伊勢崎藩
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忠世(ただよ)〔従四位下 雅楽頭 侍従

酒井家
2万2500石。譜代。
忠能(ただよし)〔従五位下 日向守〕

酒井家
2万石。譜代。
忠寛(ただひろ)〔従五位下 下野守〕

忠告(ただつぐ)〔従五位下 下野守〕

忠温(ただはる)〔従五位下 駿河守〕

忠哲(ただあきら)〔従五位下 下野守〕

忠寧(ただよし)〔従五位下 信濃守〕

忠良(ただかた)〔従五位下 伊賀守〕

忠恒(ただつね)〔従五位下 志摩守〕

忠強(ただつよ)〔正五位 下野守〕

忠彰(ただあき)〔正四位 下野守〕

幕末の領地

上野国

佐位郡のうち - 18村

那波郡のうち - 30村

明治維新後に佐位郡3村(旧幕府領)が加わった。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
^ 稲垣氏からは2家の大名家が出た。長茂の嫡男重綱の系統は諸国に転封を繰り返し、最終的に志摩国鳥羽藩主家として定着した。長茂の次男重大の系統は近江国山上藩主となった。このほか、複数の旗本家や諸藩の家老家が出ている。
^ 現在の前橋市東善町・西善町付近。中世には善養寺庄という荘園があった[5]
^ 『日本史広辞典』巻末付録「大名配置」一覧表の「伊勢崎藩」では、忠世を藩主としては掲出していない。
^ 『日本史広辞典』巻末付録「大名配置」一覧表に「那波藩」は掲出されておらず、忠能は伊勢崎藩主として記されている。また『角川日本地名大辞典』は、忠能への分知をもって「那波藩の再興」という説には「疑問の余地があろう」としている[6]
^ 最後の姫路藩主となった酒井忠邦は、伊勢崎藩主酒井忠強の実弟に当たる。

出典^ a b c d e f g h i j k l m 井上定幸. “伊勢崎藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ 『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)p.129、「伊勢崎藩」の項
^ “絹本著色稲垣平右衛門長茂像附同重宗像”. 伊勢崎市. 2019年8月20日閲覧。
^ a b c “稲垣平右衛門長茂の墓附累代の墓所”. 伊勢崎市. 2019年8月20日閲覧。
^ “ ⇒上野国那波郡善養寺庄(荘園)”. 千年村プロジェクト. 2021年9月20日閲覧。
^ a b c d e 「那波藩(近世)」『角川日本地名大辞典(旧地名編)』(JLogos収録)
^ “酒井忠世”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ “伊勢崎藩”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ a b 林亮勝. “酒井忠世”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク収録). 2019年8月20日閲覧。
^ a b 『群馬県史 第2巻』(1927年)、p.29

参考文献

群馬県教育会(編)『群馬県史 第2巻』群馬県教育会、1927年。


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