伊勢崎藩
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
^ 稲垣氏からは2家の大名家が出た。長茂の嫡男重綱の系統は諸国に転封を繰り返し、最終的に志摩国鳥羽藩主家として定着した。長茂の次男重大の系統は近江国山上藩主となった。このほか、複数の旗本家や諸藩の家老家が出ている。
^ 現在の前橋市東善町・西善町付近。中世には善養寺庄という荘園があった[5]。
^ 『日本史広辞典』巻末付録「大名配置」一覧表の「伊勢崎藩」では、忠世を藩主としては掲出していない。
^ 『日本史広辞典』巻末付録「大名配置」一覧表に「那波藩」は掲出されておらず、忠能は伊勢崎藩主として記されている。また『角川日本地名大辞典』は、忠能への分知をもって「那波藩の再興」という説には「疑問の余地があろう」としている[6]。
^ 最後の姫路藩主となった酒井忠邦は、伊勢崎藩主酒井忠強の実弟に当たる。
出典^ a b c d e f g h i j k l m 井上定幸. “伊勢崎藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ 『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)p.129、「伊勢崎藩」の項
^ “絹本著色稲垣平右衛門長茂像附同重宗像”. 伊勢崎市. 2019年8月20日閲覧。
^ a b c “稲垣平右衛門長茂の墓附累代の墓所”. 伊勢崎市. 2019年8月20日閲覧。
^ “ ⇒上野国那波郡善養寺庄(荘園)”. 千年村プロジェクト. 2021年9月20日閲覧。
^ a b c d e 「那波藩(近世)」『角川日本地名大辞典(旧地名編)』(JLogos収録)
^ “酒井忠世”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ “伊勢崎藩”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ a b 林亮勝. “酒井忠世”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ a b 『群馬県史 第2巻』(1927年)、p.29
参考文献
群馬県教育会(編)『群馬県史 第2巻』群馬県教育会、1927年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980721。2019年8月20日閲覧。
外部リンク
日本大百科全書(ニッポニカ) 他『伊勢崎藩』 - コトバンク
⇒伊勢崎(酒井下野守忠哲) 。大名家情報 - 武鑑全集
先代
(上野国)行政区の変遷
1681年 - 1871年 (伊勢崎藩→伊勢崎県)次代
群馬県(第1次)
表
話
編
歴
大政奉還から廃藩置県までの間に存在した藩
慶応3年(1867年)旧暦10月 - 明治4年(1871年)旧暦7月
北海道地方
松前藩(館藩)
東北地方
黒石藩
弘前藩
八戸藩
●○盛岡藩(白石藩 → 盛岡藩)
盛岡新田藩(七戸藩)
一関藩
久保田藩(秋田藩)
秋田新田藩(岩崎藩)
亀田藩
本荘藩
★矢島藩
次ページ記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:46 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef