伊勢線
非電化で複線の伊勢線を行くイセIII型気動車
(2007年8月、鈴鹿サーキット稲生 - 徳田間)
概要
起終点起点:河原田駅[1]
終点:津駅[1]
駅数10駅[1]
運営
開業1973年9月1日 (1973-09-01)
三セク転換1987年3月27日 (1987-03-27)[2]
所有者日本国有鉄道→
伊勢鉄道
運営者伊勢鉄道(第1種鉄道事業者)
使用車両イセIII型、JR東海キハ85系、JR東海キハ75形
路線諸元
路線総延長22.3 km (13.9 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化
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停車場・施設・接続路線
凡例
0.03 河原田駅
3.84 鈴鹿駅
7.05 玉垣駅 玉垣車庫
9.16 鈴鹿サーキット稲生駅
11.17 徳田駅
12.78 中瀬古駅
14.09 伊勢上野駅
16.410 河芸駅
19.411 東一身田駅
JR東海:紀勢本線
近鉄:名古屋線
22.312 津駅
伊勢鉄道伊勢線を行く特急「南紀」号。
(鈴鹿駅、2007年8月8日)
伊勢線(いせせん)は、三重県四日市市の河原田駅から三重県津市の津駅に至る伊勢鉄道の鉄道路線である。 関西本線の名古屋方面と紀勢本線の津以南を短絡する目的で[3]、日本鉄道建設公団(鉄道公団)が「主要幹線」(C線)[注 1]として[4]、1965年(昭和40年)11月から建設を開始し[2]、1973年(昭和48年)9月1日に日本国有鉄道(国鉄)の伊勢線として開業した[5]。それまで名古屋方面と津方面は亀山駅(関西本線)経由で連絡されていたが、伊勢線の開業により、四日市 - 津間の距離(伊勢線経由で29.2 km)は従来より約9 km短縮、亀山駅での列車の方向転換(スイッチバック)も不要になったことから所要時間も急行列車は15分、普通列車は29分それぞれ短縮できた[6]。 しかし、開業後は後述の事情から線内の利用客数が伸び悩み、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)における廃止基準を下回ったことで第2次特定地方交通線に選定され、1987年(昭和62年)3月27日以降は沿線自治体が出資する第三セクター「伊勢鉄道」が経営を継承した[7]。現在も特急「南紀」や快速「みえ」が当路線を経由し、名古屋と鳥羽・新宮方面の間に運転されている[2]。詳細は「#歴史」を参照 建設当初から全線に亘って複線分の用地が確保され[注 2]、将来の電化に備えて架線柱用の用地または架線柱の基礎があり[注 3]、ほとんどが高架になっているなど幹線級の設備を持っている[9]。津駅北方には紀勢本線亀山方面への線路を乗り越える将来の四日市方面への線路用となる立体交差用の橋梁も架設済み。踏切は鈴鹿市内(鈴鹿 - 玉垣間)に1か所存在するのみである。トンネルは中瀬古 - 伊勢上野間に1か所のみ存在する。 第三セクター転換後も苦戦する例が多い旧国鉄路線としては優良路線の一つに数えられることもあるが[10]、小野澤正彦は種村直樹の編集した著書『国鉄・JR 鉄道廃線カタログ』(新人物往来社・1996年)にて「このような性格の路線を線名(区間)だけを基準にして機械的に特定地方交通線に指定したことは利用者を馬鹿にしている。JR東海も自社路線として(伊勢線を)買収せず、伊勢鉄道に車両などの無駄な投資をさせていることは行政共々許せない」と指摘している[11]。また鉄道評論家(鉄道アナリスト)・川島令三は「伊勢線の営業成績が悪かった理由は、(伊勢鉄道に継承された時点で)普通の運転本数は1日7往復のまま、優等列車も『南紀』1日4往復のままという国鉄の消極的経営の結果であり、名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として積極経営すれば国鉄の重要路線となったはずだ。当時の国鉄の経営姿勢や、当路線を機械的に特定地方交通線に指定して第三セクターに転換したことには疑問の声が大きかった」と[3]、寺田裕一 (2004) も「伊勢線は機能的には紀勢本線の一部であったが、『伊勢線』という独立線区であったことから、特定地方交通線に指定されてしまった」とそれぞれ述べている[12]。
概要