼者は電線音頭のことを知らないのだと思い、いいのですかと尋ねたところ「それがどうかしましたか」と言ってくれ、別人格として扱ってくれたことが非常に嬉しかったと語っている[20]

2016年の78歳の時、運転免許を妻とともに自主返納している。満72歳以上の誕生日を迎えたあとの免許の更新だったために有効期限がそれまで5年だったものが3年になり、また、75歳以上の免許更新の際に行われる認知機能検査及び高齢者講習に対して、「次も3年後に来て、これやらなくちゃいけないのはイヤだなって」「運転もうまかった自分には屈辱的だった」と返納の理由を2019年6月12日放送のフジテレビ直撃LIVE グッディ!』に出演した際に語っている。その後は移動の際はもっぱら電車を利用している[21]。高齢者講習では「幼児に対するような話し方をされて自尊心がズタズタになった。今、高齢者の事故がニュースになるけど、返納で運転による不安がなくなった」という[22]

2021年は84歳の年男となる。50代から始め一時は熱中したテニスはやめたものの、夫婦でウォーキングに出掛けたり、ダンベルを持ち上げ、腕立て伏せもしたりするなど、体力維持に努めている。ただ義務として取り組むことは好まないといい、気の向くまま自然体で行っている。「脳細胞を減らさないように」と始めた円周率令制国名の暗唱も続けているという[22]

タフマンのCMを担当したことを期に東京ヤクルトスワローズのファンになった[23]

2003年からドラマ「おかしな刑事」シリーズの主演として出演してきたが(前身の「おかしな二人」シリーズを含めると2002年から)、通算25本目を迎えた2020年の段階でシリーズドラマの主演としては最年長となった(放送時83歳)[24]。同作は、2024年1月6日放送の27作目「おかしな刑事最終回!大千秋楽スペシャル」を以て20年の歴史に幕を降ろした。放送時伊東は86歳[25]

出演
バラエティ
現在


伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(1997年4月 - 、文化放送

フルタ家の不思議なテレビ(2013年8月20日 - 2015年12月25日 、 NHK):不定期放送・フルタ家祖父 役

過去


お笑いオンステージ(NHK)

花のステージ(1978年、NHK)

コメディーお江戸でござる(NHK)

勝抜きドンドン歌合戦(1982年、日本テレビ):司会

いい加減にします!(1984年 - 1985年、日本テレビ)

大きなお世話だ(1985年 - 1986年、日本テレビ)

元祖どっきりカメラ(日本テレビ)

今夜は最高!(日本テレビ)

伊東四朗のOH!千客萬来(ミヤギテレビ

所さんのまっかなテレビ(日本テレビ)

伊東家の食卓(日本テレビ)

欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞(日本テレビ):審査員


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