伊勢電気鉄道
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^ 高田本山専修寺の参詣客の増加による。
^ 2度にわたる運賃改定により運賃収入の微増。
^ 高田本山専修寺の参詣客の増加による。
^ 津市-四日市間の開業による増加。
^ 四日市-桑名間の開業と養老電気鉄道の合併による増加。
^ 津新地-新松阪間の開業による増加。
^ 新松阪-大神宮前間が開業したものの昭和恐慌の影響で微増。


鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版、備考欄は『近畿日本鉄道100年のあゆみ』120頁

車両
電車

電車については、電化当初の1926 - 1927年に製造された15m級の手動加速・SME直通ブレーキ付き小型車グループと、大神宮前延長による高速運転に備えて1928 - 1930年に製造された17m級の自動加速・自動空気ブレーキ付き中型車グループに大別される。線の細い直線基調のボディスタイルを旨とし、一部は窓上に半円形の飾り窓を備えていたことも特徴である。大半の形式が独立した乗務員室扉を持たず、また電動車はデハ121形以外全て手小荷物室を設置しているなど、ローカル色の強いレイアウトでもあった。
デハニ101形・デハニ111形
デハ121形(メーカーカタログ写真)
デハ121形
1926年に製造した半鋼製電車。愛知電気鉄道電7形の準同型車。車体は電7形と同一図面に基づいて製作されたため完全同型だが、電装品は両社でそれぞれ在来車と共通の機器を搭載したため異なる。終始ローカル運用に充当され、伊勢線や養老線などで運用された。1971年全廃。
デハニ131形

クハ451形・クハ461形
四日市 - 桑名間延長線の開業に備え、1928年と1929年に製造した17m級半鋼製電車。当初、クハ451形は付随車として新造され、クハ461形の増備の際に制御車に改造された。アメリカのインターアーバンで流行していた半月形の飾り窓が妻窓を含む各窓の幕板部に設けられていた。制御器などの仕様は後述のデハニ201形およびデハニ211形に準じる。ただし、これらは実際には同系車同士のペアを組んで運用されたことはほとんどなかった。長距離運用に適した便所付きであったことから、付随車への改造を実施されつつ戦後も長く名古屋線急行車として使用された。1974年全廃。
デハニ201形・デハニ211形
1928年に製造した17m級半鋼製電車。両形式とも車体設計は共通で、先行するクハ451形に準じる。ただし、制御器がデハニ201形はゼネラル・エレクトリック社製PC自動加速制御器、デハニ211形がこれをライセンス生産した芝浦製作所RPCと異なっていたことから別形式が与えられた。もっとも制御シーケンスは共通で取り扱いには差違が存在しなかったことから関西急行鉄道発足時に形式統合され、モニ6201形となった。同時期製作の制御車2形式とは異なり、終始地味なローカル運用に使用され、戦後は養老線を経て伊賀線で使用された。1977年全廃。
デハニ221形
1929年に製造した増備車で、側窓は飾り窓のない2段窓に変更されている。座席はデハニ201形・デハニ211形同様ロングシート。主電動機は1時間定格出力75kWの東洋電機製造TDK-528-Aで、末尾の-Aというサフィックスが示す通り、日本の中型電車用吊り掛け式電動機を代表する傑作として知られるTDK-528系の初号モデルに当たる。後に近鉄モニ6221形となり、1979年全廃。
デハニ231形
伊勢電が1930年の大神宮前延長に際して下記のクハ471形と共に優等列車用に製造した、転換クロスシートの17m級車で、同社最後の新製増備車。デハニ221に搭載されたTDK-528-Aの改良モデルに当たる1時間定格出力104kWの東洋電機製造TDK-528-Cを主電動機として搭載し、クハ471形と編成を組んで特急「はつひ」・「かみち」にも使用された。事故復旧時に関西急行電鉄モハ1形と同型の車体に新製交換された2両(後の近鉄モ6241形)を除く10両が関西急行鉄道発足時にモニ6231形となったが、戦後は伊勢電伝統の手荷物室付き、しかも乗務員扉なしの車体構造が災いし、転換クロスシート車のまま電装解除の上で制御車となり、一旦は全車が養老線や伊賀線で使用された。その後、4両が南大阪線の快速「かもしか」用に抜擢され、南大阪線用木造車からの機器流用で再度電装、荷物室撤去や内装の近代化などを実施の上でモ5820形となった。1983年全廃。
クハ471形
制御車で、デハニ231形の同系車。関西急行鉄道発足時にク6471形となり、戦後は便所付きの制御車であったことからモ6301形と組んで近鉄名古屋線の名阪有料特急にも抜擢された。その後も名古屋線急行車として重用された。1973年全廃。
電気機関車

501形

511形

521形

廃線後の江戸橋以南「近鉄伊勢線#廃線跡」も参照

江戸橋以南の区間は廃線後「近鉄伊勢線バス」として、鉄道のルートに沿った近鉄直営のバス路線が新設されたが、1963年10月15日に近鉄系列の三重交通に路線移管された。

三重交通移管後、津市内、松阪市内の路線が整理され、廃線跡の一部ルートにはバスが通じていない。
なお、2005年9月30日に小野江 - 松阪間の路線バスが廃止されたため、一時、津 - 松阪間の旧伊勢線沿線のうち、天白(三雲地域振興局)バス停以南をバスでたどることが不可能となったが、2006年12月20日に三雲地域振興局バス停以南が三雲・松阪港コミュニティバスとして復活した。現在、全くバスが通じていないのは、松阪駅前 - 早馬瀬口 - 千引神社前間(松阪駅前 - 早馬瀬口間は2008年3月31日限りで廃止、早馬瀬口 - 千引神社前間は2019年9月30日限りで廃止)となっている。

松阪市内の旧伊勢線敷地には、「近鉄道路」と呼ばれる道路があり、松ヶ崎駅、徳和駅では、線路の上を高架橋がわたっている。
徳和以南の一部は、戦後有料道路の参宮有料道路となったが、その後無料化され国道23号となり、現在は三重県道37号鳥羽松阪線となっている。


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