伊勢電気鉄道
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桑名以北では名古屋への乗り入れを計画したが、世界恐慌の影響や過剰投資、さらに木曽川長良川揖斐川木曽三川)越えのための関西本線旧橋梁払い下げに絡んだ疑獄事件のため、経営難に陥った。1930年(昭和5年)から始まった五私鉄疑獄事件の裁判では、取締役が収賄容疑で被告となり、1933年(昭和8年)の一審判決で懲役四か月、執行猶予三年の判決[9]。後に検察が控訴して1934年(昭和9年)の二審でも有罪判決[10]1936年(昭和11年)9月の大審院判決で確定した。

労使紛争なども生じて経営破綻状態となった伊勢電をめぐり、名岐鉄道愛知電気鉄道(いずれも現在の名古屋鉄道(名鉄)の一部)と参宮急行電鉄(参急、現在の近畿日本鉄道(近鉄)の一部)が争奪をしたが、1936年(昭和11年)9月15日に競合会社であった参宮急行電鉄に合併された。

伊勢神宮へのルートとしては、既に1897年(明治30年)から国鉄参宮線があり、また伊勢電と同年月には大阪からの直通線である大阪電気軌道(大軌)・参宮急行電鉄の路線(現:近鉄大阪線山田線)も開業していた。参急の計画が進んでいた頃、同社側では「伊勢電と参急は提携し、参急は伊勢への路線を、伊勢電は名古屋への路線を建設して、共存共栄を図るべきだ」という提案を伊勢電に対してしたことがあった。これには、既に名古屋への進出を目論んでいた参急が、京阪電気鉄道系の名古屋急行電鉄(建設されずに未成線となった)による大阪 - 名古屋間の路線が建設される前に、一部提携であっても自社の関与による同区間の運転実績をつくっておきたいという思惑も隠れていた。

しかし伊勢電側は、大阪系資本の企業である参急に対して(地元企業としての誇りから)対抗意識があり、提携案に応じようとせず、逆に競合する伊勢への路線を優先して建設した。これに多くの資金を使ったものの、参急を脅かす路線とはなり得ず、結果的にこれが同社の致命傷となった。東海道本線とは大垣駅で接続していたものの、伊勢電経営の悪要因としては、やはり大都市である名古屋に直結でき得なかったことが、利用客が伸び悩む決定打であり、3路線競合の過当競争の中で脱落せざるを得なかったといえる。

桑名以北からの名古屋直通は、伊勢電気鉄道が参宮急行電鉄に吸収合併された後の1938年(昭和13年)に、参宮急行電鉄系列の関西急行電鉄(関急電)の手によって実現している。その後いくらかの変遷を経て、戦時下の1944年(昭和19年)、国策による大規模合併で近畿日本鉄道(近鉄)が発足し、同社の路線となった。

なお前述の通り、伊勢電気鉄道を起源とする名古屋線などは軌間が1,067mmとなっていたが、そのうち名古屋線と鈴鹿線に関しては1959年(昭和34年)に伊勢湾台風で甚大な被害を受けたのを契機に、大阪電気軌道・参宮急行電鉄が敷設した路線と共通の1,435mm(標準軌)に改め、大阪 - 名古屋間の直通運転を実現させている。また随所に存在した急カーブ区間・単線区間なども、1942年(昭和17年)に山田線と競合するという事情で廃止した新松阪 - 大神宮前間で用いられていた資材を使うなどして、戦時中から昭和30年代までに多くを解消した。
年表

1910年(明治43年)10月20日伊勢鉄道に対し鉄道免許状下付(津 - 四日市間)[11]

1911年(明治44年)11月10日前身となる伊勢鉄道が設立[12][13]

1915年(大正4年)9月10日一身田町 - 白子間開業[14]

1916年(大正5年)1月9日白子 - 千代崎間開業[15]

1917年(大正6年)

1月1日津市(後の部田)- 一身田町間開業[16]

12月22日千代崎 - 楠間開業[17]


1919年(大正8年)10月25日楠 - 海山道間開業[18]

1920年(大正9年)1月26日旭電気鉄道に対し鉄道免許状下付(愛知郡常盤村 - 西春日井郡枇杷島町[19]

1922年(大正11年)3月1日海山道 - 四日市間開業[20]

1924年(大正13年)4月3日部田(津市から改称)- 津市(後の津新地)間開業[21]

1925年(大正14年)12月20日伊勢若松 - 伊勢神戸(現在の鈴鹿市)間開業[22]

1926年(大正15年)

9月11日熊沢一衛が社長に就任。同時に社名を伊勢電気鉄道(伊勢電)へ改称。

9月22日揖斐川電気より鉄道敷設権譲受(許可)(桑名郡大山田村-四日市市間)[23]

10月28日本店を四日市市浜田3698番地に移転[24]


1926年(昭和元年)12月26日津新地 - 四日市間、伊勢若松 - 伊勢神戸間の電化が完成。

1927年(昭和2年)

3月四日市鉄道の全株式を取得し傘下に収める。

4月19日鉄道免許状下付(津市 - 飯南郡松阪町間)[25]

8月三重鉄道の全株式を取得し傘下に収める。

12月27日鉄道免許状下付(飯南郡松阪町 - 宇治山田市愛宕町間)[26]


1928年(昭和3年)11月2日鉄道免許状下付(桑名郡大山田村 - 名古屋市中区南生野町間)[27]

1929年(昭和4年)

1月30日四日市 - 桑名間開業(複線)[28]

6月19日鉄道免許状下付(三重郡日永村 - 同郡塩浜村間)[29]

10月1日養老電気鉄道を合併[30][31]


1930年(昭和 5年)

4月1日津新地 - 新松阪間開業(複線)[32]

12月25日新松阪 - 大神宮前間開業(複線)[33]


1931年(昭和 6年)8月19日楠 - 塩浜間複線化。

1932年(昭和7年)

2月10日旭電気鉄道(未成線)を合併[12]

5月27日強制管理決定(大垣 - 養老間、大垣 - 池野間)[34]


1935年(昭和10年)

12月桑名 - 大神宮前間で特急「はつひ」(初日)・「かみち」(神路)運行開始(近鉄特急史#伊勢電気鉄道参照)。

12月23日関西急行電鉄に鉄道敷設権(桑名 - 名古屋間)譲渡許可[35][36]

12月26日鉄道免許失効(名古屋市中区長良町-同市西区枇杷島町間 元旭電気鉄道 工事施工ノ認可ヲ受ケサルタメ)[37]


1936年(昭和11年)

5月20日伊勢電気鉄道が養老線(桑名 - 揖斐間)を養老電鉄へ譲渡[38]

9月15日伊勢電気鉄道は参宮急行電鉄(参急)と合併、本線は同社の名古屋伊勢本線となる[39]


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